迷子Ⅰ

 出発した翌日。

 伯爵領を襲ったシャドウウルフの大軍が出てきたと思わしきダンジョンに相応しい言葉は、まさしくもぬけの殻だろう。

 騎士たちが踏み込んでみたが、半日かけた調査で中に入って見つかったモンスターは片手で数えるほどしかいなかったようだ。おまけにその体格も貧弱で経験のあるアンディから言わせると、生まれたばかりな上に餓死寸前のような状態に見えるらしい。

 結局、調査が終わる頃には日が暮れてダンジョン前で一夜を過ごすことになった。


「ダンジョン前なんかで大丈夫なのか?」

「ダンジョン内からモンスターが出てくるのは氾濫の時だけだからね。そんなこと言ったら、魔法学園のダンジョンだって同じような物だろう?」


 心配になったユーキがフェイへと問いかけるが、その答えはやけにあっさりしていた。言われてみればその通りだが、学園の中と森の中では状況が違う。

 心配性なユーキにクレアも苦笑いしながら首を振った。


「新米冒険者がダンジョンの前で寝泊まりするときの反応にそっくりだ。まぁ、あたしも初めて寝泊まりするときは頭でわかっていても、全然寝られなかったけどね」

「へー、意外ですね。クレアさんにもそういう頃があったんだ」

「人間生きてればなんだって初めてのことはある。慣れるまでの時間が違うだけってこと。そういうことでユーキ、あんたの魔眼は便利らしいけど、見張りなんてしなくていいからね」


 釘を刺されてしまっては仕方ない。

 騎士の人たちへと見張りを任せてユーキたちは馬車の背もたれを少しだけ倒して眠ることになった。どうやら、馬車の中には様々な機構が組み込まれているらしく。このリクライニング機能もその一つだ。やろうと思えば前後の席がくっついてベッドにもすることができるらしい。

 流石に今回は、大人数の為、傾ける程度で止めてある。


「……ユーキ様。わかっているとは思いますが寝込みを――――」

「――――大丈夫だって、風呂場でのことを知っているなら、俺がそんなことしないってわかってるだろ?」

「それもそうですね。失礼しました」


 誰もいない所でメリッサに別の釘を刺されてしまったことには驚いたが、それが良くなかった。


「すぅすぅ……」

「(……おい、ちょっと待ってくれ。よくよく考えたら、俺以外全員女性で、しかもサクラとメリッサさん、めっちゃ近い! っていうか、超いい匂い!)」


 言葉で知るのと体験するのでは天と地ほどの差がある。

 マリーには言葉で知ることも大切だと言ったことを少しばかり後悔しながら、ユーキは自分の肩や腕にかかる重みや感触に身を強張らせた。

 僅かに温かいと息が腕を撫で、髪の匂いが鼻をくすぐる。感触の一つ一つが体の中にある何かを刺激して、ぞくりとした決して嫌いになれない感覚が波のように押し寄せた。

 右側ではサクラが肩と二の腕当たりの中間に頭を預け、完全に熟睡している。反対側ではメリッサが二の腕どころか胸のあたりにまで頭が侵攻してきていた。


「(あんた、人を襲うなって忠告してたのに、自分が一番無防備ですが!?)」


 複雑な感情に駆られつつもユーキは、体全体を捻り、腕の位置を調節し、これ以上二人の位置が動かない様に固定する。

 それでも時折、二人は身動ぎするため、その度にユーキの中で喜びともいえる様なくすぐったさと、目を覚ますのではという緊張感がシーソーのように交互に訪れる。いや、シーソーというのならば既に幸福感的な方へと傾いているといってもいい。


「(よかったですね。合法的に女子をお触りできるなんて。普通はありませんよ?)」

「(げっ、ウンディーネさん!? いつから気付いてたんですか?)」

「(そんなの決まっています。最初からですよ)」


 頭から血の気がさっと引くが、すぐにウンディーネはユーキの考えていることを否定する。


「(まぁ、ユーキさんも男の子ですから、仕方ないと言えば仕方ないと思いますけどね)」

「(さ、流石、ウンディーネさん。よく俺のことをわかってらっしゃる)」

「(これくらいでは私も怒れませんが。手を出したら……わかってますね?)」

「(も、もちろんですとも!)」


 ユーキは二人を起こさない様に心で叫びながら、全力で首を縦に振った。


「――――? ――――――――! ――――――――!」


 首を振っていたせいか、はたまたウンディーネとのテレパシーに集中していたせいか。ユーキの耳元に何か小さく甲高い声で話すような音が届いた。


「(ん? ウンディーネ。今なんか言った?)」

「(いえ、私は何も言ってませんよ?)」


 ユーキは外で焚火が燃える音と、見張りの騎士が歩くときに立てる足音、そして鎧の擦れる音の他に何か聞こえるものがないか耳を澄ませる。

 しかし、どんなに耳を澄ませても、先程聞こえた奇妙な音は聞こえてこなかった。

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