第38話

 刻苧漆こくそうるしが乾燥したのを確認すると、出っ張った部分を砥石で削った。それでも残る細かい穴や小さい段差は、錆漆さびうるしで埋める。

 砥粉に水を加えて粘土状にしてから、見た目五割くらいの漆を加えて練り合わせた錆漆を竹べらで均一に薄く塗り、再び乾燥させる。

「素敵でございます」

 いつの間にか、みどりが洸次郎の手元を覗き込んでいた。

「そのような丁寧なお仕事の積み重ねで、欠けた器を金粉で継いでいらっしゃるのですね」

「まあ……はい、そうです」

 きらきらした目で見つめられ、洸次郎は返事に窮した。絵の仕事で食っているみどりに比べたら、洸次郎は片手間仕事みたいなものだと自虐している。もちろん、頼まれた金継ぎは責任を持ってやり切る。

「コウ殿、きりっとした目で集中なさっていて、惚れてまうやろーって感じでございました」

「あ、はい、恐縮です」

「本業になされば良いのに。鹿島屋様なら、喜んでコウ殿の窯を様子してしまいましょう」

「いや、そこまでして頂くわけには」

 鹿島清兵衛なら本当にやってしまいそうな気がして、洸次郎は一層遠慮した。

「おい、折茂おりも。野球やろうぜ」

「クモさん、なぜ苗字呼びなんですか」

「そろそろお時間でございますね。参りましょう」

 昼下がり。今日も、大学予備門の学生達と上野の公園で野球の約束をしている。

「洸次郎さん、あの子また来てますよ」

 金之助が指差す方には、先日同じ場所で見かけた男児がいる。

「若様! 帰りましょう!」

「弥彦様、旦那様が心配なさいます!」

 今日は、使用人らしき人もいた。

「あの子も野球をやりたいんですかね」

 洸次郎は、今も行方の知らない息子のことを思い出した。もしも息子が生きていたら、帝都の色々なところを案内して、大人達が野球に興じているところに入れてあげるかもしれない。

「コウ殿、大丈夫ですか?」

 今日も三振してベンチに戻ってきたみどりに心配され、洸次郎は平気だと答えた。

「コウ、妹、あれを見ろ」

  クモが球場の外を指差す。洸次郎もみどりも目を凝らし、目を見張った。

 球場の外からこちらを伺っているのは、先日会った医師を自称する洋装の男、結城誉と、熊谷から汽車で一緒になった女だ。

「ご夫婦でしたのね」

 心なしか、みどりの声が沈んでいる。

「おおい、この間の先生! あんたらも野球やらんかね!」

 誉と女に声をかけてしまうのは、野球大好きなだ。

「ぜひ!」

 誉が大きな声で返事をした。

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