第17話
赤子のように泣いた後、洸次郎は改めて決心した。
小塚村に戻ろう。自分に何ができるのかわからないが、償わなくてはならない。
「すみません。帰ります」
「洸次郎殿、まだお熱があります」
「構いません。妻と子……村の
洸次郎は立ち上がろうとしたが、ふらついて立てない。
「洸次郎さんが弱っていては、奥様から心配されてしまいますよ」
「そんなんじゃあ、またモノに狙われちまうぜ」
清兵衛とクモにも止められ、洸次郎は一層気が急いてしまう。
「せめて、お熱が下がってから発たれませ。わたくしも、できるだけのことは致します」
上州の盂蘭盆会は八月だが、帝都近郊は七月に行われたという。その辺りの心配はありませぬ、と、みどりは自信満々に言い切ったように、洸次郎には見えた。
清兵衛が連れてきた医者に太鼓判を押されてから、洸次郎は帰省許可を下ろしてもらえた。
だが。
「洸次郎殿、早う」
「乗り遅れちまうぞ」
みどりとクモが、すっかり旅行支度をして、先導しようとする。
「俺ひとりで平気です」
「何を仰せになりますか。我々も共に参ります。洸次郎殿をひとりにしておけませぬ」
「だって、納期が」
「洸次郎さんも、その言葉を覚えちまったか」
「兄上、お戯れを」
袴姿のみどりは、クモを窘める。
「帰ってきたら、また納期と向き合わなくてはなりませぬ。早う行きましょう」
洸次郎ひとりで徒歩で上州に向かおうとしていたのだが、みどりとクモは上野駅に行こうとする。
「洸次郎殿の切符も買いましょう」
「俺は金が」
「鹿島屋様から頂きました。洸次郎殿に苦しい思いをさせたくない、と」
洸次郎を助けた際に、洸次郎と一緒にモノの記憶を見た鹿島清兵衛は、洸次郎に深く感じるものがあったようで、何かと世話を焼こうとする。特に、物品や金銭を支援しようとするのだが、洸次郎は断わりたくても断れないでいる。モノ――父親の記憶と感情を目の当たりにしてから一層、嫌われないように振る舞わなくてはならないと思うようになった。
「せっかくですから、甘えてしまいましょう。その方が、鹿島屋様も安心でしょう」
みどりに言われ、洸次郎は首肯した。クモも、うんうんと頷いていた。
汽車は、まさかの一等。三等にしがみついて来たときとは大違いだ。席に座れること自体が洸次郎は感激で、しかし自分なんかが座って良いものかと落ち着かない。
萎縮してしまう洸次郎とは裏腹に、みどりとクモは賑やかだ。
「兄上は洸次郎殿のお隣になさいませ!」
「ああ? 俺みたいなでかいのが隣にいたら、洸次郎がゆっくりできねえだろうが」
「わたくしが隣にいたら、洸次郎殿が変に後ろめたさを感じてしまうでしょう」
洸次郎が妻帯者だということを、みどりは気にしていた。ああ、とクモは納得し、洸次郎の隣に腰を下ろす。
「邪魔するぞ」
「はうぅ……っ!」
みどりが目を輝かせる。何度も見たその反応が、洸次郎にはわからないが、兄であるクモは理解しているようだ。
「ちょっと茶番につき合ってくれ」
クモが洸次郎の耳元でささやくと、みどりは自分の口元を押さえて何かを我慢し始める。クモが洸次郎の肩を抱いて寄せると、みどりは首を横に振っておかしな反応をする。それを見たクモは、洸次郎の肩を離し、我慢できずに笑った。
「玉の緒よ、絶えなば絶えね、ながらへば、忍ぶることの腐りもぞする」
「やかましゅうございます!!」
みどりが顔を真っ赤にして立ち上がった。そのとき汽車が発車し、みどりは平衡を崩して席に着いた。
クモが何かをもじって、みどりをからかったのは洸次郎にもわかったが、そのネタ元までは知らない。
お前も学べよ、と兄、新三郎の言葉を洸次郎は思い、鼻の奥がつんとした。
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