第6話

 沙月先生に背中を押されるがままに、僕は食卓の席についた。既に大食器が食べかけであることから瑞稀は食べた後なんだろう。


「瑞稀ちゃん、修行熱心だからねぇ。すぐ食べて、すぐいなくなっちゃったよ」


 瑞稀のやつ、陰陽師のことそこまで好きだったか? 僕の記憶だと、『陰陽師なんてもう嫌!』とか言ってたような。


 環境が変わると、嫌いなことも好きになれるんだな。それより…。


「この、茶碗に入った黄色い塊なんですか?」


「茶碗蒸しだけど? 本当に何も知らないんだね」


「…はい」


 僕は希海さんの言葉に頷く。

 たしかに僕は無知だ。あんな家庭でここまで育ったこと自体、奇跡かもしれない。

 だけど、もう違う。あそことここじゃ、地獄と天国だ。


「甘くて美味しいから。ほれ、一口」

 

 そんなやり取りを希海さんとしていた僕の口に沙月さんが茶碗蒸しをよそった料理を突っ込んでくる


「むぐっ…美味しい」


「でしょ! 元気の源は美味しさ! なんてね」


 それに対して沙月さんは元気よく告げる……美味しさは、元気の源か。

 そんなこと、前の家では言われなかった。


「これから僕も先生のこと、沙月さんって呼びます。だからその……よろしくお願いします」


 僕は言っておかなければならない。

 そんな脅迫にかられて口を開く。


「なになに、どうかした? いきなり改まって。不思議な子だね」


「……沙月さんだって、不思議です」


 思わず僕はそう呟いた。だが、僕の言葉は嘘偽りなんて持たない。今だってそうだ。僕の思いを、まっすぐ乗せている。


「私が不思議? どうして?」


「だって……僕と瑞稀になんて陰陽師の素質なんてない! なのに……」


「だからだよ」


 その一言だった。僕の心を、一瞬で包んだものは。なんら特別なものはない、簡素な一言。

 それでも僕の心が求めていた、たった一つの何かが、その言葉の中に乗せられていた。


「素質がないなら、生み出せば良い。私にはできる。君たち2人を、立派な陰陽師にするくらいはね。まさか、私がそんじょそこらの陰陽師だとでも?」


「そ、そうじゃないですけど……」


「なら、何?」


 不穏の笑みをこぼしながら、沙月さんは僕に尋問してきた。だけど、僕は答えられなかった。なぜ沙月さんにそんな質問をしたのか、僕にだって分からないから。


「……ふふっ、だから不思議な子なんだよ」


「えっ……」


「普通、わけもなく言葉を出す人なんていないもん」


「……そういうもの、なんですか?」


「うん、そうだよ……? もしかしたら……」


 僕の右手を見たときと同じく、沙月さんは目を細ませていた。それに加えて、青い髪を指で絡め続けている。


「きっと、そういうことかも。だったら合点がつくし……」


「何をブツブツと呟いてるんですか?」


「あ、ううん! 気にしないで。ちゃんとした根拠ができたら話すから」


 『根拠ができたら』って、何を考えてたんだろ。でも沙月さんは良い人だし、変なことではなさそう。

 それより、僕も早く食べて瑞稀の所に行こう。あの子が頑張りすぎて倒れたら大変だろうから。


 ■■■■■


 数多の修練道具が置かれている普段僕たちが訓練の際に使わせてもらっている中庭。


「や、やっぱりダメ…。でも、頑張らないと!」


「そんなに気張らんと、ちょっと休みなさい。無理しても倒れるだけですよ」


 僕が鍛錬場である中庭に訪れると、吐息を荒くしている瑞稀と、そんな瑞稀の肩を支える涼さんがいた。


 僕が来るまで、ずっと特訓していたのだろう。瑞稀の顔には汗がダラダラと流れていた。


「瑞稀、汗びっしょりじゃないか」


「おや、大翔くんも特訓に?」


「まあ、そんなところですが……瑞稀のほうは順調ですか?」


 さっきの瑞稀の言葉が聞こえていなかったわけではない。ただ、瑞稀が弱音を吐くほど参っている姿を見たことを、当の本人には秘密にしておこうと思ったまでだ。


「正直言うとあんまり……といった感じで」


「そうですか。まあ、僕もそんな成長してないですし」


 そう言って、僕はなんとなく夜空を見上げながら手を伸ばした。

 すると、あろうことか僕の目に映る景色が僕の感覚をおかしくさせた。星の見せる輝きと、夜空の闇が、僕の身体を揺さぶる、そんな感覚だった。


 そして、僕の意識はまた遠くなっていく。だけど、そのわずか一瞬の間に、『雨』が降り出した。その感覚を最後に、僕は完全に気を失った。

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