第57話 笑わなくていいから
『お、お母様……』
どうしよう。どうしたら誤魔化せるの?
殴られる。もう嫌だ。せっかく、日常にうちだけの楽しみを見つけたのに!
だけど次に母が発した言葉は、うちが予想だにしないものだった。
『うちの柚と遊んでくれたのかしら? ありがとうね! きっと柚も楽しかったと思うわ〜』
『……え』
かつてないほどの笑顔で上品にそういう母を見て、心底気持ち悪いと思った。
男の子は顔を引きつらせながら愛想笑いをし、『えっと……』と言葉に詰まっている。
その間も母は薄っぺらい言葉を並べ続けた。
『でもねぇ、柚は本当に勉強が好きで、『遊んでる暇があったら勉強したい!』って言ってるの〜、あなたが強引に連れ出したのなら、もう柚に近づかないでもらえる?』
吐きそうになった。
なに? なんなのこの人? 誰のせいだと思ってるの?
うちからどれだけ奪えば気が済むの?
でも反論することは出来なかった。
お母様が私の後ろに立ち、左手を肩に置きながら反対の手で男の子に見えないところでうちの腕をつねっていたから。
だけど男の子は、今までの愛想笑いを消して、代わりに――
『てめえふざけんなよ』
静かに激怒した。
お母様は虚を突かれ、固まった。
そんなお母様に攻撃的な目を向けながら、男の子は容赦なく言い放った。
『俺は柚がどれだけ苦しんでたか知ってる! 『遊んでる暇があったら勉強したい』? そんなの一回も聞いたこと無い! 聞いたのは『苦しい』『辛い』『勉強したくない』だよ!』
『なっ……』
『柚の……柚の体に、いっぱい痣があるの、俺、知ってる……! あんた、自分のやってること分かってんのか!? 虐待っていうんだぞ!?』
『な、なにか誤解してるようだけど――』
『誤解してるのはどっちだ? 柚が『助けて』ってずっと目で言ってるの気づかねえのか? 子供は親の道具じゃない!』
うちはすごく嬉しかった。
うちがずっと言いたかったことを言ってくれたから。
この人がうちのヒーローなんだ……!
胸がドキドキした。
お母様は黙り込んで、うちは勝ったと思った。
『柚、あなたはもう家に戻っておきなさい』
『え? なんで……』
『いいから戻りなさい』
『あ……はい』
あのときお母様に従って素直に家に帰らなかったらよかった。二人だけの秘密の遊び場から立ち去るんじゃなかった。
ずっと今でも後悔してる。だって男の子はその日――
偶然足を滑らせて岩に頭をぶつけ、記憶喪失になった。
男の子の一家は遠いところに引っ越して、うちはまた一人になった。
五歳の夏だった。
―――――
(裕也視点)
「「「……」」」
松永の話を聞き終わって、俺と大野、森さんは絶句した。
まさか松永にそんな過去があったなんて。なのにあんなに明るい顔で笑ってられるのは、すごいと思った。
それもひとえに、その男の子のおかげなのだろう。
重い沈黙に耐えきれなくなったのか、松永が笑いながら言う。
「あっはは、すまんのぉ暗い話してしもう――」
「もう笑わなくていい」
俺はそう言って松永の言葉を遮り、抱きしめた。
森さんと大野が「ひゃっ……」「うお……」と謎の声を出して目を逸らす。……気まずいよなごめんな!? もうちょっとだけ耐えてくれ!
「泣いていいから」
「……」
「もう無理に笑うな」
「……っ」
松永の堪えきれなくなった涙が零れ落ちる。
きっと幼少期からずっと我慢してきた涙が。
「うわぁぁっ……!」
そこからは散々泣いた。
俺ももらい泣きして泣いたし、それにもらいもらい泣きして大野と森さんも泣いた。
高校生の男女四人が号泣しているという奇妙な光景が生まれてしまった。
5分後、ようやくみんなの涙が止まった。
大野が涙を拭いながら口を開く。
「俺は柚を救いたい。……みんなもそうだよな?」
「うん! わ、私なんか役に立たないかも知れないけど……と、友達だからっ……!」
「文……」
松永が森さんをあっけにとられた(?)顔で見つめる。
「俺も同意。てか、断る理由がない」
「ゆうちゃん……でも……もうみんなに迷惑かけたくない……」
「柚、一人じゃねえから」
大野がダメ押しにそう言うと、松永はハッとした。
「迷惑とか思ってたら、今こうして集まってねえよ」
「そうだよ! いつでも頼ってほしいな……!」
「柚は広島にいたころから、一歩下がってみんなを見てたよなぁ。その癖直せよ?」
「あ、え……」
松永は戸惑った様子でみんなを見回した。
そしてたっぷり三秒かけて、嬉しそうに言った。
「ありがとう!」
△▼△▼
昨日まだ書きかけのものを一瞬公開してたようで、申し訳ないです。
挙げ句更新がこんな遅れて本当に本当に申し訳ないです。
〜裏話〜
この後、「大野お前、一人でかっこつけすぎだろ!」と裕也が怒ってました。
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