第56話 過去

 うちの母、城田芽実しろためぐみはとても穏やかで優しい人だった。人を笑わすのが上手くて、幼いうちが愚図って駄々をこねる時も受け止めてくれ最後は冗談を言って笑顔にしてくれる


 お父さんはうちが生まれる前に亡くなって、女手一つで頑張って産んで育てようとしてくれた。


 でも優しすぎた母は車に轢かれそうになった子猫を助けてあっけなく死んだ。



『今日の晩ごはんはカレーにしよっか!』


『やったー!』


『今から食材買うてくるけぇお留守番しとってね』



 そんなやり取りが最期だった。

 八時を過ぎても帰ってこなくって、寂しくていじけていると家の電話が鳴って、きっとお母さんだ! と思って受話器を手に取る。



『城田柚ちゃんかな? 落ち着いて聞いてね――』



 その先の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

 気づいたら病院にいて、そこで初めて涙がこぼれた。



『まだ4歳でしょう? かわいそうね……』



 そんな憐れみの言葉が辛かった。ほっといてほしい、と強く思った。

 気づいたらお葬式が終わっていて、言われるがままにお母さんの妹、松永満美まみに引き取られた。

 うちはその人が初対面のときから苦手だった。

 

 本当にお母さんの妹? と思うくらいにずっと機嫌が悪くて、冷たい目線で睨みつけられるとうちはすぐ動けなくなる。

 あ、この人、やばい。そう確信するまでに時間はかからなかった。


 一緒に住むことになって、うちはようやく「もうお母さんと会えないんだ」と理解した。

 その瞬間枯れ果てたと思っていた涙が溢れてきて、へたり込んで泣きじゃくった。



『おかあさんに会いたい……もういっかいだけでええけぇ……』



 そんなことは叶わないと分かっているのに、願ってしまう。

 すると満美さんが言った。


 

『ねえ、そんなに私と暮らすのが嫌なの?』


『いやじゃ……ないけど……おかあさんもいっしょが……ええ』



 本当は嫌だった。一緒にいて楽しくないから。

 比べちゃいけないのに、お母さんとは全然違う。


 この人の声、嫌い。あったかくない。


 うちがそう思った瞬間、肩に強い衝撃が飛んできた。

 気づいたら仰向けになってて、床に転がっていた。

 と思ったら肩がズキズキして、ようやく理解した。


 うちはこの人に突き飛ばされたって。


 突然のことに頭が追いつかない。


 どういうこと? なんで? なにかいけないこと言っちゃったの?

 痛い。痛い……。



『痛いよ……お母さ、満美さん……』


『お母様よ』


『へ……』


『私のことはお母様って呼びなさい!』


『で、でも』


『分かったわね?』



 これを拒んだら、また突き飛ばされる。いや、もっと酷いことをされるかもしれない。



『う……うん』


『敬語使いなさい! 学習しないわね!!』


『は、はいっ』



 そんなこと一度も言われてないよ、なんて言えなかった。

 この人はおかしい。異常だ。だってお母さんは、こんなことしなかったもん。

 でもそんなことを言ったら、また怒られるから黙っとこう。



『ようやく静かになったわね。じゃあお勉強するわよ』


『え……あ……はい』


『じゃあこれ。解いて』



 それはまだ習ってもいない小1の問題集。しかも全くかわいらしくない、ガチガチの問題集だった。



『こ……こんなの解けない、です』


『これくらい解けるでしょ!! 早くしなさいよ!』



 だから解けないって言ってるのに。まるで聞く耳を持たない。

 その日から、地獄が始まった。


 友達と放課後遊ぶのは禁止され、ただただ勉強。

 大好きだったピアノ教室もやめさせられて、塾に通わされた。

 

 そんな日々にずっと泣いていたある日。

 その日はお母様の帰りが遅くて、久しぶりに外に出て泣いた。

 解けなかったらお仕置きされて、体は痣だらけ。


 

『うぅぅ……』



 もうやだなぁ。そう思ったときだった。



『ねぇ、なんで一人で泣いてんの?』


『え……?』



 顔を上げると、そこには男の子がいた。



『俺でよかったら話聞くぞ? あっ、友達できないとかだったら俺もだからいいアドバイスは出来ないけど――ってうわ!?』



 久しぶりに優しくされた。

 久しぶりにあったかい声を聞いた。

 そのことにもっと涙が溢れて、うちは思わずその男の子に抱きついた。



『ありがとぉぉ……!』


『? ど、どうした? 俺まだ何もしてないけど』


『ありがとっ、ありがとう……』


『?』


 

 男の子は困惑しながらもうちの頭を優しくなでてくれた。

 一段落ついて、うちはようやく状況を説明することにした。



『あ、あののぉ、聞いて』


『うん。聞くよ』



 かくかくしかじか、説明し終えると――



『は!? それやばいって!』


『そーなの?』


『えーっとなんだっけ、あれだよあれ! ぎゃくたい!』


『ぎゃく……たい?』


『自分の子供に酷いことしたらだめなんだよ!』


『でも……あの人は本当の母親じゃないし……』


『う……じゃあ例外か……』



 その男の子は難しい言葉をよく知っていて、かっこいいと思った。

 もっとお喋りしたかったけど、そろそろお母様が帰ってきそうな時間になったからその日はお別れ。



『じゃあな!』


『う……うん』



 うちはその日だけしか会えないのが寂しくて、帰ろうとする男の子に勇気を出して『ね、ねえ!』と声をかけた。



『ん?』


『またいつか、会えるかな!?』


『んーでも、その“お母様”がいたら会えないよな?』


『う、うん……』



 もう無理なのかな。今日みたいに都合のいい日が続くわけ無いもん。



『じゃあこうしよ! 今日みたいにお前の“お母様”がいないときは、ここに目印置いといて!』


『目印って?』


『そうだなー、じゃあそこに生えてる花! これ摘んで、置いといて! 俺毎日来るから!』



 その明るい笑顔に救われた。

 それから何日も何日も、お母様の目を盗んで男の子と会った。


 虫取りしてみたり、かけっこしたり。花冠の作り方は二人ともわからなくて、色々試行錯誤してみたり。その時に知ったけど、うちと男の子が目印にしていた花はシロバナタンポポって言うらしい。


 だけど、そんな日々も長くは続かなかった。



『ねえ柚? その男の子、誰? なんでお勉強してないの?』



 お母様に、見つかったから。


△▼△▼


 今回重めですみません……。

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