第7話 優雅な田舎での暮らし

 優花が少し小さく低い声で言った。

 その時、私には彼女がそう言う理由が分からなかった。なぜそんなことを言うのかを一瞬で頭の中の全細胞をフル回転させて考えた。

 私が、そして両親が亡くなって以来平和だった勝谷町がテロリストたちの標的になる。それも私のせいで。

 静まり返った空間のベンチに風が吹き、身体を駆け抜けて気持ちがいい。池にいるアメンボの波紋が、私の視野の一番遠方に映り込む。

 結局のところ、私はこのアメンボのように自由に池を駆け回る存在ではいられない。私が記憶している限り、両親が死んでからあの川の光景が頭に浮かんでは、そのまま死者と生者の世界の狭間のような場所に引き込まれていくことを自覚した。

 真さんの元に引き取られ、自分の布団が用意されたあの日から、私が優花や他の人間とは違うのだと薄々と感じていた。小学生に入り、日々を過ごしていく中でそれは確信に変わった。

 真さんが変わっていることをやっている人だと気がついた。自分のことをセラピストだと名乗り、ネットに広告を出していたし、カメラ付きモニターの前に座り、オンラインでメンタル講習なるものを行なっている様子もよく見かけた。その時の服装といえば、奇抜な青色のスーツを上下に着こなし、同じく青のシルクハットを被り、そこに黒いリボンをぐるりと一周巻いていた。

 当時からセラピストがどんな仕事内容かは、真さんからある程度までは聞かされていて、理解はしているつもりだった。だが私にはその姿は絵本で見たサーカスの一団の一人にしか見えなかった。

 実際、小学生の頃は真さんは本当はサーカスの団員なのだろうと勘違いしていたときもあった。

 勝谷町は農業の町というのが表だったPRで、優花のお父さんなどもビニールハウスでみかんを育てている農業出身者だった。

 それが私の家といえば、真さんのセラピーやら、故人のお父さんの幽霊研究やら、あまりにも奇抜だった。

 挙句の果てに、私まで死者の声をもう一度届けるなんて、客観的に見ると明らかに胡散臭いビジネスを始めたのだ。いくらバイト代わりだと説明しても、村社会なので噛み悪がられると、ずっとご近所で噂される。

 実際、私はしおれた草を刈り取っている、麦わら帽子のおじさんから現在進行形でじっとこちらを見られている。私が軽くこちら見返すと、さっと自分の身長ほどある雑草の影に隠れるようにして仕事に戻った。

「ハァ…」

 思わずため息を履いて、私は隣にある真さんの家の前に立った。どうやら美穂のおばあちゃんが悪い噂を流したのは、自分の家のご近所ではないらしい。

 まさかの嫌がらせをするためにわざと私の家の周りに悪い噂を振り撒くとは。

 私は相当キモがられているらしい。田舎の嫌なところが出て来ていると思った。

 私はできるだけ後ろを見ないようにして、門の前に立った。カバンからマスターキーを取り出して鍵穴に入れる。回すとセキュリティが無効化し、門が開いた。

 その奥にある玄関も同じようにマスターキーで開けて、家の中に入る。

 真さんはこの時間お仕事中だ。今日は訪問客が誰もいないらしく、奥の部屋で資料を作っていた。

「おかえり。冷蔵庫にオレンジジュースあるから飲みなよ」

「後でね」

 真さんにそれだけ言って、洗面所で手を洗って2階の階段を駆け上がって、自分の部屋の扉をバタンと閉めた。

 鞄を机の上に置くと、一目散にベットに飛び込んだ。

 ちょうどベット横にある窓から、外の様子が見える。こっちは薄い雲がちらほらあるだけで、日光がギラギラしている。でも山の向こう側が暗い。積乱雲が迫って来ている。

 今日から夏休みだ。そして今日はもう予定がない。

 顔を傾けて自分の机の上に置かれた鞄と、壁に貼られた夏休みカレンダーを今後に見やった。

 部活に入っていない私のカレンダーで唯一赤線が引かれている所を目で追う。

 8月22日 勝谷町 御霊盆地 夏祭り。

 私の、と言うより勝谷町全体の一大イベントだ。

 準備は8月に入ってからスタート。まだ少し日がある。

「よっと」

 勢いをつけてベットから起き上がり、机に備え付けの椅子に座って鞄の中身を取り出す。棚に綺麗に宿題を整列させて、鞄を物が少ないクローゼット中にしまう。

 そこからしばらく宿題に手をつけた。私はギリギリになって宿題をやるのが嫌いなタイプだ。と言うより、宿題をやらなければと、プレッシャーに追い立てられている感じがあまり好きじゃない。どちらかといえば、計画的にゆっくりやっていきたいタイプだった。

 夕方になって真さんが私の部屋をノックして来た。私が顔をドアの隙間から覗かせると、仕事が終わったので、今日の夕ご飯の買い出しをしにいくが、何が食べたいかと言うことだった。

 真さんは料理がうまい。長年独身で、私という姪っ子がいるのも大きいだろう。

「カレーがいいな」

 私はなんとなくそう言った。最近はあまり食べてなかったというのもあって、カレーの口になっていた。

「向いの町のスーパーまで車走らせてくるわ。今晩は夏子も手伝いいける?」

「もう期末テストも終わって夏休みだし、まったく大丈夫よ」

「じゃあ、お留守番頼んだ」

 真さんはそう言って家から出ていった。

 勝谷町の隣町である、平賀町のスーパーまではまでは車で20分程度。勝谷町には道の駅はあれどスーパーは存在しない。

 単身赴任でやって来た御手洗先生は都会に行けばスーパー歩いていけると、不満を述べていたことを思い出した。私もそこは同意するが、もうなんとなく慣れてしまった自分もいる。なんと言っても生まれてから勝谷町意外で暮らしたことがないのだ。

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