初陣を掴めっ!②

 ――虎哉こさい宗乙そういつ

 伊達領内にある資福寺の住職であり、政宗が幼少時代からの学問の師である。


「……そんな風に見える?」

「ええ。進む道はわかっていながらも、巨大な壁に苦戦を強いられておられる。とても姫様がするような顔では御座いませんぞ、カッカ」


 笑いながら宗乙はそう答えた。

 流石は仏に身を置く人間。私の悩める心などお見通しというわけだ。


「なんでも喜多と一戦交えたとか」

「――よく知ってるわね⁉」


「小十郎が姫らしからぬ行いだと嘆いておられましたぞ。まるで姉が増えたみたいだと」

「アハハ……、結局手も足もでなかったけどねー」


「カッカ! そりゃあ姫様、相手が悪い。喜多は幼き頃から左月さげつ殿にみっちり鍛え上げられた、いわば鬼。実力だけならそこらの侍大将より上ですぞ」


 鬼って……。いくらなんでもそれは言い過ぎな気がするが、今思い出せば喜多は私との一戦でずっと涼しい顔をしていた。それはイコール全然本気を出していないという事だ。

 もしも本気を出したら……。一瞬鬼のような、般若のような女の顔が浮ぶと同時に寒気が襲う。


「『人に致して人に致されず』。この言葉をご存知で?」

「……何それ?」


「かつて孫子という男が残した言葉ですじゃ。戦上手の者は自分が主導権を取り、相手の呼吸に合わせない。姫様は大方、長槍を得意とする喜多に真正面から突っ込んだのでは?」


 その通りだ。私は槍を扱う喜多に真正面から挑んでいた。

 バット、ナイフ、メリケンサック。相手がどんな武器を持ってようが、私は自分のスタイルを崩した事がない。それで今まで通用していたのだ。


 それがどうだ。私は喜多との戦いで一度も彼女の懐に入る事が出来なかった。

 先端で胸をつつかれ、薙ぎ払いで脚を取られ、最後は喉元に。


 自分のターンなんて一瞬たりとも存在しない。

 一方的で、まるでイジメられっ子の気持ちが分かるような、そんな悔しい敗戦だったのだ。


「若を見なされ」


 私は宗乙に言われるがまま、訓練場で汗を流す政宗と小十郎に視線を向ける。


「まだまだ粗削りですが、若も自分の間合いを大事にしておられる。無理して相手の領域に踏み込まず、好機を見定めている。儂の教えをちゃんと守っておられるわ、カッカ」

「ふーん」


「じゃが、今日はいつもより気合が入っているようですのう。はてはて、どうしてか……」


 そう呟くと、宗乙は私を見てニヤリと笑う。

 政宗の心情を私に問うのはやめてほしい。私は心理学者ではない。


「――さまっ! ――姫様っ! ――愛姫様っ!」


 遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。そして段々とその声は近づいて来る。


「おっ、この声は左月さげつ殿ですな」

「やばっ、もう見つかっちゃった! 和尚、その話また今度聞かせて!」


「ん、孫子の兵法ですな。いいですぞ、いつでも声を掛けてくだされ」

「約束だよ! じゃーね!」


 そう言って、私は訓練場から逃げるように去るのだった。


 ――――――――――


 伊達家居城・米沢城内の政宗屋敷。

 その中の一室で私は華麗に茶を点てる。まるで何もなかったかのように、始めからここにいましたと優雅に茶釜から茶器にお湯を注ぎ、茶筅ちゃせんでシャカシャカと混ぜ合わせた。


「どうぞ」

「うむ」


 私は漢の前に点てた茶を差し出した。

 漢は手に取った茶器を回し、ゆっくりと舌で味わうように茶を喉に通す。


「んふー、美味い! いつの間にか腕を上げたのう」

「そうかなぁ? いつも通りなんだけど、新しく仕入れた茶葉が良いのかもねー」


「いやいや、前回飲んだ時とはえらい違いじゃて。仕立て方、湯の温度、そして部屋の雰囲気。まるで人が変わったようじゃ」

「まぁ外見は変わらないけど、中身は変わってるからね。茶葉と一緒で」


 ガハハと、笑顔で私の点てた茶を楽しんでいるのは政宗の父・輝宗だ。そんなに私の茶が美味しかったのか、二口で全部飲み干してしまった。ここまで嬉しそうだと私も気分が良い。出来れば美味しい茶菓子も用意出来れば完璧だったが、この時代の事を考えるとそこまで贅沢は言えまい。


 それにしても本当に楽しそうだ。前世で習っていた茶道や生け花のスキルがこんな所で役に立つとは。

 そんな事を思いながら私はもうひとつ、輝宗と一緒に入ってお付きの漢のためにもう一杯茶を点てるのだった。


「はいどうぞ。これは左月のお茶ね」

「…………」


 私が左月と呼んだ老将は目を切ることなくジッと見つめながら、渡された茶をズズズッと空になるまで飲み干し、トンッと畳の上にわざと音が鳴るように置いたのだった。


「……確かに良き茶ですな。流石は姫様にござる」


 と、褒めてくれるのは良いものの目が笑っていないのが怖すぎる。

 その重い空気は隣にいる輝宗は勿論、私の斜め後ろにいる喜多も同様に感じ取っていた。


 何故こんなに機嫌が悪いのか。

 それについては大方予想はついていた。


「それで姫様、今朝方は何処へお出かけに?」


 きた。想像通りの質問に私は一言で対応する。


「お散歩」

「またお供を付けずに散歩で御座いますか。姫様の身に何かあったら困ります故、ひとりで出歩かないでほしいと何度も――」


 ガミガミと、また始まった。この漢の説教癖は蚊並みにしつこい。


 ――鬼庭おににわ良直よしなお

 別名 左月斎。伊達家の重臣であり、『鬼左月』と呼ばれるほどの槍の名手。ちなみに喜多は母・直子と左月との間に出来た娘であり、その後離縁し、再婚した片倉景重かげしげとの間に生まれた子が小十郎である。


「それ何回も聞いた」

「でしたら言う事を聞いてくだされ! 伊達領といえど商人あきんどふんした敵国の間者が紛れている事もあるのですぞ。今一度ご自身の立場というものを――」


「あーはいはい。わかりましたー。以後気を付けまーす」


 一度説教が始まったら三十分は止まらないのが左月だ。

 私は適当な生返事で対応する。


「そもそも喜多、お前は何をしておる! 姫様の側におるのが侍女としての務めであろうが!」

「それについては申し訳ないと思っています。ですが父上、姫様は私の目を欺くのが上手いのです!」


 折角の茶の場を無下にするように、左月と喜多の間で言い合いが始まった。

 まぁ原因は私なのだが。


「他の侍女に変装したり、用を足しに行けば窓から抜け出し、最近は布団に衣類を着せた丸太を入れたりと……」


 他にも色々あるが、特に多いものを次々と吐き出す喜多。

 お前は忍びか、と輝宗は私にツッコミを入れた。


「まぁここに参ったのも茶を楽しむだけではない。……愛よ。お前が強くなりたくて訓練場に通っているのはわかっているが、一応政宗の正妻であるという事も理解してくれ。あまりにもうつけが過ぎると家臣達にも示しがつかんでな」

「う、うつけ⁉」


 そんな事を言われるなんて思ってもみなかった。

 強くなりたいと、自身を鍛える事がそんなに悪い事なのだろうか。


 まぁ確かに一国のお姫様がするような事ではないのかもしれないが、それはあくまで一般的なお姫様の話だ。私の性には合わない。

 

「強くなることのどこがうつけなのよ⁉ 私が強かったら戦術の幅が広がって助かるでしょーが! むしろこんな優秀な姫で感謝しなさいよね!」

「う……、ちと頭が痛うなってきた。まさか姫様……」


「ええ、来年政宗の初陣があるんでしょ? それ、私も行くから」

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