第145話 注射①
◆注射
その時、病室を冷気が包み込んだ。
それは市村芙美子も同じだったようだ。両腕で胸を抱え込み、「何だか寒いわ」と、言った。
何かが起こる。
俺は、それを防がなくてはいけない。
「市村さん、お願いだ。それ以上は言わない方がいい」
俺は市村小枝子にそう言った。
俺を責め立ててはいけない。そう言ったのだ。
「あなた、何を言っているの?」
「ダメなんですよ。俺を責め立てたりすると、あなたの身が危なくなる」
「私が危ない?」
だが、もう遅い。
すぐにそれは分かった。
何かの合図のように、カチャカチャと小さな音がした。看護師たちの様子がおかしい。
続けて、部屋の照明がバチバチと音を立て点滅を繰り返し、一本の蛍光管が切れて、部屋が薄暗くなった。
「芙美子さんのお義母さん、ごめんなさい」
市村小枝子の背後を見ながら、そう言った。
「え?」
「ごめんなさい」俺は繰り返しそう言った。
「中谷さん、何を謝っているの?」
その理由を言っても、信じてもらえないだろう。
「俺を責め立てては、いけなかったんですよ。でも、もう遅い・・」
俺がそう言うと、バカにされたとでも思ったのか、
「な、何なのよ、あんた! さっきから変なことばかり言って」
市村小枝子は俺に抗議しようと詰め寄ってきた。
だが、俺に近づくことは一切できなかった。
「えっ?」
一瞬、市村小枝子は自分の置かれた状況が理解できないようだった。
見ると、年配の看護師が床に伏せ、市村小枝子が動けぬよう、足首を掴んでいる。
更に、若い看護師が、年配の看護師の上を跨ぐような格好で、大きく両足を開き仁王立ちして市村小枝子の腰を掴んだ。
市村小枝子の固定化が完了するまで、あっと言うだった。
「ちょっと、あななたち、何をしているのっ!」足元を見ながら言った。
市村小枝子は、そう言うことしか言葉が見つからないのだろう。
「早く、足を離しなさい!」足をくいくいと動かしながら言った。だが、腰も掴まれている故に動きもままならない。何か別の力が働いているようにも思える。
それに何を言っても、看護師二人組は反応しない。忠実に誰かの命令を履行しようとするかのように機敏に動いている。
間違いなく看護師の二人は、芙美子に憑依されている。間近に芙美子がいるのでいつもより強力なのかもしれない。
年配の看護師が、「私が持っているから、ミタニさんは早く注射を!」と指示した。
命じられた若い看護師は、「はい、ヤマダ先輩」と元気よく返事をして、両手で市村小枝子の頭を押さえ込んだ。
カチャカチャと音が断続的に聞こえる。
「注射って・・どういうこと!」
人間は体を動かせなくなると、恐ろしく慌てふためくものらしい。
「中谷さん、この二人を何とかして頂戴っ、私、体が動かせないのよ」
市村小枝子は俺に助けを求めた。彼女の足首を見ると、年配の看護師の両手の指も伸びている。その指先が赤々と燃えるように光っている。あの高坂百合子の足首を掴んでいた教師の黒川の指のようだ。
「ああっ、熱いっ、足が焼けるっ!」市村小枝子はあらん限りの声で叫んだ。
同時に、焦げるような匂いが足首から立ち昇った。足が焼けている!
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