第142話 白いカーテン②

 グルグルと混乱する頭を打ち破るように、市村小枝子が言った。

「最初はね、意識があったらしいわ」

「え?」

 そうだったのか? それは知らなかった。

 市村小枝子は、見舞いの品をサイドテーブルに置きながら説明した。

 彼女が言うには、芙美子は洞窟から救出された時には、意識があったらしい。

 それは救急隊員が証言している。

「といっても、入院となった時点で、ご覧の通りの状態になったのよ」

 とても、昏睡状態の患者には見えなかった。静かに寝ているだけに見える。

 俺が、「目覚める可能性は?」と訊くと、「お医者さんにも分からないんですって」と言って、こう言った。

「心を閉ざしているんじゃないか・・お医者さんはそう言っていたわ」

 その人が言うには脳には異常がない。もちろん体にも特に何もない。昏睡状態となる理由が見つからないらしいのだ。


「でも・・ほら、綺麗な寝顔でしょう」

 市村小枝子は芙美子の横顔を眺めながら言った。

 確かにその通りだ。それに薄らと口紅が引かれてある。

 俺がその事を訊ねると、「さあ、どうかしらねえ。看護師さんの誰かがしてくれているのじゃないかしら?」と言った。

 てっきり、義母である市村小枝子がしているのかと思ったが、違った。古田が言うように、見舞いにそれほど通っていないのなら、そんなことまで気が回らないのだろう。


「あのベット、窓に近いですよね」

 位置的にあんなものかとも思ったが、カーテンが芙美子の顏に降りかかりそうなくらいの距離だ。

「どうかしらねえ、最初はもっと手前にベッドがあったような気がするわね」


「花・・がありますね」サイドテーブルに置かれた花瓶には花が活けられている。

 他にも見舞い客がいるということだ。

「誰かしら? 前にも違う花があったわね」市村小枝子にも分からないようだ。最もそれほど見舞いに来ていないのなら、知らないのも当然な気がする。


 様々なことが気になるが、最も気になるのは、あのことだ。

「手・・は?」と市村小枝子に訊ねた。

「手?」

「芙美子さんの手、潰れているのではないですか?」

 そう・・俺は洞窟近くで出会った老人から、救出直後の芙美子の様子を聞いている。

「その子、お気の毒に・・穴から必死で這い上がろうとしたんだろうねえ。その手が、血だらけだったそうだ」

 手が血だらけ、と救出した人が言っていたそうだ。

 それに加えて、こうも言っていた。

「その子の指、異様に長かったらしい。その長い指がことごとく潰れたようになっていたそうだ」

 確かに、「長い指が潰れていた」と言っていた。

 

 俺はそのことを確かめるようにベッドに近寄った。両手はシーツの中だ。

「佐伯さん。それにしても、よく御存じねえ」後ろで市村小枝子が言った。

 俺は振り返ったが、「え、それは・・」と口ごもった。

「知り過ぎよ」

 薄ら笑いを浮かべる市村小枝子に、「実は前もって、知り合いから聞いていたんですよ」と言い訳のように言った。

「ふーん」という風に彼女は言った。おそらく納得はしていないだろう。

 そして、

「佐伯さん、芙美子さんの手を見てみる?」

「いいんですか?」

 俺は了承を得た上で、芙美子のベッドの脇に立った。

 真上から見ると、今にも目を開けて起き上りそうなくらい、本当に綺麗な顔だ。血色もいい。胸の隆起が静かに規則正しく上下している。呼吸の音も僅かだが聞こえる。

 本当に芙美子は生霊となって、ここから様々な場所に行ったのだろうか?

 健康的とは言い難いが、スッとした顔を見ていると、生霊のことなど、どこか、よその世界の出来事に思えてくる。

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