第141話 白いカーテン①

◆白いカーテン


「芙美子さんは、今も昏睡状態なんですよね?」歩きながら訊いた。

 分かってはいるが、念の為に確認した。

「ええ、そうよ」

 芙美子は昏睡状態の患者だ。

 どうやって、その生命を維持させているのか、俺は全く知らない。

 市村小枝子が説明するには、

 意識のない昏睡状態の患者に、栄養を送り込むのには、様々な方法がある。まず胃腸が動いているかどうかでも異なる。

 そして、人工的に栄養や水分を補給する方法には、腸を経由する「経腸栄養」と、腸を経ずに血管の静脈に栄養剤を入れる「経静脈栄養」の2種類があるらしい。

 芙美子の場合は、胃腸が動いているのでこれらの方法のどちらも使える。

 どちらも使えるのにも関わらず、静脈に栄養剤を入れる方法がとられているということだ。それが医者の判断らしい。

「たぶん、時間的に、その点滴の時間と重なるわね」

 その通りなのか、看護師が準備を始めているようだ。

「こんな時間に来て良かったのでしょうか?」

「かまわないわよ。重なっても、顔を見るだけですもの。そんなに長居するわけでもないし」市村小枝子はそう言った。

 それはそうだが、それは芙美子に意識が無い場合のことだ。

 俺は、これまでの現象は間違いなく芙美子の生霊だと考えている。

 だとするのなら、芙美子は意識がないように見えても、俺が来院したことが分かるのではないだろうか? 

 分かるのなら、自分のそんな姿を見られるのはイヤがるかもしれない。


 いずれにせよ、この暗い廊下の突き当りの右手が芙美子の病室だ。怖い気持ちもあるが、何かに吸い寄せられるように俺は、市村小枝子の後に続いた。

 廊下は、病院特有の匂いが立ち込めている。

 途中、女性たちの談笑が聞こえた。見ると看護師の休憩室のようだ。微かに「あの子が?」とか「それって不倫よねえ」「まだ日が浅いのに」とかの言葉が聞こえた。 下世話な噂話の類いだ。

「あそこは病院のスタッフの休憩室よ」と市村小枝子が振り返って説明した。

 それにしても、ドアが閉まっているにも関わらず、よく聞こえたものだ。


 すぐに廊下を突き当たった。

 心臓が破裂しそうになるが、市村小枝子はそんな俺の心情は知らず、305号室「市村芙美子様」と書かれてあるドアをノックした。

 返事が返ってくるはずもないが、一瞬だけ、「はい」と声が聞こえたような気がした。


 ドアを開けると、部屋に風が吹き込んでいるのが分かった。

 白いカーテンが静かに揺れている。

 さっきまでの暗い雰囲気とは正反対の白い世界だった。壁も綺麗に塗り替えられているし部屋も明るい。

 そして、窓際のベッドに芙美子・・おそらく芙美子だと思える患者が寝ている。

 その手前にはおそらく心電図のような計測器などの様々な医療器具が置かれている。細いチューブがシーツの中に入り込んでいる。

 芙美子が意識を取り戻した時、分かるようになっているのだろうか?


 芙美子は、白いシーツに頭だけを出し、その長い髪は枕の上に広がっている。意識が無くても髪も伸びるものらしい。大学時代の芙美子の髪の長さと同じようだが、誰かが手入れをしているのだろうか。

 そして、その横顔・・

「芙美子!」思わず声を上げそうになった。

 瓜実顔に、すっと通った鼻筋、小さな口。紛れもなく芙美子だ。ただ、その頬は以前よりも痩せている。

 遠目に見ても芙美子だと分かると、心臓の動きが太鼓を打つように大きくなった。

 俺はこれまでの出来事を走馬灯のように思い出していた。

 まず最初、ファミレスで近藤を襲った女や、モップを持った近藤の父親。そして、セクハラの花田課長の体を砕いたパワーショベル。

 ショッピングモールでの少女たちの悲惨な出来事や、サイトでの異様な出来事に、教師の黒川。会社で工場長の木村さんの頭を掴んだ小山田さん。最近では、片倉女史の車の前に現れた高坂百合子の母親。

 思い出せばきりがない。


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