第122話 他の子②

 その時、一人の少女が、

「私、見たわ。アンドウさんが中谷さんの背中を突いているのを見ました」と声を上げた。

 手を上げた少女につられるように、別の子が、

「アンドウさんは、こう言っていました・・『中谷、邪魔や。はよ、歩かんかいっ!』って」と証言した。

 酷い・・

 すると、そのアンドウという目の鋭い女子が、証言した女子たちを睨みつけた。

 アンドウという子は、クラスの中で睨みが利くのか、教師が「それ、本当なの?」と証言した子たちに寄っていくと、「そんな気がしました」と言い方を変えた。

「確かじゃないのね?」教師が念を押すように訊いた。

 教師たちも事を荒立てたくはないのだろう。

 俺が現場を見ていれば・・そう悔やんだ。だが、もし目撃したとしても小学低学年の言葉はそれほど信用はされなかっただろう。


 姉の方を見ると、姉は膝を抱え込んだままだった。姉は俺と目が合うと、首を横に振った。

「私はかまわないのよ・・」

 そう言っているように見えた。

 その日の夜、姉の怪我を見た父が、「学校に抗議する」と息巻いたが、姉は父を制した。

「私は、皆と同じ学校にいられるだけで楽しいの」

 姉の「楽しい」という言葉に母が咽び泣いた。

 俺は、思っていた。

 たまたま今日、姉の災難に出会ったが、姉は毎日のようにイヤな思いをしているのではないのだろうか? あれほどひどくはなくても数え切れないほどあるに違いない。

 だが、これが姉の選んだ道なのだ。

 姉はそう信じて生きている。

 幼かった俺と一緒に駈けることのできない姉が、皆と同等になろうとした人生なのだ。

 たとえ、それが、皆と同じように長くはなくとも。


 その日、俺は思った。

 姉以外の人間の心は汚れている、と。

 父が言っていた「他の子」というのは、姉を軽視する人間たちのことだ。


 それから数日経った日の夜、姉は部屋に俺を呼んだ。

 勉強机の脇の小テーブルには数種の薬と水が置かれている。決して健康的な女の子の部屋とは呼べない。薬の匂いも微かにしている。

「コウちゃんだって、辛い思いをしているんでしょ?」姉は優しく訊いた。同時に姉の香りがした。薬の匂いと混ざり、それが哀しかった。

「何のこと?」

「だって、コウちゃん。学校で何かされてるでしょ?」

「わかるの?」

「わかるわよ」

 俺の体には、どこにもイジメの痕なんて無かったし、涙も見せてはいなかった。

 キャンプの時に石をぶつけられたことも両親は知らない。

「どうして、そう思うの?」

 俺が訊くと、姉は優しく笑って、

「だって、私、コウちゃんのお姉ちゃんなんだもの」と強く言った。


「でも、どうしようもないよ」俺は言った。

 まさか、姉が乗り出して、クラスの連中に抗議するわけにもいかない。そんなことをすれば逆効果だし、心臓の悪い姉には毒だろう。

 姉は「そうね」と力を落とすように言った。「悔しいわ」とも言った。

 もっと小さかった頃は、姉によく助けられたりした。近所の子らにからかわれたりしていると、姉が出ていって、相手の子に文句を言ったりもした。

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