第121話 他の子①
◆他の子
俺が高校になった時のことだろうか。
父が何かに耐えかねたように洩らした言葉があった。
「どうして、あんな心の綺麗な子が、他の子たちより先に逝かなくてはならないんだ!」
あれは母に言った言葉だったのか、それとも、父の言う「他の子」に向けての言葉だったのか。
今、俺は思う・・
あれは、「他の子」に対する言葉だったのだ、と。
他の心の汚れた子が死なず、一番心の綺麗な我が娘が先に逝った。そういう意味だったのだろう。
それが頷ける出来事も多々あった。
体の弱い姉は、疎まれていた。
教師からの手厚い保護を受ける姉を妬んでいる生徒は少なくはなかった。
それを知るきっかけは多くあった。夏のキャンプだ。
たった一度だけ、小学生の姉と俺が一緒のキャンプになったことがある。
キャンプ場は、田舎の中学校の校舎と運動場を使用した簡易なものだった。
同じ場所のキャンプでも高学年の姉と、三年生の俺は近くにはいない。
だが、同じクラスの男子が言った。
「おまえの姉ちゃん。歩くのが遅いんだってな」乱暴な言い方だ。
それは知っている。姉は走ったりすることはもちろんのこと、早歩きも控えるように医者に言われている。階段を駆け上がるなどは、もってのほかだ。
「知ってるよ」
素っ気なく答えると、その男子はこう言った。
「・・さっき、背中をどつかれたらしいぜ」そいつは楽しそうに言った。
姉が背中をどつかれた?
そう思った時、俺は駈け出していた。姉のいる場所は分かってる。旧校舎の方だ。
走り出した俺の背中に鋭い痛みが走った。
生徒たちの誰かが、石を投げたのだ。いつものことだ。
「ナイスコントロール!」誰かが囃し立てるように言ったのが聞こえた。
振り返る時間も勿体ないし、抗議したところで状況は変わらない。俺にとっては姉の様子の方が大事なのだ。
走りながら俺は思い出していた。
姉が父母にいつも言っていた言葉だ。
「学校だけは、皆と同じ学校に行きたい」もちろん、中学、高校も同じように、皆と同じように進級したい、それが姉の願いだった。
それは普通の人間から見れば、容易なことに思えるが、姉のような体の人間には時として過酷な試練となる。
姉のいる場所に着いた時には、事は済んだ後のようだった。
女性教師が、二人の少女を問い詰めているところだった。姉は? と見渡すと校舎の階段近くにあるベンチに腰かけていた。膝を数か所、擦り剥いているように見えた。
一人の女子が「中谷さん、大丈夫?」と声をかけている。姉は「うん」と答えているように見えた。
すぐに駆け寄ろうとしたが、
別の教諭が俺を見て、「弟さん?」と声をかけてきて、事情を説明し始めた。
姉のクラスは体育館に向かうところだった。生徒たちは、旧校舎の外側の狭い通路を歩いていた。教師も「みんな、急いで!」と号令をかけていた。その時の教師の頭には、その中に病弱の姉がいることは無かったのだろう。
教師は「たぶん、他の誰かが、お姉さんを突いたのよ」と言った。
そして、「石段を転がり落ちたの」と状況を説明した。「大した怪我でなくて良かったわ」とも言った。
通路の側面には手入れの施されていない石段がある。
俺が誰かに背中を押され、姉が転がっていくところを想像した。
女性教諭と話していた女生徒の声が聞こえた。
「私、中谷さんを叩いてなんかいません」
目のきつい少女だ。
「『もう少し早く歩けないの?』そう優しく言っただけです」
その少女の目を見た時、それは嘘だと思った。
彼女といたもう一人の大柄の少女が、
「そうですよ。アンドウさんは、手を出したりしてないです」と援護した。
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