第117話 深沢邸①

◆深沢邸


 三日後、携帯に古田からのメールが入った。

 芙美子の母、市村小枝子の連絡先だ。ご丁寧に家に行くまでの順路も書かれてある。

 すぐにでも行くつもりだったが、その一方で、全く別の要件の連絡が入った。


 それは妻の実家から、つまり、美智子の父親からの呼び出しだ。

 土曜日の昼過ぎ、芦屋の義父の邸宅を訪れた。いつものように彼の書斎に通され、厳かな応接セットのソファーに腰を掛けた。

 義父と向き合うと、お手伝いさんのような女性が日本茶を配した。年齢は40歳くらいだろうか?前に来た時はこのような女性はいなかったはずだが・・と思っていると、

「この年になると、何かと不便でね。彼女は友香子さんと言って、先月から来てもらっているんだよ」

 紹介を終えると、友香子さんは一礼して部屋を出た。

 義父の名は、深沢勝次だ。俺の今の会社の地位は彼のお陰だ。感謝している。

 そして、深沢氏は妻、つまり、俺の義母とは別居中だ。以前、妻から「父には愛人がいる」と聞いたことがある。事の真偽は分からないが、あまり俺とは関係ないことだ。もしかすると、友香子さんがその愛人であるかもしれない。


「幸一くん。どうかね、仕事の方は?」

 義父のいつもの切り出した。いつもその後、今後の事業展開の話に触れる。そして、その後、本題に入る。

「人生、色々ある」と人生哲学を言った。俺は頷く。その通りだと思った。

 その後、長々と世間話を進め、ようやく、妻の話に辿り着いた。

 借金の話は、保証人になっている父親の方にも連絡があったらしい。どんな手段だったのか、深沢氏は触れなかったが、

「わしは、金に関しては、娘夫婦とは別に考えている。家だけは例外だがな」と言った。

 俺はてっきり、父親として借金を肩代わりするものと思っていた。


 あれから、妻と少し話をした。妻はあの夜、想像通り父親に金の無心をしに行っていたのだ。

「お父さんには、断られたわ」

 暗い顔の妻の借金の使途・・

 妻は、片倉女史の夫のネットワークビジネスにつぎ込んでいたのだった。

 男にいいように騙されているのか、それとも援助しているのか。

 いずれにせよ、不倫、借金・・既に婚姻を継続できない域に達している。

 不倫に関しては、妻の口からまだ聞いていない。聞いてはいないが、借金の使途が片倉さんの夫であることから、既に白状しているようなものだ。

 不倫の件を妻が吐露すれば、今の生活が瓦解することだろう。ある程度、それは覚悟している。

 気がかりなのは、娘の裕美だ。

 俺たち夫婦が離婚すれば、裕美は当然妻が連れていくだろう。妻がそうしなくても義父の深沢氏がそうする。

 普通ならばそれで決着となる。だが、裕美はどう考えても普通ではない。

 ・・俺はこう思っている。

 今の裕美は、以前とは比べようがないほど、俺を慕ってくれている。

 しかし、それは、芙美子の魂が寄り添っている裕美だ。

 更に、これも推測だ。

 裕美から、芙美子がいなくなれば、裕美は以前のような裕美、つまり、

 俺を父親として認めなかった頑なな娘に戻る・・

 そう考えると、強烈な寂しさが襲う。妻との関係が壊れかけている今、

 裕美の存在だけが、俺が掴んだ唯一の証に思えた。


 深沢氏は、

「金は、扱い次第で人の関係や会社を壊す」と持論を話した上で、

「美智子は、おまけに男もつくりやがった」と吐き捨てるように言った。

「あいつは、誰に似たんだか・・」と小さく言った。「あいつ」というのは妻のことだ。

 深沢氏に本当に愛人がいるのなら、「あなたに似たのでしょう」と言いたいところだ。

「幸一くん、迷惑をかけたな」と深沢氏は言った。

 俺は「いえ、別に」とだけ言った。あまりに異なる身分の会話だ。義父の言葉を覆すようなことは口にできない。

 そして、深沢氏は、長々とした話を結論づけるように、

「美智子は、わしが家に連れて帰る」と言った。

 まるで、娘が親離れしていないような言い方だ。そして、そこに俺が意見する隙がない。

「妻は・・美智子さんは、何と言っているのでしょう?」

 あれから、妻は父親と話をつけたのだろうか?

「あいつは、返事を渋っているが、こういうことは長引かせるのはよくない」

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