第113話 頭①

◆頭


 つまり、知らなかったのは、俺だけだったということか。

 俺は心の中で苦笑した。

 これまでの俺は、人生を登り詰めることだけに専念し、他の肝心なものがまるで見えていなかった。

 気がついたら俺は何も掴んでいなかった。あれほど俺のことを思ってくれた芙美子を放置し、今の生活を手に入れたつもりだった。

 だが、今の俺は・・


「家に入るのは、やめた方がいいと思う・・」

 俺は、別の意味で彼らに忠告した。

 ここには、裕美がいる。裕美はドアの向こうで待機している。

 これまでの経験から、分かることがある。

 俺の身に何かあれば、裕美に芙美子が寄り添う可能性があるし、また、あのショッピングモールの不良少女たちを襲った惨劇のように、この三人のうちの誰かに芙美子が憑依するかもしれない。


 お前たちに災いが降りかかる。俺はそういう意味を込めて彼らに言った。

 俺の言い方が癇に障ったのか、屈強な男が、「おまえ、ふざけているのか?」と言って、弁護士風の男を指し、「ゴトウ先生が、家の中を見せろ、と言っているんだろうが!」と怒号を浴びせた。

 ゴトウと言われた男は、「まあまあ、カシヤマさん、落ち着いて」となだめるように言った。

 彼らのやり取りは、定型文から成り立っているように感じた。

 一人が脅かし専門で、一人が専門家風を吹かし。三人目は、茶々入れの子分役。ドラマなどでよく見るパターンだ。まさか、おれがその憂目の当事者になるなど、夢にも思わなかった。

 

 俺は続けて、「家に入るのはやめた方が賢明だ。そう言ったんだ」と繰り返した。

 すると、小男が横槍を入れてくるのかと思ったが、

「カシヤマさん。俺、何か悪い予感がするんすよ」と耳打ちするように言った。

「悪い予感だと?」

 小男は「なんか、寒いっす」と両腕で体を抱えた。

「なんだ、そりゃ」カシヤマが言った。


 俺も悪い予感しかしない。それは今までの経験でそう思う。

 頭の上で、街灯がバチバチッと音を立て点滅を繰り返した。すると周辺の蛾が離れていった。

 次に、弁護士風のゴトウの眼鏡がサッと曇った。熱いラーメンを啜った時に蒸気でそうなるように。

 ゴトウは「あれ?」と言って眼鏡を拭いた。


 続けて、小男は何かを感じ取ったのか、

「俺、さっきから、体がおかしいんすよ」と言った。

「シゲタ。うるせえな、さっきから、寒いと言ったり、変な予感がすると言ったり」カシヤマが迷惑そうに言った。

 小男のシゲタは、

「カシヤマさん。俺、お腹が痛くなってきて・・腹を下したかもしんねえ」と言った。

 街灯に照らされた男の顔を見ると、確かに腹痛を我慢しているように見える。顔に汗が滴っている。


 俺の早合点なのか・・小男は芙美子に憑依されたわけではなさそうだ。

 しかし、この寒気はなんだ? 三人は気づいていないようだが、洞窟の中にいるような冷たさを感じる。

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