第112話 訪問客②

「おや、ご主人ですか?」

 屈強な男がそう言って、「奥さんがおられないようなので、こうして、娘さんに相手をしてもらっていたんですよ」と笑った。不気味な笑い顔だ。その高圧的な顔で人を威圧することに慣れてる。そう感じた。

 すると、眼鏡の弁護士風の男が「御主人、私たちはこういう者です」と言って、名刺を差し出した。街灯に照らされた印面を見ると、「鎌田商会」と書かれてあるが、 その営業種目には、「金融」と小さく書かれている。

 即座に、高利貸しの類だと感じた。

 だが、なぜそのような種の人間たちが、ここにいる?

 まさか、妻が・・


 大男が子分のような男に「おい」と声をかけると、子分は証書のような紙を取り出してきた。見ると、予想通り、金銭消費貸借契約書だ。

「これは正本ではなく、コピーですけどね」

 本証は別途保管してある、と弁護士風の男が言った。それは見れば分かる。印鑑が黒色だ。

 コピーだが、その紙面には、

 資金使途、借入金額、弁済期日に利率及び利息支払方法等お決まりの文言が書かれてある。仕事上、それらがどういう意味を持つのかすぐに分かる。

 借入金額は五百万円とある。

 借主は、中谷美智子・・連帯保証人とかではなく、借主だ。妻が借りた金だ。

 血の気が引いていくようだった。資金の使途は運転資金としか書いていない。

 そして、この種の人間が家にまで来るということは、妻は返済をしていないということだ。資産家の父親がいるにも関わらずに。


「裕美、お母さんは、中にいるのか?」そう訊くと裕美は「ううん」と首を振り、「家にいないよ」と答えた。

「出かけているのか?」こんな時間に・・

「たぶん、おじいちゃんの家」裕美はそう言った。

 実家・・まさか、父親に金の無心をしに行っているのか?

「裕美は中に入っていなさい」

 裕美にそう言うと、素直にドアの向こうに消えたが、ドアが中途半端に開いたままだ。ドアの隙間から裕美がこちらの様子を伺っているようだ。


「取り立ての時間は、9時までだと決まっているはずだが」

 俺は、彼らに先回りするように言った。 

 すると弁護士風の男が、

「あいにく、まだ9時ではないし、それに取り立てに来たわけでもないんですよ」と落ち着いた口調で言った。

 この男もこういう場に慣れているようだ。

 確かに時計を見ると、8時半過ぎだ。

「だったら、家に何の用だ?」俺が負けずに言うと、

 屈強な男が間に入ってこようとしたが、弁護士風の男が押さえて、

「いえ、何ね。美智子さん御本人がいないものですから、お嬢さんに家の中を見せて頂こうと思っていたんですよ」と説明した。


「家の中に?」

「ええ、この家が、どれくらいの資産価値があるのか、知りたいと思ったのですよ。外から見ただけでは、よくわかりませんからねえ」弁護士風の男は冷たい口調で言った。

 もしや、俺の知らない所で、この家を抵当に入れているというのか? 妻が俺の印鑑を勝手に持ち出して・・そう想像できた。

 元々、この家は妻の実家の援助で購入したものだ。仮にそうされたとしても余り文句も言えない気がするが、俺が家の権利者だ。勝手にそんなことをされてはかなわない。それに捺印があっても勝手にされたものは無効のはずだ。

 そこまで考えて、俺ははたと気づいた。

 しまった。家の名義は妻だ。妻の父親が手付を一千万円出す条件として、名義を妻にしたのだ。その時は「まるで養子みたいだな」と軽く思っていたが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。

 とりあえず、妻に電話だ。携帯を取り出し妻を呼び出したが、出ない。

 その様子を見ていた大男が、「奥さんなら、さっきから呼び出しているんだが、出ないぜ」と言った。

 それなら、俺が家を守るしかない。


「資産価値なら、抵当に入れる時に分かっているはずだろ」と俺が言い返すと、

 弁護士風の男は、「今日は、家の中にある家財道具とか拝見しようと思ったのですよ」と丁寧に言った。

 だいたい経緯は分かったが、「では、中へどうぞ」と言うわけにもいかない。

「悪いが、家の中に入れるわけにはいかない」俺は言った。

 その言葉を無視しているのか、

 大男が家を見上げながら、

「中谷の奥さん。昼間、お高いスポーツジムに通っているらしいぜ」と言って、にやりと意味あり気に笑い、

「片倉のおっさんとも付き合っているっていう話だぜ」とワザと俺に聞こえるように言った。

 男の言葉の語尾が気になった。「・・とも」と言っていた。それだと、他にも男がいるように聞こえる。

 妻は離婚歴がある。裕美は前夫の子だ。俺は、妻の前の夫を知らない。

 どんな経緯があったのか、知らないのだ。

 だが、妻の父親が一度言ったことがある。

「幸一くん。娘は、ああいう女だがね。よろしく頼むよ」

 その時は何も思わず、聞き流したが、「ああいう女」という響きが大きくなった。

 更に、先日、片倉麗子が誰かから聞いたという妻に対する言葉を思い出した。

「いつも、奥さんの貞淑ぶりには騙される」

 様々な言葉が俺の中でぐるぐると回り始めた。


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