生贄の夢
「娘には悪いことをしました」
現在子供のいない紅月さんは私に聞いて欲しいことがあるといってそう切り出した。彼女は既婚者であるが、夫には絶対言えない秘密があるそうだ。私は相談したいと言われたときに、色恋沙汰なら困ると答えたのだが、彼女は「霊……というか不思議なものの話です」と言ったので話を伺うことにした。
「私は結婚してから割と早めに子供を授かったんですよ。夫も夫の両親も私の両親も皆喜んでくれました」
つつがなく結婚をして子供と幸せな家庭を作っていく、そんな理想を持っていたのだと彼女は語る。しかし現在紅月さんに子供はいないのと、始めの言葉からして子供がどうなったかはなんとなく予想がついた。
「お気の毒だとは思いますが、それが私に相談したいことなのですか?」
そう訊くと、彼女は夫には決して話すことのない経験を話してくれた。
「夢を……見たんです」
「夢ですか」
その夢を初めて見たときは夢の中でまだ生まれてもいない子供を抱いており、それが生まれるはずの娘だと直感したという。
初めて見たときは赤ちゃんを抱いた私を親族総出で祝福してくれている夢でした。まだ生まれたわけでもないのに次の朝は気分よく目が覚めたんです。ただ、普段私は夢を見てもぼんやりとしか覚えていないのですが、その夢はハッキリとどんな夢だったか説明が出来るほど覚えていたんですよ。
気が早かったのだと思いますよ。あの時は幸せな夢を赤ちゃんが見せてくれたんだと思いました。ですが、夢の中で出てきた人が親族を全員覚えていましたが、何故か人数が多いような気がしたんです。とはいえ、当時は若かったですし、親族が減っていたわけでもないのでその違和感は気にしなかったんです。でも、その日からしばらく同じ夢を見たんです、いえ、正確にはまったく同じではないのですが……
そう言うと紅月さんは少し窓の外を見てから再び夢の続きを話してくれた。
夢を見る度に始めは暗い影になっていて気がつかなかったものが気になったんです。それははじめの頃はただの影で、誰だかさっぱり分からなかったんです。ただ、何度も連日夢を見ているとその影がだんだんと人の姿に変わっていったんです。
「それは、虫の知らせのようなものですかね?」
いえ、全て終わってから分かったのですが、アレはそんなに良いものではありませんでした。
「では、一体何が……」
その影だったものは十日ほど続いて夢を見た頃には色がついて輪郭がハッキリしていき、のっぺらぼうだった頭に髪が見えてきて目が付いて鼻と口が形作られていったんです。それはまったく知らない人で……いえ、人だったかどうかは定かではないのですが、とにかく人の形になっていきました。そして一月もすれば面識はないのですが、女の人であることだけはハッキリと分かったんです。
何故その人が夢の中に出てくるのかは分からなかったそうだが、あまりいい印象を与えるものではなかったらしい。
すっかり人の姿を取ってから少ししたところで、その女は私に近寄ってきたんです。そしてその作り物みたいな口から呪詛のような言葉を話したんです。
「それはどんなことを?」
あの女は『私に赤ちゃんをくれれば一生あなたを不自由させないわ、くれないならみんなコロス』と言いました。そこで私は『絶対に嫌です!』ときっぱり断ったんです。そこで体を揺さぶられて目を覚ましました。
その時私を起こしたのは夫で、実家で不幸があったから行ってくる。私は大事な時期だからついてこなくていいとだけ言って実家に帰って諸々のことをしていたようです。私は夫のことで信じられないという気持ちになりました。
そして一人で寝ることになったのですが、正直に言えば寝たくはありませんでした。次の夢で何が起きるかなんて分かりませんでしたから。ですが、身重な状態で寝なければ寝ないで赤ちゃんに悪影響なので昼寝こそしませんでしたが夜には寝ました。そうしたらやはりあの女が出てきたんです。
『赤ちゃんチョウダイ』
そう、その女は言いました。そして口角を上げてから集まっている親族を一人指さしたんです。その指の先には私の父がいました。それから……どうしても気付きたくはなかったのですが、夢に出ている親族が一人減っていることは嫌でも気付いてしまいました。いなくなったのは夫の母親でした。私は弱い人間です、その女に私の腕の中で寝ている赤ちゃんをそっと手渡したんです。
そして紅月さんは目をハンカチで拭いた。
「私の赤ちゃんは流れました。私は赤ちゃんを守ろうとしていたのに、夫の親族が欠けただけでその女に屈したんです。それでも夫はびっくりするほど優しく、経済的な苦労もせず今でも仲良く生活しています。ただ……」
そして最後に一言だけ、彼女は懺悔するように私に言った。
「だから私は二人を犠牲にして幸せになったんです。この事はずっと私が抱えなければいけないんだと思っています」
そう言ってから「聞いてくださりありがとうございました」と言って席を立った。きっと彼女は赤ちゃんを亡くしたのも後悔しているが、決断が鈍って犠牲になったのが夫の母で、その夫に優しく養われていることが我慢出来ないのだろう。私はその話を聞いて優しい声をかけることはしなかった。おそらく彼女もそんなものは期待していないのだろうから。
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