誰が言った?

 山下さんは海沿いの町に住んでいる。昔は今ほど規制が厳しくなかったので、娯楽の少ない時代には格好の遊び場だったそうだ。


「今の子供はスマホで遊んでいますしね、それより前でもテレビゲームでしょう? だから海で遊んだのはかなり前のことになるんですわ」


 しみじみと彼は昔の思い出に浸っていた。当時は遊泳禁止エリアがきちんと示されていたりはせず、大人たちが『あそこはやめとけ』と言うことで地元の人は危ない場所を人づてに聞いていたらしい。


 浅瀬で遊んだりしていましたがね、密漁とかはしなかったですよ、正規の権利を持っている人からは蛇蝎の如く嫌われていましたし、漁師と言えば警察よりおっかないイメージでしたから。ただね、やはり危ないものは危ないんですよ、本当に危険なことは教えてもらえたりしないんです。


「では、何か危ないことをしたんですか?」


 ええ、アレは浜辺で遊んでいたときですかね。誰かが遠泳をしようと言いだしたんです。当時の私は中学生で、海で遊んでいたので泳ぎには自信があったんです。まわりのみんなも泳げない人なんていないですしトントン拍子に話は進んでいきましたよ。


 私からすれば危ないにも程があるのではないかと思ったのだが、『海の男なんてそんなものです』と彼は言ってのけた。


 それでルールを決めたんです。海岸から泳げる限り遠くまで行って帰ってくる、シンプルなルールでしたね。現代で言えばチキンレースみたいなものですよ、よく誰も反対しなかったなと今にして思いますよ。


 そんな危険な遊びだが、なし崩し的に始まり、一人、また一人と順番に遠くまで泳いで帰ってきた。


「数人が無事帰ってきたので危険ではないという空気が満ちていましたね。大人が気付いたらぶん殴られていたかも知れません、しかし不思議なことに近くを通りかかる大人は一人もいませんでした。だから子供だけの判断で危険は無いと思ったんでしょうね」


 せめて大人が一人でも見ていたら、と言うのは山下さんの言だ。山下さんも自分で泳げる範囲で泳いで帰ってきて、特に何も起きなかったのでそれが危険な遊びだとは思わなかったそうだ。


 その中でも一番上手く泳げたOという男が『俺はもっと遠くまで行ける』と自信満々に言って、『俺は最後に泳いでくる』おそらく他のみんなが泳いだ距離が全て出た後で自分はその最長記録より遠くまでいける自信があったのだろう、彼は自信を漲らせながらそう言った。


 そしてみんな泳ぎ終わったんですよ、いくら海の男の集まりとはいえ子供ですからね、泳いでいける範囲なんて知れていたわけですよ。ですがOは違いましたね。アイツは泳ぎが昔から得意だったんです。他の全員の記録が出たので自信満々に『お前らはそんなものか』と言って海に入ったんです。


 Oは順調に泳いでいきましたよ、誰よりも早く遠くの方まで行くのを見て、やはりアイツはすごいなと皆がはやし立てていたときです。彼が遠くで泳いでいる姿勢を崩して滅茶苦茶に動き出したんです。


 誰もが溺れている! と大慌てでした。悪いことに一番遠くまで泳げるヤツが溺れた者ですから他のみんなではそこまで泳いで助けにいけないんですね。必死に皆が大人を探して駆け回りました。


「それで、その方は助かったんでしょうか?」


 大体察していたが私はそう訊ねた。山下さんは力なく首を振った。


「一応船を持っている人にOの救助を頼みました、大急ぎで船が向かいましたがOはもう既に沈んでいましたね」


 彼の遺体が発見されたのは随分後になってからだそうだ。その事故で子供たちは親から殴られたが、誰一人文句は言いませんでした。危ないことをしている自覚はあったんですよ。


「それで、その亡くなった方の遺体に不審なところがあったりしたと言うことですか?」


 私はよくある怪談の話かと思い気をつかいながら訊いた。


「いえ、Oはごく普通に溺れて死んでいましたよ。誰もが自分が泳げる以上に無理をした結果だと判断しましたね。ただ……一つ奇妙なことがありまして……」


 そう言って山下さんはその件で唯一の謎について話した。


「誰が遠泳をしようなんて言いだしたのかが最後まで分からなかったんです。全員顔見知りで声も顔も知っているので、誰かが言ったならその人を糾弾したかも知れません。でも誰一人として誰が言い出したかを答えられなかったんです。そう言いだした人が分かっているなら責任問題になったはずですが、不思議と大人もそれを追求してきませんでしたね」


 それがこの話で唯一の謎だと言う、彼は結婚して子供もいるが、子供がどんなにねだっても、一度たりともあれから海水浴に行ったことはないそうだ。

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