4-11-b 聞いていませんが?

「うし、上出来だ」

「はい。では、先輩、あとのことは」

「おう。ご苦労さん」


 自分の頭上で飛びかうやり取りが気になり、赤緒は急いで目もとをぬぐって顔をあげた。

 いつの間にかトバリの隣りに来ていた白髪の魔法生物が、まだ少しうるんだ視界の中で赤緒を見てニカッと笑う。


「というわけで、手続きが済んだら、赤緒ちゃんの担当はユウキに交代な」

「…………へ?」

「へっ!?」


 呆然とした赤緒よりずっと高く裏返った声が視界の外で跳ねた。

 思わず振り向けば、雀夜の隣りで夜のはんがいにいそうな金髪が目をかっぴらいて固まっているのを見る。


「まー要するに、トレードだ、トレード」なんの説明にもなっていない説明が来る。


「マジョ狩り騒ぎのペナルティをうちで肩代わりする代わりに、天才ギター少女ゲットだぜ。ヨサクちゃんコミューンの快進撃は始まったばかりだぜ。いえい」

「ちょ……と待て。なにがどう――」

「ななっなにも聞いてないんですけどッ!? ヨサク先輩!? っていうか、トバリさん!?」

「お久しぶりです、ユウキさん」


 赤緒を押しのけて騒ぎだしたユウキの前に、トバリが歩み出てまた深く頭をさげた。


「おれのペナルティは、おれが自分で払います。赤緒をよろしくお願いします」

「だ、だ、だからっ! トバリさんはそれでいいのって!?」


 顔をあげたトバリは、少し複雑そうな顔をしてみせた。しかし、似たような戸惑い顔をしている赤緒を横目に見やると、おだやかにほほ笑んだ。


「できれば、迎えに来たかったです。でも、いまの赤緒のやりたいことは、おれのところにはない。そうだろう、赤緒?」

「!?」


 水を向けられた赤緒の顔にまた赤がさす。雀夜のマスコットらと連絡を取っていたなら不自然ではないと理解できても、彼が知っているということが赤緒の鼓動を速くさせた。


「それに、おれにもやりたいことができましたから」

「え。トバリに……?」


 思わず赤緒から声に出してたずねていた。トバリは力強くうなずいた。


「ずっと悩んではいたんです。でも、もう決めました。赤緒をただ諦めるだけでは、おれはまたくり返す。だからどうするべきなのか、知っているのに踏み出せなかったこと――魔法少女になったのをきっかけに、音楽に興味を持つ子がいるはずです。おれはそういう子たちが、改めて音楽を学べる場を作りたい」

「あ……」


 赤緒から、何度か持ちかけたことはあった。

 トバリにではなく、知り合った魔法少女たちに。現実でもバンドをやってみないか。自分が一から教えるから。自力で弾くのも楽しいぞ。


 拒みはしても、それを無意味だと否定しなかったのは、ひと月前まで誰もいなかった。

 マスコットは作られたとおりに動いているだけだという、顔も忘れた誰かの声が遠ざかっていく。


「おれたちマスコットは、ちゃんとこたえられていなかった」声をなくした赤緒を、トバリが見つづけていた。「興味を持たせるだけ持たせて、その先は好きにしろ。そんなことじゃ、ほとんどは二の足を踏む。やっぱり魔法で十分だと、自分を納得させたくなる。それが本音でなくても」

「素直が一番だよな」白髪の声が割りこんだ。


「そういうわけだ。よかったなー、ユウキぃ? デスボイスとホイッスルボイス、空前絶後のダテン★デュオ、その名も『ウィッチ・ザ・ロック』。今日からおまえがその担当マスコットだ。よ!」

「もうユニット名まで決まってるんですね、先輩……」

「よかったわね、呼子よぶこさん」


 まだ現実感のない耳でマスコットたちのやり取りを聞き流していると、不意に背後から声をかけられた。

 赤緒が振り返ると、赤い髪をした女性型魔法生物が、棺桶かんおけのようなギターケースを両手で差しだすように抱えてそこにいた。


「はい、これ。でも、ふたつ持てる?」


 平然と話しかけてくるその緑の目を見て、赤緒は急に息苦しくなった。服のすそを握りしめながらも、「あ、あの……」と黙りこみそうになる前で踏みとどまる。


「オレ……本当は今日で、魔法少女、やめる気で……」

「あら。どうして?」

「……マジョ狩りなんて、八つ当たりだった。本気でぶち壊すつもりもねえクセに、関係ないやつに嫌な思いさせて……あんたのパートナーにも――」

「さあ、それはどうかな?」


 ギターケースをいったん立てて抱え直し、キッカはそばのマンションを横目に見あげた。

 ここはキッカの所属コミューンの敷地内だ。緑色のおだやかな視線は、カーテンの閉じた十階の窓を探り当てる。


「壊す気もないのにって言ったけど、あなたは挑んでたんじゃないの? 魔法で満たされている魔法少女たち、全員に。自分自身で奏でる音楽が、魔法少女にも意味のある世界だと証明してみせたかった。自分の物足りなさはって。違う?」

「それは……でも、結局オレの都合でしか――」

「琉鹿子も同じよ。魔法は絶対。満ち足りた気持ちはって、証明したかったの。だからあなたとは真剣勝負だった。恨みっこなし。気負った分、負けてヘコむのも当然」


 キッカは目を細め、ふたたび赤緒に向き直した。心細い、普通の子供の顔をしている赤緒を見て、より深くほほ笑む。


「あとはマスコットの仕事よ。受け止めたり、励ましたりするのは。あなたは堂々として、言われた分だけ埋め合わせなさい」

「(わたしは反対です)」


 どこからか、ささやき声がした。

 誰かが耳打ちしたのかと思えば、すぐ背後でノッポの眼鏡が赤緒を見おろしていた。距離は思ったほど近くはない。やや興奮気味の息づかいにヒューヒューとかすれたノイズが混じる。


「(わたしとユウキさんのあいだにそんな珍妙な反芻はんすう動物は必要ありません。アイスクリーム工場で乳をチューブにつながれているのがお似合いです)」

「聞く必要がねえくらいしょーもねぇことしか言ってねーんだろうが、全っっ然声出てねえな。言わんこっちゃねえ」

「(問題ありません、わたしとユウキさんのあいだには。ね、ユウキさん?)」

「えっ、なに、雀夜ちゃん?」

「台本でもあんのか?」


「ウーン、やっぱあの切れ味だよなぁ」と、視界の外ではなにやら感激の声もしている。「サクちゃんとユウキのコンビ漫才だとたまに収拾つかねえからな。あのツッコミ性能もありがてぇ」「それは確かに」「よかったな、赤緒っ」

「…………」


 引退がどうとか言える雰囲気ではとうにない。

 赤緒は気分がくさくさしてきた。目の前で淡い金に近いひよこ色が、小声のパートナーのために軽く身をかがめている。だしぬけにその首へ飛びついて、脇にはさんでやった。


「というわけで、だっ!」

「わっ!? え、なに、赤緒さん?」

「なにじゃねぇ、ヒヨコ頭。オレが入る以上、ハンパは許さねえ。そこのげきおも眼鏡がマトモに歌えるようになるまで死ぬ気でサポートしろ。二百点満点でな」

「にっ二百!? ってどんな採点?」

「(どきなさい、柑橘類かんきつるい。柑橘の領分を越えたそのオバケフルーツをそれ以上ユウキさんに押しつけるならジュース工場でチューブにつなぎますよ?)」

「ウシかミカンか統一しろや」

「雀夜ちゃんっ、ほんとに声出ないの!? 大丈夫!?」

「(モチが喉に詰まっています。吸い出していただけますか?)」

「掃除機が欲しいってよ」

「き、キッカさんっ、掃除機!」

「にぎやかねぇ……」

「大団円だー」

「よかったな、赤緒!」

「全ッ然」


 のほほんと微笑を並べているマスコットどもにしかめっ面を送りながら、ヒヨコ頭の首を絞めあげ、いまにも飛びかかろうとしている眼鏡の猛獣を牽制けんせいする。


 こんなはずじゃなかったんだけどな。脳裏をよぎったその自分の声の代わりに、肩にかけたままだった恋人が、溜め息みたいに弦をゆらした。

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