第3話

 一色先輩のようになりたい。 


 憧れの先輩に近づきたい。あんなふうになりたい。なんて、ありふれた願望だろう。

 ただ、こと一色先輩についてはあたしの凡庸ぼんようさを抜きにしてもそのハードルは異常に高い。


 頭が良く、物腰柔らかく、芯のある人柄。

 美しい所作で、全てが丁寧で、見惚れる佇まい。

 およそ普通の人間が努力で届く領域ではないように思える。才能とはこういうものなんだろう。


 ただ、あたしはそんな天才から変化という武器を授かった。一色先輩にはなれなくとも、何かを学び自分を変えていきたい。

 苦労はするだろうけれど、それと向き合う価値はあるだろう。そしていつか、一色先輩のようになりたい。そうせつに思う。


 「すみませ〜ん! 思ってたより準備に手間取って! ごめんなさい!」


 そんな高い理想を掲げたあたしは、それに相応しくない無様な声をあげて、あたしを待っていた一色先輩に謝っている最中だ。


 文化祭前、最後の土曜。

 一色先輩に誘われて、街にお出かけにきた。一色先輩がクラスで急な買い出しを頼まれたらしく、本来あたしは要らない付き添いなのだけれど、一色先輩に誘われたならばそれを断る選択などできない。


 「ふふ、謝らないで。私が急に誘ったんだ。凪ちゃんが気にすることはないよ」


 春っぽい柔らかなシフォン生地の、花柄ホワイトのワンピースを身にまとった、華やかな品格が漂う一色先輩。大学生? 社会人? なんにせよ同じ高校生だと思えない、大人な女性の佇まい。憧れすら烏滸おこがましいのではないかと思えてきた。


 「いや、でも、待たせてしまいましたし。はぁ、はぁ」


 「とりあえず深呼吸して、落ち着いて。ね?」


 促されるままに息を落ち着かせて、全力ダッシュで乱れた服をサッと整えた。

 すると、一色先輩の右手が不意に伸びてきて、あたしの眼前で止まった。


 「髪、さわってもいい?」


 「えっあのっ、はい」


 急な接近にドキドキして、再び慌ただしくなるあたしに構わずに、一色先輩の指が前髪に触れた。透けるように白く澄んだ手首のあたりから、ほのかに甘い香りがした。


 「よし、直った。急だったのに髪まで作ってくれたんだね。よく似合ってる、かわいい」


 「かっ! ありがとうごさいます!」


 なんだ、なんなんだ。この人は。

 

「部室でもそうだけれど、凪ちゃんを待ってる時間は苦じゃないからね。だから無理に急がなくていいんだ」


「いや、でも、やっぱり一色先輩を待たせるのは心苦しいので! あたしが苦しいですので!」


「ふふ、そっか。じゃあそうだね。次からは遅刻しないようにね。あたしが苦しむとしたら、凪ちゃんといられる時間が減っちゃうことだから。できるだけ長く一緒にいたいんだ。約束してくれる?」


「もちろんです!」


 ヤバい。この御方おかたはヤバすぎる。

 人間が出来すぎている。

 一色先輩、親しい友人はいないといつか言っていたけれど、こんな人に限ってそんなことあり得るのだろうか。


「凪ちゃんは今日一日暇なんだよね? あたしの買い物は百均で全部済むんだけど、凪ちゃんはなにかあるかな。必要なものとか、欲しいものとか」


「いえ! 特にないです」


「そっか。もし良かったら、買い物終わったら映画でも観ない?前に観たいって言ってた作品。席を取れたらだけど」


「もちろんです! 」


「よかった。じゃ、行こうか」


 さらりと身をひるがえして、ふわり、白百合のごとく歩きだした。

 子ガモのように少し後ろを歩くあたしを不思議そうに覗く。


 「? 凪ちゃん、おいで」


 となりに並び歩くのも躊躇ためらわれるけれど、一色先輩からの誘いなのだ。

 神様、許してください。おいでされたのです。

 


 それから必要な買い物を済ませて、駅ナカの映画館に向かった。

 入場開始まで20分。映画館の奥、階段を上った先にある小さな待合室で待つことにした。淡い間接照明と一面のシックな黒が落ち着く暗い空間。並んで座るあたしたちの声しか聞こえない。


 まだ暗さに慣れない視界にぼんやりと浮かぶ一色先輩の顔があまりに幻想的で、これから観る初週10億の大作ファンタジーのキービジュアルが安っぽく見える。

 あたしの2時間はこの光景とともにある方が幸せではないか。そんなことを考えながらポツポツとポップコーンを食べる。指についたキャラメルが鈍く光るのすら綺麗に思えて、ベタつきも不思議と嫌ではない。

 

 「この、あざといくらいの甘さが好き。私かなりの甘党だから」


 一色先輩はLサイズを頼んだ。

 かなりのスピードで食べ進めている。

 

 「ここのポップコーン好きでね、よく映画観ずにコレだけ食べに来るんだ」


 「いいですね」

 

 意外すぎる。かわいらしい良い趣味だと思うけれど、この人がこんな甘いものを好んでいるのは信じがたくもある。

 

 「どうやってスタイル維持してるんですか」

 

 「ふふ。スタイル良く見える? 服がかなり絞ってるハイウエストだから、シルエットが良い具合にはなっているけれど」


 「いや、制服のときもですよ。素が良すぎます。なにか運動とかやってるんですか」


 「朝と夜のランニング。あとは軽めだけど筋トレも」


 かなりガッツリ。そりゃそうだよね。たまに見える脚も細いけれど筋肉質だし。

 

 「他になにか特別なことは」


 「いや、それだけ。食べた以上に運動すれば痩せる。それだけ」


 「それを実践して継続できるのがすごいです」


 本当に、すごい。

 あたしは継続というのをやれた試しがない。

 どんなに些細ささいなことでも、何かを続けている人を尊敬している。


 「あたしも一色先輩みたいなスタイルになりたいです」


 「うれしいね。でも、今でも満点にかわいいよ」


 「そう言っていただけるのは嬉しいんですけど、もっと大人な、いわゆる美人さんになりたいんですよねぇ。童顔でちんまりしてるの、自分で好きじゃなくて」


 中学生になった頃、ある程度成長した周りの女子に囲まれて、自分が幼く見えるようになった。

 身長は学年最低の座を守り抜き、赤ちゃんみたいなピュアさがあると評されるのにも早々に飽きた。


 ピュアさなんて、あたしとはかけ離れた概念だ。自分のひねくれた性格は自覚しているし、その上で、自分でも困っているのだ。

 鏡を見ると、他人には純真だと言われる瞳が、奥の方で濁りきっているのをいつも感じる。不健全なかげりがある。

 それを他人には知られたくないけれど、苦労は知ってほしくもある。そんな中途半端な自意識が嫌いだ。


「あたし、自分の目が嫌いなんです。形とか色とか目に見える要素じゃなく、その、雰囲気的なものが。くもってる感じがして、見てるだけで気分が落ち込むんです」


 走りだした思考を止められず、つい、気持ちの悪い自意識をこぼしてしまった。せっかくの一色先輩とのお出かけなのに、こんな、醜態しゅうたいを。

 ああ、一色先輩が黙ってしまった。


「あの、忘れてください! なんでもないので」


 必死に言い訳をひねり出して、なんとか状況をリセットできないかと焦るあたし。

 しかし一色先輩は対照的に、いつもの柔らかな表情でこちらを見ている。 


「いいんだよ、凪ちゃん。凪ちゃんが感じて、言語化して、伝えてくれること、私はその全てを知りたいんだ。会話らしい体裁ていさいなんて整えなくていい。論理的でなくても、突飛でもいい。凪ちゃんのことを知りたい」


「本当ですか。本当に、ですか」


「もちろん」


 よどみない、説得力に溢れる瞳。

 ああ、やっぱりあたし、この人が好きだ。


「さっきの話題、広げても平気かな」


「はい。大丈夫です」


「うん。私もね、自分の目が嫌いなんだ。正確に言えば、自分の姿を見るのが嫌い。自意識の問題でね、結局、私は私を好きじゃないってだけなんだけれど」


「一色先輩、あたしから見れば完璧に思えるんですけど、そんな人でも自己嫌悪じこけんおってあるんですか」


「完璧だなんて、私はそんな人間じゃないよ、全く。良くできた生徒だとか優しい性格だとか、結局は相対的な評価で、外から見た私に過ぎない。私は私を許せないし好きになれない。昔からずっとそう」


「一色先輩は一色先輩のなにが許せなくて好きになれないんですか」


「あげればキリがないけれどね、そうだね、完璧じゃないことかな。全知全能の神様になりたいなんて言わないけれど、せめて自分の人生に関わることくらいは、完璧にこなしたい。でも、できない。能力が足りないから」


 そんな、あまりにも自分への要求が高すぎる。聞いていて辛い。


「完璧なんて、一色先輩でなくても、誰にもできないことだと思います」


「そうだね。その通りだ。だからこれは論理的な解決ができるものではなく、信条として、生まれ持った自己嫌悪なんだ。一生付き合うのかもしれない」


「そんな」


「もう割り切っていることだよ。別に病的なほど自分が憎いわけじゃないから。辛くもない」


「上手く言えないですけど、強いですね」


「ふふ、ありがとう。私が伝えたかったのは、凪ちゃんの気持ちは痛いほど理解できるということ。解決してあげるなんて断言はできないけれど、理解者にはなれる。いや、なりたい。それを伝えたかった」


 一色先輩は完璧なんかじゃない。それは十分すぎるほどに尽くされた言葉と、いつになく真に迫る雰囲気で伝わった。

 それでも、あたしの憧れで、目標であることは変わらない。あたしの運命なのだから。


「あの、これからも相談、していいですか。いろいろと」


「もちろん。好きなように、都合のいいように。いつでも構わない。もっと踏み込んだ話もしたい。私に訊きたいことがあれば、それもいい。たくさんお話しよう」


 一色先輩について、知りたいことは無限にある。出会いの日から今日まで、無限に。


「一色先輩、わがまま言ってもいいですか」


「なんでもどうぞ」


「映画、観たくないです。もっと長く、できるだけ長く、一色先輩と話していたいです」


「ふふ。私も同じこと考えてた。今日はもう、凪ちゃんの言葉だけ聴いていたいって」


 入場開始のアナウンスが流れた。

 人の流れに逆らって、映画館をあとにした。

 

「またいつか、気が向いたら観に来よう。そのときはちゃんと、余裕をもって日程を決めよう。凪ちゃんが走らなくて済むように」


「そうですね。あたしも頑張って準備します。できるだけ長く一緒に、ですもんね」


 一色先輩は少し照れたような珍しい顔を見せて、くしゃりと笑った。

 文句のつけようもない、完璧な笑顔だった。



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