第七話——瓦解

「遅いっ!!」

「……ごめんなさい」

 次の日の夕方。僕はソラノちゃんに怒られていた。

「朝の方に来てよ朝の方にー! なんでほぼ毎回夕方なのよ!

「いや、昨日は仕方なくない……? だって初めてのことで気張ったし」

 なぜなら。

 "マジ"の"ガチ"で他人の家にインターホンをいきなり押して。

 そして玄関のドアが開いていたので、その他人の家に押し入って。

 家の中にいた男の幽霊を本で挟んで意外とあっさり『除霊』して。

 ぺこぺこ頭を下げつつ。

 ローブとメガネを勢いよく外して家に駆け戻ったのだ。

 姉妹二人は普通に出迎えてくれた。『今日部活長かったね〜』くらいだ。

 しかし……これが毎週続くと流石にな……。


「……朝に来たの昨日の朝一度きりじゃない」

 なんかふてくされてる。ほっぺがおまんじゅうみたいで、かわいい。

「何よ。ほら、早く本。ゆーれい挟んだままでしょ」

「……?」

「言ってなかったっけ? その本で除霊すると、一時的に幽霊を無力化させ、閉じ込めておけるのよ」

 へぇー、便利。よくこんなもの作ったな……。

 というか、本で挟んだらそれで終わりなのかと思ってた。

 何をするんだろう。


 ソラノちゃんが頬杖をつきつつため息もつく。

「だから早く持ってきてもらいたかったのよ。だいたい半日くらいで霊を縛る効果は切れる……伝えることが多すぎて忘れてたわ」

「えぇっ!? それは言っておいてよ!」

 一瞬の沈黙。

 切り株に何気なく僕が置いた、そのくだんの本だが……。

 僕たちは恐る恐る本を開いてみる。


「うわっ」

 浦島太郎の如くでてきた白い煙に、僕は腕で口元を隠す。

 前が全く見えない。


「……どうやら割とおとなしい人だったみたいね。次は明朝に来るのよ」

 もう煙消えたわよ、とソラノちゃんが言うので、僕は目を開いた。

 そこにいたのはイケオジ……ごほん、吊り目の三十代ほどの男性。


「……俺は」

 彼が口を開ける。

 一人称俺。正直好み……ってそんな話じゃない。しかし一度目にしてもらいたい。これがイケオジだ。

凛月りつ、なんかやましいこと考えてないわよね」

「そんなこと考えてない」

 呆気に取られる彼の前で茶番をする僕たち二人。ソラノちゃんが、こほん、と咳払いをする。


「あー……えっと、何でこんな所に」

 辺りを見回す。仕草や表情のそれぞれが自然で本当にかっこいいな。


「貴方は悪霊になって彷徨さまよっていたのよ。人を襲っていたからこの凛月へんたいが除霊したのよ」

「話の途中だけど僕の名前に不名誉なルビを振らないで」

 僕そんな変な顔してた?

 もしそうだったらやばいな。改めないと。

「嘘だろ。何も覚えてない……申し訳ない」

 この人意外とチャラいなぁ。初対面でも話せる人だ。このコミュ強、浮気とかするタイプだろ。

 ……っと。


「てことで、今後一切そんなことがないように、あなたには二つの選択肢を与えよう!」

 そんな感じなんだ……。ソラノちゃん、ちょっと楽しそう。僕が初めてここに来た時もこんな感じだったな。

「一つ目は、この世界で暮らす! 二つ目は、現実世界の"物"に意識を宿らせて、しばらくそこで暮らす!」

「……物って、例えばどんなものになるんですかね……」

「んー? なんか、どこにでもある物。大切な人とか、気にかけてる人の側の物に"憑依"する形になると思うなぁ」

「そっか……それなら、後者にします」

 結構すぐ決めたね。……僕だったら絶対ここに住むけどな。そんなに大切な人がいるのか。

 僕は改めて、辺りを見回す。

 ここにある建物や、この森は、およそ五年前——ソラノちゃんが初めてここにきた年の現実世界らしいというのを聞いた。

 五年前のことはよく覚えてないけれど、若干背の低い木や咲きかけの花もある。

 まあ、後から気づいたのだけど、ソラノちゃんの家は現実世界で言う僕たちの家なのだ。

 そして、空は——天気の変化はないのだろう、雲一つない、刻一刻と変化する、薄明時間の間の美しい空。

 違いと言ったらそれくらい。

 妙な浮遊感といい、幻想的な光が辺りを常に照らしているように感じることといい——本当に、夢の様。

 この世界自体は、時の流れが遅くなっているのかもしれない。後で聞いてみようか。

 ……いや、それとも。


「じゃあ、道路標識にでもしとくか。どこにでもあるし〜」

「なんでそんなピンポイント!?」

「うーん。動きの制約とかは……まあ、地中に潜ればいいでしょ」

「もっと使い勝手のいいのにしてあげてよ!」

 僕は声を荒げて反論する。僕だったら嫌だよ?せめて木とかじゃない??


「意識がないとはいえ、人を襲ったのは事実なのよ」

 ソラノちゃんが俯き、足元を睨むように目を細めた。……意外と厳しいところあるんだね。

 まあ、ソラノちゃんもここにいるのだから、幽霊に連れてこられた、その点で見ると被害者で、ここにいる彼は加害者なのだ。

 ……ソラノちゃんをここに連れてきたのは誰の霊だったんだろう。


「じゃ、どっかで元気にしてなね〜」

 ソラノちゃんがそう言った瞬間、僕の持っている本と似た装丁の本から、淡い光が飛び出す。

 そこにいた彼が光に包まれ——光に弾けるように消えた。


「……ソラノちゃん、さっきの人の名前は?」

「ん? 多分、そっちの本にも記録されてると思うよ」

 "そっちの本にも"と言っていたので、ソラノちゃんが持っている本にも記録されているのだろう。

 それで昨日通信してたのかな?

「へぇえ。便利だねえ……あ、これか」

 あの人に子どもは三人いたらしい。心残りはそれだろうか……って不倫してんじゃねーか。

「僕、基本的に不倫とか絶対許せないからなぁ。全く、見た目に惑わされずにヘッドロックかませばよかった」

「……更生してればいいわね」

 僕の軽口にソラノちゃんは失笑する。

 ソラノちゃんは一仕事終えたとばかりにため息をついた——本当に尊敬する。

 十歳くらいの見た目なのにな。……精神年齢は分からないけど。

 ここに来ていなければ、彼女は本来何歳だったんだろう。五年前って言ってたし、僕と同年代くらいかな?


「さてっ、まあ次からこんな風にやって行くから! 絶対翌朝に持ってくるのよ、絶対ね!」

 ソラノちゃんは気持ちを切り替えると言った風にはきはきとそう言う。

 僕はそれに、弱々しくへんじをするしかなかった。

「ふぇ、は、はい。ごめんなさい——あ、あと聞きたいことが」

「何よ毎回毎回。早く言って」

 疑問が尽きないんだよ、ここの世界——とても綺麗だけれど、変に懐かしいというか。


「僕はこの除霊をいつまでやればいいの?」

「……強い霊を除霊するまでかしらね。その、まあ、私にもよくわからないんだけど……その強い霊が他にもだいぶ影響を与えちゃってるみたいなの。だから、幽霊の力を抑える必要がある。でも明確な原因の霊がいるから、そいつがいなくなれば、自然とこの世界は消えていくと思う」

 ……ソラノちゃんも、消えてしまうのだろうか。

 もうここにきた時点で幽霊になっているということだろうか。会えなくなるのか。

 そう考えると、少し寂しい。

 そんな僕の表情を読み取ったのか、ソラノちゃんは、少し辛そうな顔をする。


「もともと存在しない場所だからね。私たち薄明世界の住人も、本当は天国とかにいく予定だったと思うから……だから、強いのが現れるまでは、しばらく続けてもらうことになるかな」

「そっか。ありがと」

 ……辛いな。自分で聞いておいてなんだけど。忘れられて、ここに閉じ込められて。

 僕だったら姉さんとか小夜さよちゃんに忘れられたらたまらないよ。

 僕は体を木に向き直す。向こうに戻るために、一歩足を踏み入れ——

「あ、そうだ、凛月——」

「おおおっと、何? 危ない、勢い余って向こうに行くとこだった」

 場が若干白けた気もするけど、なんだか暗めのムードになってしまったので、僕は気まずかったのだ。

「私からも質問、いい? 凛月って、親が住職、とか、霊感ある人だったりする?」

「……うん? いや、うちの両親はただの会社員だけど」

 まあ、ただの会社員ではあるが、今みたいに出張は多いね。

「あぁそう……それならいいんだけど。なんとなく、凛月って霊との関係が近い気がするのよね」

「それはただ霊感があるからじゃなくって?」

「……まあ、それもそうなんだけど、なんかそうじゃないんだよねえ」

 どういうことだろう。僕には一切心当たりがない。

「あっ、ごめん、帰るつもりだったよね。結局ギリギリになっちゃった、急いで」

「あ、うん。わざわざありがと。次から気をつけるね」

「よろしく〜」

 さっきまでの考え込んでいたソラノちゃんはどこへやら、のんびりとした声で僕を送り出した。

 木のうろの前にへたりこんで、僕は今後の懸念点を思い出す。


 早起きか……。

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未だ空の先 しがなめ @Shiganame

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