第二話——夕方

「遅くなった……!」

 始業式を終えて、新しいクラスにも慣れてきた、四月二十一日のこと。

 僕はいつも通りバスケ部で練習試合をしていたのだけれど……。

 普段より明らかに遅くなって、僕は焦っていた。


 金曜日は、姉妹とは、森に入る一歩手前で待ち合わせする約束なのに。

 急いで走って家に向かう。


「あぁあぁぁぁあ〜! た、だ、い、まっ!」

凛月りつ! 今日遅かったね?」

 結星ゆら姉さんが木を掘って暇つぶししていた。かなり待たせたようだった。


「うん。三門みかど先生の話が長くて」

「あはは。あの人、優しいし面白いけど、話長いわ、確かに——あれ? そういえば、うちの学年の三組の担任だったかな?」

「あ、そんなこと言ってたな」

 三門先生はバスケ部の顧問だ。


 『三組担任で三門だよ? 私、三に恵まれてるのかも』……というだけで、かなり部活が伸びた。

 ……しょうもないとか言わないで。これが彼女の平常運転だから。


小夜さよ、行くよ——ほら、木のささくれいじるのもうやめなさい」

「はぁい」

 姉さんも似たようなことしてたよね……と思ったが、結局僕は何も言わなかった。


「というか、どれくらい待ってたの? 結構待たせちゃったと思うんだけど」

 森の中に歩き出しながら、僕は妹に問う。

「実際には一時間くらいだろうけど体感五分だから、全然」

 ……そっか。そんなに木のささくれをいじるのが楽しいか……我が妹よ。


「それならよかっ——……え?」


 さっきまで話していたはずの小夜ちゃんがいない。

 「姉さん、小夜ちゃんがいな——」


 姉さんもいない?となると、はぐれたのは僕の方……?

 それはおかしい。だって、さっきまで二人は横にいた。

 それなのに、僕だけどこかに連れて行かれてしまった、かのような——。


 ……。


 これは……心霊現象か何かなのかな?

 僕には一応霊感があるから、そう言う勘は働く。

 方向感覚も姉さんほど悪くないし、何よりここは、住み慣れた森の中。迷う方がおかしい。

 でも、僕たち姉妹は——名前の通り、迷子になることが多かった。

 ……主に迷うのは小夜ちゃんでも僕でもなく、姉さんなのだけど。

 いや、僕だって、迷子になるのは一度や二度ではない。


 ……いや、やだよ!これで普通の迷子だったら、僕、ただの阿呆じゃない!?

 中三になってまで迷子とか無理無理無理無理!洒落にならないよ!


「ね、姉さぁぁんっ!! 小夜ちゃぁぁん!? 聞こえる——っ!?」

 久しぶりに大声を出した——まだ二人は遠くに行っていないはずだと思ったから。

 でも、僕の声が虚しく響くだけで、何も聞こえない。

 ……"何も聞こえない"って?


 今は夕方だ。虫や、鳥の……それこそカラスなどの鳴き声がしてもおかしくないのに。

 ……やばいかも。もう日が落ちてる——暗くなるのは時間の問題だ。


「……なんだこれ」

 焦り始めた僕が見つけたのは、木のうろ。

 と言ってもただの木のうろではなく、空の色と同じような色をしている。

 ……なんか揺れてるし、絶対自然にできたものじゃないでしょ。

 こんなうろ、この森にあった?忘れてただけかな。


 分かっていても、その美しさに、手を伸ばして触れてみたくなった。

「ひぇっ」


 冷たくない……むしろ熱いくらい。何これ。向こう側行けそうじゃん。


「入るかな……よっと」

 入った、というか吸い込まれた。


「あわわわわっ」

 自ら入ろうとしたのに慌ててしまった——けれど、吸い込まれてすぐに、顔から地面に突っ込んだ。

 正確には地面ではなく、小さな女の子に向かって突っ込んだ。多分、十歳くらいの?


「痛いっ」

「うわぁぁっ!」

 僕が来たことに驚いたのか、女の子は叫んで後ろに退しりぞいた。


「あぁ……まさか成功すると思ってなかった」

 ほっとしたかのように、ため息をつく彼女。とりあえず、僕は

「……僕を吸い込んできたのは貴方?」

「そうそう! えっとね、あなたを呼んだのには訳があるの。単純に時間が少ないから、手短に」

「はぁ……」

 何この子、十歳にしては大人びている。それに早口だ。


 というか、時間がない、とは?呼んだ、っていうのは?まず、どうやって、なんで僕を吸い込んだ!?


「まず……迷井まよい凛月りつさんであってるわね?」

 強い語調で迫られると、勢いで答えざるを得ない。

「え、あ、はい。まさに僕が凛月です」

「僕っ子だねぇ」

「? はい」

 確認のように尋ねられて思う。そういえば、僕はいつから一人称が僕なんだろう。自然となったのかな。でも、何か引っかかるような——。


「はいはい! ちょっと考えるのは後にして。説明するからっ」

「えっちょっとどこに行」

「静かに! 黙って聞きなさい。それで本題だけど、ここは『薄明世界』。一日に大体、一時間強しか存在しない——というか、ゲートが開かれない世界。薄明時間っていうのは知ってるかしら? まあ分からなかったら後で調べて。とにかく、今、貴方たちがいる現実世界から人がたっくさん失踪してるの。それを止めるのが貴方の役目であり、責務なのである! えへへ、まあこれ言いたいだけだけど。……あれ? 役目と責務って大体意味一緒だったかな? いや、こんなこと言ってる場合じゃなかった——まあ、貴方に除霊師になってもらうって訳よ。で、霊は薄明時間に現れるから、私が指示するところに行って、除霊して、その薄明時間のうちか次の時かにさっきのゲートを通して送ってもらうから。分かった?」

 姉さんを超えるマシンガントーカーだった……脳がパンクする。言われた通り黙っていたが、こちらの気が滅入るくらい喋っている。小説だったら読者が逃げるよ。

 黙ってと言われたので静かに聞いていたけれど……。


「ごめん。文字に起こしてくれるかな? 僕、聞くより読む方が得意なんだ」

「めんどくさいなぁ。まぁ、そう言うと思って、除霊用の本に今言ったこととか書いてあるから! 時間がないから論理的に喋るの難しくて、ごめんね。家戻ったらこれ読んで——除霊してもらう時は、この本の一番後ろのページの地図のどこかが光るから。光ってるところに向かうのよ」

「は、はぁ……というか、さっき、僕たちの世界から色んな人が失踪してるって言った? そんなに沢山いなくなるなら分かるものじゃない?」

 除霊だか薄明時間だかよくわからないことは多い。でもそれは、今じゃなくても多分何とかなる。

 だから、彼女の早口に圧倒されながらも、聞きたいことは聞いておく。

 とにかく、なぜか分からないけれど、僕は除霊……?をしなければならないのだから。


「…………」

 なぜか彼女が黙ってしまった。


「霊がこっちの世界に"向こう側"の人間を連れて来ちゃうと、二度と向こうには戻れない。現実世界からは、存在が消されるの」

「え」

「私はここに、一番最初に来たんだ。友達にも、家族にも、忘れられちゃった。ここの住人は、みんなそう」


 さらっと重い過去を話してくれるな。

「……なんで貴方は、それが分かるの? 現実世界には行けないんだよね?」

「向こうには行けないとは言ったけど、見れないとは言ってない。ほら——これで見れるの」

「……わぁ」

 さっきから移動していると思ったら、彼女の家らしき場所に着いた。これを見せたかったらしい。

 彼女が見せてくれたのは、スノードームのようなものだった。キラキラと降る雪に反射して、とても綺麗だ。


「……なんも見えないけど」

「貴方のことは私が招いただけで、ここの住人じゃないから見えないんだよ」

「そっかぁ」

 しみじみとそれに魅入っていると、

「あっ!!」

 と彼女が大声をあげた。

「何っ!? いきなり耳元で叫ばないでよ!」

「そろそろゲートが閉まっちゃうかも! そうしたら次に開くのはのは現実世界でおよそ十二時間後——」

「それを、早く、言ってよっ!!」

 僕、姉と妹を待たせてるかもしれないのに!

 彼女が言い終わらない内に全力ダッシュ。


「まあ貴方の体感としては一瞬だよ?ゲートが閉まるっていうか世界自体が次の薄明時間まで止まるね! 時計はあるけどねっ」

 僕以上の走る速さでまだ喋っている。

「いや聞いてる場合じゃない。というか、ゲートが閉じるまで後何分くらいなの?」

「三分! がんばれっ!」

「他人事っ!」


 あ……でも意外と近い。僕の足の速さで、普通にゲートまで戻れた。


「じゃあ……今のところは帰るけど、また来るよ、えっと……名前、教えて?」

「え? あ——……私は、ソラノって言います」

「ソラノ……さん? ちゃん? どっちでもいっか。よろしくね」

「……うん」


 一瞬だけれど、ソラノちゃんの目が少し、悲しい色になった気がした。

 視界が、夕焼けの色に呑まれて、僕は元の森に戻ってきた。

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