第34話
だが鯨の皮膚は分厚い。皮下脂肪はもっと分厚い。
刺さったといっても僕の腕力では、モリの刃先がやっと隠れるかどうかという深さだ。
「あれで十分です。モリには返しがあるから、そうそう抜けるものですか」
リリーの言葉通り、モリは抜けることなく、傷口は出血を始めている。周囲の水が赤くなりかけているのだ。
ところが、
「まずい」
リリーが声を上げた。
「どうしたんだい?」
「鯨が潜水の準備をしています」
「えっ?」
その言葉通りだった。波の様子が変わり、鯨が水中へと沈み始めていると分かる。
灰色の体が水面を切り裂くさまは、まるで潜水艦のような眺めだが、もちろんコバルトをその背に乗せたままだ。
さらに大きな波しぶきが上がる。
あっという間に、鯨とコバルトは波の下に姿を消してしまった。後に残るのは、モリにつながれたロープだけ。
だがそのロープも、ずんずん引かれて水中へ消えてゆくのだ。
リリーの声も緊張を隠せない。
「奴め、密かに潜水の準備を進めていたのか」
「コバルトはどうなるんだい?」
「背中につかまったままでいる他ありません。手を離した途端、牙の餌食ですから…、おっと」
「なに?」
「ロープの長さはどのくらいでした?」
「20メートルもなかったと思う」
「そうでしょうね。ものすごい引きの力です」
これまでリリーはロープの端を片手で持っていたのだが、それを持ち替え、手首に強く巻き付けた。
「ごらんなさい。私はもう泳いではいませんよ。鯨の力に引かれているだけです」
「深海に逃がすことは防げる?」
「どうでしょう? 鯨の疲労を待つしかありませんね」
それは本当に強い力だった。リリーの体は決して小さくはない。それを背中の上の僕ごと、鯨はどんどん引っ張っていくのだ。
リリーの体は白い三角形の波を高く立て、まるで機関車のようなパワーじゃないか。
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