第12話 後悔(理玖)



「ちょっと知武じん兄さん、人んちで飲み会なんて開くなよ」


 1年半前のとある冬の夜。


 高校生の高田理玖たかた りくの自宅マンションでは、幼馴染の大学生──知武じんによってパーティが開かれていた。


 30畳ほどの広いリビングで、酒を飲んで騒ぐ大学生を見ていると、志望大学を変えようかと思ってしまう。


「いいじゃないか、ちょっとくらい。減るもんじゃないし。どうせお前、今日も一人でお留守番なんだろ? こうやって盛り上げてやるんだから、ありがたく思えよ」

「酔っ払いの相手なんて楽しいわけないだろ」

「なんだと? 誰がお前の勉強見てやってると思うんだ」


「家庭教師が勝手に飲み会開いてると知ったら、父さんも怒るよ?」

「大丈夫、片付けはきちんとやるからさ、今日だけは部屋貸してくんね?」

「その言葉は飲み会を始める前に言ってくれよ」

「あはは」

「……はあ」


 幼馴染の知武じんは、頭は良いのだが、人の迷惑を考えないところがあった。


 そしてそんな知武の無茶ぶりに辟易へきえきしながらも、追い出すこともできず、居酒屋と化した部屋でイライラしていた時だった。


 何をしでかすかわからない知武を、理玖が見張っていたら……。


「おい理玖りく、見てるだけじゃつまらないだろ? お前も飲めよ」

「はあ? 俺は未成年だけど?」

「良い子ちゃんぶって……ちょっとくらいいいだろ?」

「いや、良くないだろ」

 

 酔っぱらいに絡まれた理玖は、呆れた声を出すもの、知武は楽しそうに酒を持ってくる。


「近づくなよ、酒臭い」

「お前も飲めばニオイなんて気にならなくなるぞ」

「しつこいな、飲むなら友達と飲めばいいだろ」

「なんだと? 兄さんに向かってその口のきき方はないだろ」

「何が兄さんだよ」

「生意気だな。こうなったら無理にでも──」


 そんな風に非常識な知武に絡まれている時だった。


 大学生の1人が、知武の手から酒の缶を奪った。


「おい」

「あ?」

「中学生に絡むなよ」


(は? 中学生?)

 

 子供扱いされて理玖が思わずムッとしていると、知武じんがニヤニヤしながら絡む相手を変える。


「おお、叶芽かなめ。飲んでるか?」


 伏し目がちに見える目が印象的なその人は、呆れた顔をしていた。


「飲んでるか、じゃないよ……お前は何をしてるんだ」

「何って、こいつに酒を教えてやろうかと」

「はあ? 警察沙汰になりたいのか?」

「叶芽は大袈裟だな」


「大袈裟なんかじゃない。未成年に飲酒をすすめるのは立派な犯罪だよ。くだらないことで、お前の経歴に傷がつくぞ」

「なら、かわりにお前が飲めよ」

「俺なら飲んでるよ」

「ていうか、お前に飲ませてもつまらん。おーい、アユちゃん」


 知武じんがソファにいる女性陣の方に向かうと、〝かなめ〟と呼ばれたその人は理玖に視線を向けた。


「君、大丈夫?」

「……はい。ありがとうございます。でも中学生じゃないです」

「あー……高校生だったか。ごめんね?」

「いいです。よくあることですから」


(この人……大学生なのに、なんか可愛い)


「君みたいな子がこんな場所にいるのはよくないよ。また絡まれたくなかったら、早く帰った方がいい」

「すみません、ここ俺のうちなんです」

「ええ!? 知武の家じゃないの?」

「はい」

「全く……あいつは! ちょっと言ってやる」

「いいんです。いつものことですから」


「……ほんとにごめんね」

「どうしてあなたが謝るんですか?」

「いや、もともと俺のために開かれた合コンだったから」

「だったら、向こうに行かなくていいんですか?」

「俺はもう、合コンはいいよ。めんどくさい」


 叶芽は髪を掻き上げるが、その仕草が妙に色っぽくて、理玖は見てはいけないものを見てしまった気持ちになる。


「あ、あの……あなたは」

「叶芽だよ。叶うに新芽の芽で……」


 叶芽はそう言って、理玖の手のひらに指で書き込んだ。


「叶芽さんは、知武じん兄さんと仲良いんですか?」

「まあ……普通かな。飲み友達って感じ」

「こんなこと言うのもなんですが……叶芽さんってお酒強くなさそう」

「そう? 確かに、あまり強くはないけど……飲むのが好きなんだよね」


「じゃあ、お酒……もっと用意しましょうか?」

「いいよ、これ以上飲んだら記憶がなくなるから」

「そうなんですか? お酒ってこわいですね」

「いや、俺の場合だから」

「おーい、主役が何してるんだよ」

「知武」

「誰か持ち帰りたい女の子はいたか?」

「高校生の前でそれはないだろ」

「なんだよ、それとも理玖りくでも持ち帰るのか?」


 知武じんの言葉で、どっと笑いが起きた。


 酔っぱらい集団に理玖がポカンとしていると、叶芽がやれやれと溜息をつく。


「人の家だし、そろそろお開きにしよう」

「ええ、まだ飲み足りねぇ」

「もう少しなら、大丈夫です」


(……俺、何言ってるんだろう)


 あれだけこの飲み会が嫌だったはずなのに、もう少しだけ引き伸ばしたいと思い直す自分に、理玖は戸惑っていた。


 そしてそんな理玖の心内こころうちを知らず、叶芽は申し訳なさそうに頭を掻く。 


「いいのか? このままだと、あいつら潰れるかも」

「そうなったら、タクシー呼びますから」

「……君がいいなら、いいんだけどさ……」

「それに俺、叶芽さんともっと喋りたい」

「嬉しいこと言ってくれるね」


 叶芽がまんざらでもなさそうに笑うと、理玖はソワソワし始める。


(この人……なんでこんなに可愛いんだろ)


 酒で赤くなった叶芽の首筋を見て、理玖は喉を鳴らした。


「ちょ、ちょっと待っててくださいね」

「ん?」

「あの、どうぞ……ビールです」

「もう酒はいいのに……しかも高校生にすすめられるなんて」

「せっかくですから」


 それから理玖が持ってきたいくつかの酒で、叶芽は潰れた。


「うう…」

「大丈夫ですか、叶芽さん」

「……う……ん」

「よかったら、俺の部屋で横になってください」


 叶芽を自分の部屋に寝かせた理玖は、叶芽の綺麗な寝顔をじっと見つめた。 


(……やっぱり可愛い)


 人に触れてみたいと思ったのは、初めてだった。


 理玖はゆっくりと叶芽に手を伸ばす──が、


「おい、やめておけ」


 いつからそこにいたのだろう。


 背後から声がして振り返ると、知武が立っていた。


「知武兄さん」

「そいつに手をだしたら、後戻りできなくなるぞ?」

「後戻りって」


 知武にたしなめられて、理玖は唸る。


「言っておくが、そいつは綺麗な顔はしているが、立派な男だからな。いっときの感情に流されて手を出したら後悔するぞ」

「……」

「まあ、その感情が何年経っても変わらないなら、止めはしないけどな」


 知武はそれだけ言うと、ふらふらと去っていった。


「……そうか、この人……男の人なんだ」


 その言葉を口の中で反芻する理玖。

 

 静かな部屋で心臓の音だけが響いていた。




 それから理玖は、何人もの女子とつきあった。


 最初はそれなりに楽しんでいたつきあいも、深入りするほど面倒になり。


 別れ話を切り出すたび、泣かれるのが苦痛になって、理玖は誰かとつきあうのをやめた。



 ──そんな時だった。叶芽と再会したのは。



 久しぶりに会った叶芽は、変わっていなかった。


 いや、むしろ色気に磨きがかかってさえいた。


 ただ、理玖のことを忘れていることが少し悔しかった。




「事務局? 俺が案内しようか?」


 気さくで優しい叶芽に、恋心を再燃させた理玖は、今度こそ触れたいと思うようになった。


 叶芽を独占したいあまり、ブレスレットをプレゼントしたが、鈍感な叶芽は全く気付く様子もなく、喜んでプレゼントをつけてくれていた。


 だがまさか、叶芽に彼氏がいるとは。


 幼馴染の知武に何度となく確認した時、叶芽は誰ともつきあっていないと聞いた。


 おそらく叶芽と冬真は隠れてつきあっているのだろう。




「やっぱりあの時、触れておけば良かった」


 叶芽と会った帰り道の歩道橋で理玖は呟く。


 後悔したところで、時間を戻すことはできず。あの時止めに入った知武じんを恨むことしかできなかった。





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