第11話 嘘(叶芽)


「……俺、帰る」


 酒のせいで多少ふらついてはいるが、まだ大丈夫だと思った。


 だが叶芽かなめが帰ろうとすると、理玖りくが慌てて退路を塞いだ。


「待ってください。謝らせてください……ごめんなさい、叶芽さん」


 そんなことを言いながら、理玖は再び叶芽を抱きしめる。


 今の叶芽は、理玖が何に対して謝っているのかもわからなかった。


「叶芽さんはどうせ明日には全部忘れるんですよね?」

「……え? なんのこと?」

「叶芽さんは覚えてないかもしれませんが……実は俺、何年か前に叶芽さんに会ったことがあるんです」


「……そうなの?」

「はい。幼馴染が叶芽さんと同じ大学で……うちでパーティをした時、叶芽さんが来たんです」

「……でも俺……この部屋には来た覚えがないけど」

「引っ越したんです。幼馴染が悪ノリして俺に酒を飲ませようとしたんですが……その時助けてくれたのが叶芽さんでした」


「……覚えてない」

「だって叶芽さん、お酒飲んだら全部忘れるんでしょう?」

「そういえばそんな時期もあったけど……今は忘れないよ」

「そうなんですか?」

「もしかして、どうせ忘れるから何してもいいと思ったの?」


「……」

「人をオモチャにして理玖は楽しいかもしれないけど、俺は──」

「叶芽さんをオモチャになんかしてません」

「じゃあ、なんでキスなんかしたんだよ」

「あなたのことが好きだからです」


「……え」

「ねぇ、叶芽さん……俺にもっと教えてくださいよ。叶芽さんのこと」

「俺のこと?」

「俺は叶芽さんの隅々まで知りたい」

「な……」

「なんちゃって」

「……」

「叶芽さん、顔真っ赤ですよ。お酒のせいですか? それとも俺のせいですか?」


「こ、高校生のくせに」

「高校生だからなんですか? 叶芽さんは反応が中学生みたいですね……可愛い」

「なんだと!?」

「俺、叶芽さんはもっと大人だと思ってました」

「少なくとも理玖よりは大人だ」

「冬真さんとは、いつからそういう仲になったんですか?」

「……え」


 理玖の問題発言で、叶芽の頭から血の気が引いた。


 いっきに酔いが冷めたような気がした。


「俺、実は聞いちゃったんです。2人が個室でお仕置きとか言って──」

「やめろ!」


 叶芽が耳を塞いで黙り込むと、理玖は震える叶芽をさらに強く抱きしめる。


「いいなぁ、お仕置き。じゃあ俺は何にしようかな」

「な、何するつもり?」

「それを今考えているんです」

「悪いけど、俺は冬真を悲しませるようなことはできない」

「そう言うのもわかってました。だから取り引きしませんか?」

「取り引き?」


 叶芽が不安な目を向けると、理玖はデニムパンツのポケットからスマホを取り出した。

 

 そして理玖が何かのアプリを起動すると、叶芽と冬真の音声が流れた。


「冬真さんと愛し合ってるこの音声を拡散されたくなかったら、俺と遊んでください」

「いつの間にそんなこと……」

「ね、綺麗に録音できてますよね? だから、俺の言うこと聞いてくれますか?」

「……」


「震えてる叶芽さんも、可愛い」

「どいつもこいつも……」

「え?」

「奪うことしか知らないのかよ」

「叶芽さん、あっちの部屋で……」

「人のこと、バカにして!」

「あ、ちょっと!」


 叶芽は理玖からスマホを奪うと、それを思い切り踏んづけた。


 が、さすが最新機種だけあって、簡単には潰れないので、叶芽は力いっぱいスマホを折り曲げた。


「俺のスマホ!」

「これの弁償ならしてやる。けど、お前と変な関係になるのは無理」

「変な関係って……」

「高校生が脅迫なんかするなよ!」


 叶芽は理玖を力いっぱい殴るもの、大した力はなかった。


「あのさ、今なんの時期かわかってる? 受験だろ? 受験! くだらないこと考える余裕なんてないだろ?」

「でも俺はA判定ですし……」

「俺の友達はA判定で落ちたの! 告白したいなら、合格してから出直して来いよ!」


 最初はポカンとしていた理玖だが、しばらくして笑い始める。


「やっぱり叶芽さん好きだなぁ」

「今まで猫かぶってたんだな。とんだ狼だよ」

「じゃあ、俺が合格したら、叶芽さんを好きにしてもいいですか?」

「なんでそうなるんだよ。そもそも俺には冬真がいることわかってるだろ?」


「俺のことを好きにさせる自信があるので」

「その自信はどこから……」

「俺、うまいから」

「何が?」 

「叶芽さん、中学生どころか、小学生ですね」

「失礼な!」


「てっきりカマトトぶってるだけかと思ってました」

「俺の可愛い理玖を返してほしいよ。まさか中身がこんなやつだったとは」

「可愛い俺がいいなら、そういうふりもできますよ」

「……帰らせてくれ」

「俺のこと、嫌いになりました?」

「……別に。迷惑なやつだとは思うけど」


「たいがいの女の子は、俺のことを知って『思ってたのと違う』とか言うんですよね」

「だろうな」

「でもただ見てるだけは嫌だったから」

「だからって、無理やりはダメだろ?」

「叶芽さんはそういうのが好きなのかと思いました。だって冬真さんといる時……」


「わあああ! 言うなよ!」

「だから、こんなきっぱり断わられるとは思いませんでした」

「あいつには俺も困ってるんだよ……」

「だったら、俺にもチャンスありますか?」

「ない」

「……」


「言っとくけど、好きじゃなかったら、あいつとは付き合わないよ。しつこいし、面倒くさいやつだし」

「俺なら叶芽さんと楽しく付き合えると思うのに」

「何が楽しくだよ、脅迫しようとしたのは誰だ? いくら強引でも、冬真はさすがにそんなことはしないぞ」


「あーあ、残念だな。本当だったら、今夜は叶芽さんが泣くまで色々する予定だったのに」

「高校生は高校生らしく、可愛い子と可愛いキスで満足しろよ」

「わかりました。今日はそうします」

「え? ん……」


 不意打ちのキスに、気づいた頃には遅かった。深く深く口づけられて腰がくだけそうになったところを、支えられた。


「……だから、なんてキスするんだよ」

「この持て余した欲求はどこにぶつければいいんですか?」

「知るか! 俺は今度こそ帰るからな!」






 ***






「……ねむ。今日は帰ったら速攻寝ようかなって……冬真?」

「どこ行ってたの?」


 理玖を振り切ってなんとか家に帰ることができた叶芽だが、自宅マンションの前には、なぜか冬真がいて──叶芽は気まずい気持ちで息をのんだ。


「用事があるって言っただろ」

「叶芽、お酒くさい」

「ビールの試飲したから」

「試飲会でもあったの?」

「いや、ちょっと理玖──」


 言いかけて、叶芽は口をおさえる。


 言わないつもりだったのに、まだ酔いが冷めきっていないのか、言葉がつるりと口を出てしまった。


「理玖? あいつのところで酒を飲んだの? 高校生だろ?」

「ああ、飲めないから俺がかわりに飲んだんだよ」

「どういうこと?」


 叶芽は理玖から酒をもらった経緯を話した。もちろん、キスしたなどとは口が裂けても言えないが。


「ふうん。で、酒は結局持って帰らなかったの?」

「ああ、もらうの忘れてた」

「叶芽、ちょっときて」

「え、なに?」


 マンションの狭いエントランスに連れていかれた叶芽は、冬真に壁際まで追い詰められる。


「な、なんだよ、冬真」

「あいつに何かされたでしょ?」

「はあ!? 相手は高校生だぞ」

「でも叶芽が、そういう目してる」

「そういう目ってどういう目だよ」

「キスした後のとろけそうな目」


「……なんだよそれ」

「叶芽は自分では気づいてないかもしれないけど、そういうことした後、そういう目をするんだよ」

「おかしなこと言うなよ」

「おかしいのは叶芽だよ。あいつはあんなにわかりやすいのに、なんでわからないの?」


 冬真に唇を噛み付かれて、叶芽は慌てて冬真を押し返した。


「……ん! ……ちょ、ちょっと! ここ共用部だから、人が通るかもしれないだろ!」

「俺は誰かに見られてもかまわないよ」

「俺が嫌なの! だからなんでお前はそう、常識が通じないんだよ」

「常識って何?」


 冬真に引きずられるようにして部屋に連れていかれた叶芽は、合鍵を渡したことを後悔した。

 

 部屋に入るなり、叶芽に覆いかぶさる冬真。


 叶芽は慌てて逃げようとするが、冬真はそれを許さなかった。


「やめろよ」

「正直に言うまでやめない」


 やめないと言われても、言うわけにはいかなかった。まさかキスされて脅迫までされたとは言えるはずもなかった。


 仕方なく叶芽は泣きまねをする。


「……なんで信じてくれないんだよ」

「ウソ泣き」

「どうしてそういう時だけわかるんだよ!」

「俺は叶芽のこと、なんだってわかるから、嘘ついたって無駄」

「待って……本当に待って」


 脱がされて危機感を覚えた叶芽は本気で抵抗するが、冬真は知らないふりをしていた。


「お前、俺が怖いのわかっててやってるのか?」

「お仕置きだから」

「……ん」

「ねぇ、あいつに何されたの?」

「何もされてない」

「嘘つき」


 その日、冬真は叶芽が泣いて懇願しても最後までやめなかった。



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