第25話 道路標識と私
大人になった私は、高校生の頃を懐かしみながら仕事についているところだった。
とっくに十八歳をすぎて、さんひょー、というか、私の父は遂にいなくなった。
私に"警告"をしていたあのひし形の標識も滅多に見ないので、標識と喋ること自体ほぼ少なくなって。
それでもたまに、誰もいない時には、いきなり挨拶をしては色々な標識を驚かせている。
前まで自分から話しかけることなどなかったのに。いや、話しかけているのは明確には人ではないけれど……。
死がないはずの
普遍的だった私は道路標識と話せる時点でそうではなくなってしまった上。
不変的だった私も、少しは変わった。少なくとも、過去の
私は現在、若手のピアニストになっている。
短いながら、現在の様子を伝えたいと思う。
昔はピアノは趣味にとどまっていたので、まさかそれを仕事にするなど考えもしなかった。まあ、結局こうなるんだろうな、という気はしていたけれど。
そんな気持ちでも、芸術大学には進んだは進んだが、少し考えなしだったかもしれない。
……単純についていくのが大変だった。ピアノもほぼ自己流だったから知識がなくて。
暁音さんも父も、光も、裕海までも応援してくれたので、行くしかないか、と軽い気持ちで入ったから。……いや、彼らのせいにするつもりはないよ。
なんだかんだで、今は大好きなピアノを弾く毎日が楽しくてたまらない。
今日は、オーケストラとの共演があるので、私は色んな楽器を扱う人と話していた。私が扱いきれない大きさの楽器もあって、新鮮で楽しい。
……共演と言っても、私はまだ無名なので、ここで名前を売りたいところなのだけど。
コンクールとかも出てないからなぁ。
やっぱり出たほうがいい?と、いつのまにかピアニスト仲間になった裕海に聞くと、少し呆れられた。
その後に、裕海にこう説得されて。
「……ニコちゃん、いいから私についてきて。私もまだ無名だから、一緒に海外のでっかいコンクールでよう! それで売り出すんだよ? 入賞でもすれば尚更……」
以下略。
そういうコンクールには、オーケストラと演奏するものもあるらしい。だから、その練習として、以前からオファーを受けていたところとコンサートをすることになったのだ。
……なぜ無名に等しい私のことを知っていたのかは知らない。
「笠島さん、だれか好きな有名人とかいますか?」
そう聞いてきたのは私と同年代くらいの、女性の指揮者の人だった。辻堂さんという。
「いや……私はあまりテレビも見ないので、芸能人も俳優もよく知らなくて」
「私はこの人です! バレーボールの選手なんですけど……筒井選手って知ってますか?」
びくっ、と体が反応した。
知ってるも何も、私の元同級生……なんだけどね、と心の中で思う。
「まあ、スポーツとかなら見たことあるので知ってますけど」
軽く答える。下手に話すとどんなに騒がれるか……。
「そうなんですか!! この人はすっごくかっこいいんですよねぇ……優しい顔なのに試合だとすごいかっこいい……」
……すごく楽しそうな人だ。実際、私の好きな芸能人を聞きたかったのではなく、ただ話したかっただけだろうと思う。
「今日もこれから試合らしいですよ……見たかったなぁ……」
「辻堂さん、本番前なのにそんなことしないでください。笠島さん集中できないでしょ」
第一バイオリンの
「仕方ないじゃないですかー、
「
おかげでみんなに噛み噛み神田って言われてるんですよ……。と嘆くカミタニさん。
名前からして噛んでいるのがもっとおかしい。
今日で公演は最後なのだが、この二人は毎日飽きずにこの流れになっている。
なんだか学生時代に戻ったみたいな。
「……辻堂さん、最終日もよろしくお願いしますね」
そろそろ本番の時間も近づいているので、二人の会話を遮るように改めて挨拶をした。
「んっ? うん! 頑張りましょう!」
裏ではとても明るい人だが、本番の切り替えが凄まじく速い人なのだ。
そんな人たちと一緒に演奏をするのは、とても楽しい。
いつでもふと、私はこんなに幸せでいいんだろうか、いつか罰が下るのではないか、と考えてしまう。
なんとなくこういうことを言うのは哲学的だけれど、生き物というのは、生きている物というわけだから、人間は人間らしくいればいいじゃないか。
人間らしいっていうのは……まあ、自分で考えよう、そこは。
そんな時に、ぴこぴこぴこ、と私のスマホが鳴った——電源を切るのを忘れていた。
電話だった。
丁度直人から。
「こんな時に——緊急だったらまずいのでちょっと出てきます」
さっと楽屋を出て、すぐに電話に出る。
「な、直人。私が電源切り忘れてたから今出てたけど、もしこれがもっと直前とかだったらまずかったんだよ——」
焦って早口になる。
「まあまあ、ニコさん。僕もこれから試合だったからお互い様だよ」
「良くない。さっさと試合に集中した方がいいよ……と言うか何でこんな時に電話を」
……ん?試合"だった"?まさか——
「事故った」
「はあっ!?」
大声を出して、楽屋から何事かと何人かがこちらを見ているのが分かった。
「何でよ、もう……行けないからね」
何か言いたげな直人との通話を無理矢理切って、電源までも切る。
私からは一言だけ。
皆さん。
交通事故にはお気をつけて。
道路標識と私 しがなめ @Shiganame
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