第46話:ドラゴン③

 彩はまたしても一人で走っていた。


「このところっ、一人でいるのがっ、多いわねっ……!」


 走りながら悪態もつく。


 あちこちでサイレンが鳴り響き、空気もかなり煙たい。


 空にはワイバーンもいる。


 ぱっと見で一般市民が見つからないのは救いだろうか。避難が進んでいるのだろう。


「いっ! やば!」


 いくつかのワイバーンが彩を見つけたのか、急降下して近づいてくる。大きさは以前、乾燥地帯で遭遇したワイバーンより小さいが、今は彩一人だ。そして息も切れている。


 それでも杖を取り出してどうにか応戦しようとしたら、一匹が血飛沫を出して墜落した。

 そして二匹、三匹と続く。遅れて銃声が響く。


 さっきの魔狼に追われた時に似てるな、と強烈なデジャブを感じて音がした方向を見ると、後ろの建物で手を振る人影が二人見えた。友希乃とあさひのペアが援護してくれたのだろう。彩も軽く手を振りかえす。


 近くにはいないが、見てくれている人がいるのはありがたいことだ。


「……優香たちは大丈夫かしらね」


 言っておいてすぐにそんな心配いらないか、と思い直した。


*****


 目的地に向かって進んでいくと、やがて端末が救難信号を受信した。


 委員会支給の携帯電話は市販品と違って無線の送受信ができる。


 異世界でも位置を知らせるビーコンにもなるし、こっちの世界で使えば救難信号にもなる。


 デジタルな信号ではないので正確な位置はわからない。


 アナログな電波なので近いか遠いかが電波の強弱でわかると言った程度で、市街地は電波が乱反射するのでわかりづらい。そして今はドラゴンの出現によるジャミング下にいるので、さらにわかりづらい。


 呼びかけると応答はあったが、声がうまく聞き取れない。


 幸いにして、発信源に近づいたら場所はすぐわかった。泣き叫ぶような声がビルの一階、吹き抜けになっている駐車場から聞こえてきた。


「お願いっ……! 死なないで……! 頼むっ! 生きてっ……!」


 彩と同い年くらいの少女が、泣きながら地面に跪き、片腕を何かに押し付けていた。

 彩にはそれが心臓マッサージだと気づくのに時間が必要だった。


 地面に横たわる人間が、あまりにも黒く——炭化していた。が人間だとは思えなかった。


 二人に近づくと、横たわっているのが同い年くらいの少年で、ちょうど彩が最初に見た側に集中して火傷があった。


 体の三分の一が炭化している。Ⅲ度の熱傷だ。


 胸は動いていないし、目は閉じている。トリアージなら黒判定になるかもしれない。


「ねぇ! まだ生きてるの?!」


 彩が呼びかけると、ぐしゃぐしゃになった顔を彩に向けて叫ぶ少女。


「わかんない! でもさっきまで息してたし、喋ってたの!」


 なら、まだ間に合うかもしれない。


「どいて」


 彩は杖を構える。


「あ、あなた、もしかして、回復魔法、使える、の?」


 ぐしゃぐしゃの顔のまま呆然とする少女。


 その言葉には応えず、集中して魔力を込める。


 彩と少年の間に細いながらも魔力が流れる。生命力の糸が繫がるのを感じる。


 異世界の聖女として、たくさんの人を癒してきた。その度にいつもその人と繋がるような感覚があった。


 生きている、生きようとする力が彩の中に流れ込んでくる。彩はそれを戻してやる。たくさんの祈りを込めて。


 たちまち少年の体が淡く光り始める。治癒魔法が機能し始めた証だ。


「よかった……通じた……」

「……え? た、助かったの……?」


 ポカンと、体がフリーズする少女。彩が来て一瞬のうちに事態が改善し、感情の処理が追いつかないのだろう。


「よ、良かった……良かったよぉぉぉぉ……」


 少女は呆然としたかと思うと、今度は号泣し始めた。さっきまで絶望していたのに、急に命が一つ助かった。感情がジェットコースターのように変わっている。


 感極まって抱きついてくる少女に彩は頭を撫でてやった。


「よく頑張ったわ。彼、しばらくここから動かさないで」

「うん、うん……ありがとう……ありがとう……!」


 彼女は彩に抱きついて泣いていた。彩の腰に回した片腕でぎゅっと抱きしめられる。


 その時になって気づいた。さっきも心臓マッサージをしていた時、片腕じゃなかったか?

 そう思ってよく見てみると、少女のもう片方の腕はだらんと垂れて、木片が刺さっていた。太くはないが、貫通している。


 血は黒くなっているので、もう止まっているのだろう。


「あ、あんた、腕! 大丈夫?!」

「あ……うん、だ、大丈夫、これくらい。ドラゴンの炎を喰らった時、彼が庇ってくれたんだけど、近くのボンベが爆発しちゃって……私なんかより、あっちの方がよっぽどだったから、あんまり気にしてなかったんだ」


 そうはいっても、急に痛くなり出したように顔を苦痛に歪める少女。


 今まではアドレナリンが出ていたからなんとかなっていたのか、彩が指摘すると痛みを自覚したのだろうか。


 彩は考える。


(治癒魔法は使えてもあと一度。でも、使うともう魔力もなくなる)


 苦痛で顔を歪める少女。どんどん痛みが強くなっているようだ。


(この子、とっても痛そうだけど……)


『今回は彩さんが鍵になると思っています』


 優香の言葉を思い出す。最初から答えは決まっていたが、それで覚悟が決まった。


 意を決して言う。


「ごめんね、治してあげたいのは山々だけど、もう回せる魔力がないの。今からあのクソトカゲをどうにかしなきゃいけないから……」


 そこで言葉を区切る。その次の言葉は言う側にも勇気が必要だった。


「悪いけど、あんたは治療してあげれない。ここで救助を待って欲しい」


 胸が締め付けられるような思いを飲み込み、そう伝えると、少女は頭を横に振った。


「き、気にしないで……マサトを治してくれただけで、十分。私の怪我は、死にはしないから、我慢するよ」


 あはは、と空元気を出して笑う少女。そしてすぐに「痛っ」と顔を歪める。


「ご、ごめん。鎮痛剤持ってないかな? 気休めだとは思うけど、あったら欲しいな」

「えぇ、あるわ」


 彩は持ち歩いている鎮痛剤を渡す。普通なら一錠で十分だが、残っているシート丸ごとをあげた。


「悪いけど、行くわ」

「うん、大丈夫。ありがとう。……ねぇ」

「うん?」

「あなたはドラゴンをどうにかするって言ってるけど……私にとってはもう、あなたは英雄だから。きっと、いい結果が出せると思うよ」


 力なく笑う少女に、ありがとと言って彩は駆け出した。

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