D級指名手配
名刺の表には「学校法人らんらん学園アズヤ小学校長、らんらんホールディングスアズヤ支社長、薬物根絶クリーン活動NPOらんらんアズヤ支部リーダー、らんらんミリタリーらんどアズヤ支店営業部統括マネージャー、山田イケオ」、と虫メガネでもなければとうてい読めそうにもない超豆文字の肩書が羅列されている。
アカリは眉間にしわを寄せた。名刺に鼻を寄せてくんとかぎ、口をへの字に曲げる。
「うぇえクッサ、まさかハクにまで偽名で通しとったんとちゃうやろな、香水クッサ」
「エーー嘘は書いてないですよォーー」
「全部書いてないだけだろ」
名刺の裏面に隠れたまがまがしい名を意識から払いのけ、ユートはベルトポーチの縫い目に指を突っ込んだ。《本物》のガラスアンプルを取り出す。
「返す」
ぴんとはじいて投げる。
空中に回転するガラスアンプルを見た途端、ハツネはぎくりと腰を浮かした。
「でっ、《
黒服改めゼクトは、にこやかにハツネを見やった。ハツネはカエルのつぶれたような声を上げてその場で硬直。
「ふぅーーん? これがどないかしたん?」
アカリが横から手を伸ばした。無邪気にガラスアンプルをかっさらう。
ゼクトは腕組みしてソファに深く身をうずめた。目深にかぶった山高帽の下で無言の薄笑いを浮かべる。
ユートはうなじに手を当てた。
「ラーメン屋にいた連中が眼の色変えて《食いついてきた》ぐらいだ、よっぽどのいわくつきなんだろうが」
注射跡の熱と腫れ、声が濁る症状も今のところは治まりつつある。街中で派手に暴れて新陳代謝がよくなったせいだろうか。
(返してやれ)
(そんなにヤバげなブツなん? ただのあぶないクスリやのうて?)
(ただのヤバげな
思考データ回線で会話する。アカリは素直にガラスアンプルを黒手袋のてのひら上に置いた。
「どーもォ」
握り込んだゼクトの手がくるりと裏返る。一瞬後にはもうらりっぺたんがデレデレと笑う絵柄のコインに変わっていた。
「見つかってないのはあと何本だ」
「二本」
「じゃあ交渉終了だな。俺が持ってるのは
ブツの受け渡しが無事に終了したのを見届け、ユートは立ち上がった。なにげなく部屋を一周し、クローゼットを開ける。
ハンガーにかかった黒服と一揃いらしきらりっぺたんのハリボテ頭と眼が合った。これまたずらりと並んでいる。
手に取った。
ためつすがめつ眺める。ここにビルに踏み込んだ直後感じたノイズ発信源はない。では、盗撮していたのはいったい誰だったのか。
などとぼんやり考えながらハリボテと見つめ合うシュールな時間を過ごしたあと、小脇に抱えたまま振り向いた。
「そんなもんに《120億》をチャラにするだけの価値があるのか」
「だからこそ知りたいんでしょォがァ」
ゼクトは不遜な態度でソファにもたれた。組むにはやたらと長すぎる足をどかりとテーブル上に投げ出す。
「そいつを《何で》オニィチャンが持ってたのかを……よォ?」
瞬時に記憶が巻き戻された。ハツヨばあちゃんに頼まれた荷物。謎の
ゼクトは鼻歌をフンフンいわしながら、のんきにスーツのポケットから色とりどりの棒付きキャンディを出してより分けている。
赤、白、青、オレンジ、緑、紫、黒。
ユートは無言で行儀の悪い足を蹴り落とした。ゼクトはわざとらしくさらに両足をぐばあと大股開きに開いて、テーブルに乗せなおす。
ユートはアカリに目配せした。顎をしゃくる。
「ほいサー」
二人で同時に動いた。不調法な足をそれぞれ別の方向に大開脚。ゼクトはテーブルにキャンディをぶちまけてもがいた。
「ァァン痛い痛いもげるゥさすがD級指名手配プレイが激しいおあ゙ああ゙ああっアッアッーーー」
「ウザイわめくな黙れ」
名刺を投げ返す。狙いあやまたず名刺の角は股間に突き刺さった。
「ヴッ」
「いちいちコントやらんと気が済まんのか」
ゼクトは股間に名刺を大量に生やしてふんぞり返った。
「千の嘘にたった一つの真実が流儀なもんでェ」
満足げにくつくつと笑う。
先ほどまでキャンディを数えていた指の間に、ガラスアンプルが二本挟まっている。一本はユートが持ってきた傷入りでラベルが読めないもの。もう一本はゼクトが街中で見せた同種の新品と思われた。ラベルの文字は指に隠されて巧妙に見えない。
「んじゃァ本題に入りますん」
小型のペンからブラックライトを照射する。ガラスアンプル内の液体はどちらも青紫の蛍光色を発した。
「見てもらった方が早いんで。記録映像出しますねェ」
ハツネが背中をこわばらせた。視線が左右に揺れる。
「おい山田、やめろよ。そんなもん何もこんな小さな子の前で」
ゼクトはあごをそらし、眼をほそめて狡猾に笑った。
「んフゥ? それもこれも全部、駄菓子屋が駄菓子売らねェでそんなもんに手ェ染めたせいなんですけどォ」
祖母の名を出されてハツネは顔をこわばらせた。膝に押しつけたこぶしがふるえる。
ユートは手元に残った名刺を一枚、胸の内ポケットへしまい込んだ。ただの紙でもいつかは何かの役に立つ。無駄に大層な肩書きを並べた名刺だが、このご時世にそれだけの道楽に資源をついやす余裕がある連中など一部の特権階級にしか存在しない。
冷ややかな間を置いて指摘する。
「民間人を脅すな」
ゼクトは片方の眉をぴくりと吊り上げた。
「認めるんですねェ?」
「何のことか分からんが勝手に妄想してもらって構わない」
吐き捨てる。
《D級指名手配》。罪状は
まさかとは思ったが、9年も前の軍規違反程度でこんな地方の一都市にまで
ちらっとアカリの顔を見る。もちろん、それだけのことをした自覚はあったわけで特に不当とは思わないが、だからといっておとなしく《
となれば、やっぱり。
……殺すか。
と。
ニッコリさわやか愛想スマイルであられもない決心を固めたところでさいわいにもハツネの表情に気が付いた。
ハツヨばあちゃんの名を出されたショックでひどく青ざめ、横顔を引きつらせてテーブルの一点を睨んでいる。
仕方なく思いとどまった。またアカリに人でなしのレッテルを貼られるところだっ——
(ヒトデナシ!)
やはり言われた。殺すのは次の機会に取っておくことにした——果たして
「正直でよろすィ。てめえのクビと引き換えならトントンだ。くまちゃん1号、映像出して」
ゼクトは通話内容を見透かしたかのように笑った。
ぱきんと指を鳴らす。
ぬいぐるみの双眸がカッと見開いて赤い十字の光を放った。部屋の照明が落ちる。向かいの壁にプロジェクター映像が投射された。
低画質の暗い映像だった。ドローン撮影だ。どこかの街の狭い路地へはいってゆく。単調なローターの唸り。
地面を走る赤いサーチライトの光。廃材と割れた発電パネルとゴミでできた廃屋に裸の男が座り込んでいた。うつむいたまま顔も上げない。
片腕で膝をかかえている。足元には黒と赤のガラスアンプル。もう一方の肘から先はない。隣には別の男が横たわっていた。膝から下の肉がごっそりと剥がれて骨が見えていた。傷の周辺がどす黒く壊死している。ライトが動いてさらに奥を照らす。血と膿にまみれた女が歯の欠けた口を開け、半分抜け落ちたぼさぼさ髪を振り乱して笑っている。
声が反響した。
「ぢょうだい……おねがい……」
「よご……えええ……」
かすれ声。泡を吹いているかのように濁って、ろれつが回っていない。
「ミ……ギデ……ぐれ……じょうだいよお……」
「よごぜえ……右イギ……ギデ……デ……エェェ」
サーチライトを追って、いくつもの黒く汚れた手が伸びてくる。
照明が切り替わった。
ブラックライトが周辺一帯に飛び散る蛍光色の飛沫を照らし出した。
そこでカメラが一気に上昇。
高層ビルの樹海がどこまでも広がる。ビル群は
かつては世界の中心ですらあった帝都、
だが、画面の奥は見渡す限りの闇だ。
動画は
薄青い光線がテーブルを横切った。ガラスアンプル二本とユートの首筋の注射跡が同じ青紫の蛍光色を放つ。
ユートは苦笑いした。
確かに同じ色だ。
「《
ゼクトはアンプルのラベル表示を淡々と読み上げた。
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