第6話 特別な力

 リプリエは不思議な存在だった。その後に分かったことだが、彼女はドルンドルンの一種の分身であるらしい。何でも、この世界が誕生する際に、ドルンドルンが自らの力を分け与えて作り出したという。


「だから、私はあなたが別物だとしても、その姿をしている限り、それなりの愛着を持って接することになる」


 リプリエは自我を持っていると言ったが、一体どの程度まで持っていて、それはこの先、どう変化していくのだろうか。彼女の自我が俺の影響下にあるというのなら、いつの日か、彼女の中にある余計な自我を消し去り、俺の思うがままにすることも出来るかも知れない。


 しかし人間とは不思議なもので、分身と言われると、幾らか抵抗が生じたのも事実だ。感覚的にいうと肉親に近いのだ。シチュエーション的には嫌いではないが、自分がその渦中に巻き込まれるとなれば、些か話は異なる。


 俺は断言しよう。性癖はそれとして、倫理観や常識は、間違いなく、まともなものを持っているつもりだ。そこだけは最後の牙城だと思っている。


 俺はリプリエから、ドルンドルン本人や、天界のことなどを軽く聞いていたが、やがて、奇妙な疲労感を覚えてその場を後にした。どうやら、この世界は時間の流れや感覚が異なっており、慣れない間は活動が制限されるようだ。


 その後、俺は吸い込まれるように、ベッドに身を預けた。


 シミ一つない、無機質な天井を見ながら考える。


 信じられないようなことが色々と起こったが、俺が風俗で微妙な思いをしてから半日と経っていないのだ。


 俺は最初、神々として新たな生を認識した時、自由気ままな暮らしを夢想した。しかし、それは努力なくして手に入る訳ではなさそうだ。


 また、一筋縄ではいかないような、不可思議な問題もある。


 俺は眠りに就く直前、その中の一つ、リプリエとの間に交わされた会話を思い起こしていた。


「あなたには特別な力を感じる。さっき、特に強い力を感じた瞬間があったのだけれど、あなたが何かしたの?」


 俺は返事に窮した。その言葉を受けたのは、リプリエが一瞬だけ体を巨大化させた直後だったのだ。


 その時の俺の感情はただ一言、強い欲情だ。男には、とてもではないが、女性から目を離せない瞬間だとか、とてつもない引力をそこに感じる瞬間がある。


 もっとも、それは現実世界では大っぴらにすることは出来ない。それはここでも同じだ。俺は劣情を見抜かれたようで、褒められているような、貶されているような、何とも言えない複雑な感情を抱いた。結局、俺は曖昧に言葉を濁して、その場をやり過ごすしかなかった。


 夜、俺は夢を見る。


 武装した集団が、山のように巨大な相手を取り囲み、砲撃や銃撃を食らわせている。片や別地点に目を向けると、多数の軍勢が対峙していた。剣と魔法の戦いだ、双方には巨大な怪物もいる。俺はそれを天上から眺めていた。勝負はつかず、一進一退の激戦が続く。


 やがて、俺はその大戦の結果を見届けることなく目を覚ました。 


 起きてからも、しばらくそのイメージが俺の中で尾を引いて残り、様々なことを考える契機となった。未だ全貌は見えないが、俺が今生きているのは、そのような幻想世界なのだ。


 それは確かに夢だが、そのような世界を作ることさえ可能かも知れない。全ての可能性は未知数で、希望に満ちている。


 しかし、それに際して憂慮がある。ドルンドルンの存在に付いてだ。


 彼は本当に消えたのだろうか。まず昨日、俺をあの世界に足を踏み入れさせたのは、恐らく彼の意思によるものだろう。消え行く前に、最後の意思を振り絞り、何かしらの未練を伝えたかったというのなら話も分かる。例えば、あの世界で成し遂げたい夢があった、などというものだ。


 しかし問題はそうではなかった場合だ。もし、ドルンドルンの存在が消えておらず、この体の中で眠りに就いている状態だというのなら、それは一種の脅威となる。簡単に言えば、俺とドルンドルンの間において、肉体と精神のせめぎ合いに繋がる恐れがあるということだ。


 俺はこの世界、生活に大いに興味がある。低級神だったり、いくつか気に食わない点もあることは認めるが、それでも、今すぐにこの生活を失いたいとは思わない。


 また、他に敵がいないとも限らない。俺とドルンドルンはどのようにして、このような状況にいざなわれたのだろう。そこには、何か理由があるのかも知れない。


 とはいえ、色々と考えてはみた所で、ドルンドルン邸で一人悩んでいても仕方がない。まずは宮中に赴く必要があるだろう。


 俺は昨日と同じ、ヒマティオンとかいう白い布に身を包み、玄関を出て門を抜けた。遠目には門の先には何も見えず、ただ灰色然とした風景が広がっていたのだが、門を出るとそこは宮中だった。理解できる訳ではないが、リプリエがいた世界への往来と、似たような仕組みなのだろう。


 瞬間、落ち着きのある声が飛び込んで来た。


「ドルンドルンだな、出た所で悪いが」


 小さなどよめきが起こった。俺が出現したのは、特に変哲のない宮中の一室で、他にも数人の下級神が集まっている。


 俺が姿を見せた瞬間、その女性は唐突な様子で室内に足を踏み入れると、まっすぐに俺の元へやって来た。


 その女性は雰囲気からして、俺たち下級神とは異なっているようだった。


 服装はルナータらと同じくぺプロスなのだが、下級神とは素材からして異なるようだった。加えて、ドレープなどの細部もまるで別物、俺たちのような単調な柄ではない。思えば、昨日出会ったデシフェルの服装も、俺たち低級神のものより、上質であったように思う。


 ただ、何より目を引くのが彼女の外見だ。小麦色に近い肌色を持つ、美しい女性であった。顔付きや体付きはルナータよりやや年長で、目元は切れ長で涼し気な趣を持っている。輝きを放つ銀灰色ぎんかいしょくの髪は、後ろで一つに束ねられ、知的さと活動性を併せ持つ女性であった。


「は、はい、私がドルンドルンです」


「私はマニラだ、覚えているな? よし、付いて来い」


 部屋を出ると、そこは長い一本道の廊下で、ここにも何人かの低級神がいる。神々はその立場により、居住区が別れているのだろう。マニラは恐らく低級神ではない。そのような者が突然やって来て、この俺、ドルンドルンの手を引いて走っているのだ。周囲には奇異に映る。


 マニラは何の説明もなく、俺の手を取ると、勢いを付けて引っ張り始めた。突然の展開だが、全くもって悪い気はしない。女子の柔らかい手のひらの感触、俺はそれを感じることだけに気を集中させた。


 しかし、俺がだらしなく口角を持ち上げた時だ、マニラが不意に足を止めた。


「むっ?」


 マニラの静止に対し、俺はすぐには反応できなかった。そのまま、勢いよく彼女の背中にぶつかりそうになった所を、残念がりながらも、寸での所で立ち止まる。ああ、手も離れてしまった。


「どうかしたんですか」


「少し不思議な感覚がしてな。……いや、違うな、下がれ、恐らくあれのせいだ」

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