9

そうこうしている間に、3限目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。


「ねえ、ソレって、いつまで手書きなの?」

「ソレとはなんだ」

「その、勝敗を記録したカード」


 私の横で、海津は手のひらサイズのカードにスラスラと、狼1-柳0と記していた。

 

「当分の間はそのままだ。まだ置き場には困ってないからな」

「党紀委員会の会議室って、そんなに広いの?」

「このサイズだからな。ムダに場所を取ったりしない」

「そう」


 机を片付けにいく委員を見送る。腹を探られているとも知らずに、海津はスラスラと質問に答えてくれた。なんとも思っていないのだ。

 これだから彼を嫌いになれない。


「もういいぞ」

「なに?」

「授業始まってるだろう。教室に行って問題ない」


 変な声が出そうになったのをぐっと堪えた。

 授業参加をこんな当たり前のように私に勧める人は、もうこの学校には居ないと思っていた。


「ああ、そうね」


 無理に平静を装えば、違和感丸出しの上ずった声になってしまった。しかし、海津がそれを気に留めた様子はない。

 胸を撫でおろし、柳を見やった。

 柳はベンチに座って、悔しそうに地面を蹴っていた。これが勝利・・であることは分かっているはずだが、やりきれなさが残ってしまったのだろう。

 これから何度、柳のこんな姿を見ることになるのか。

 

「行かないのか?」

「え?」


 顔をあげれば、記録し終わった海津が、私を見下ろしていた。

 なんで待ってるんだ、コイツ。用事が済めばすぐに去るだろうと思っていたのに、彼は律儀にも待っている。…私を。


「ああ、そうね。行くわ」


 しどろもどろになりながら返事すると、なぜか海津と並んで歩くことになってしまった。

 どうして柳は放置なんだと疑問を抱きながらも、しぶしぶ歩調を合わせる。


「そうだ。これを渡しておかなければな」


 外廊下の分かれ道で、ふいになにかを差し出されて戸惑う。


「なにこれ?」


 名刺サイズのカードを受け取る。勝敗を書いていたカードとは別物だ。裏面には校章が描かれており、表にはまるでどこかのロゴのような文字で、『バッジ争奪戦決行につき』と書かれていた。


「これを教師に提出すると、遅刻の罰則ポイントが免除される」

「そう。ありがとう」


 必要ないなと思いつつ、胸ポケットにしまう。免除されたところで、朝のルーティンを崩す気持ちになれない私には、ただの一時しのぎにしかならないのだから。

 分かれ道で、海津は律儀にもお辞儀をして、一科の校舎へ消えていった。私にああまで礼儀を通す生徒も、この学校にはもういない。

 

 静かな廊下を、満喫しながら歩く。涼しいそよ風が背中から流れてくる。微かに聞こえてくる教師の声が、また風流だ。


 教室について、胸ポケットからカードを取り出す。かおるちゃんに差し出すと、何も言われずただ引っこ抜かれた。海津の私への厚意が通じる人も、この学校にはいないのかもしれない。

 

「大久保」

「何?」


 眉間にシワがよったことを、自覚した。呼び止められる=面倒事のお知らせ、だ。

 差し出された紙が、ピンと張っている。渋々受けとると、薫ちゃんは相も変わらず無反応で授業を再開した。

 席につく。合間、にやけた顔が目についたが、見なかったことにする。

 教科書もださずに、受け取ったプリントを仕方なしに広げた。書かれていたのは、たった一文。


 

 ”本日、校紀委員会会議、決行”


 

 誰からの伝令だ。問いかけたい気持ちが、宙を舞った。


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