第10話 結界

 テーズはリーベルが知る女性達に比べれば、口数が少ないようだ。尋ねられたことには答えるが、あまり自分から進んで話そうとはしない。

 もっとも、リーベルの周りにいる女性が賑やかな人ばかり、というのもあるので比べてもあまり意味はなさそうだ。

 魔法具工房にいる女性達は、仕事中でもしっかりおしゃべりするのを忘れない。しかし、間違うことなくちゃんと手も動いている。

 職人技ってこういうのを指すのよね、とそれを見ているリーベルはひたすら感心するばかりだ。自分もその予備軍であることは、まだ自覚していない。

「だけど、旅するには軽装だね」

 テーズはマントをはおっているが、その下はシャツやベストにズボンといった普段着と変わらないようにも見える格好だ。それに、大した荷物を持っていなかった。

 最小限なのだろうが、どれだけの期間を旅に費やすつもりなのか。

 ニキスの山を越えてラカの街へ、というくらいならその程度でも問題はなさそうだが、それにしては荷物が少ない。

「自分を追い詰めようと思って。あれこれ持ってると、ついついそれに頼ってしまうでしょ。必要な物は、自力でその都度調達するつもり」

「どうしても力を使わなければならない状況に、自分を持って行くってことだね」

「そんなところよ」

 ふいにリスタルドが足を止めた。

「わっ……ど、どうしたの?」

 斜め後ろを歩いていたリーベルは、あやうくリスタルドの肩に頭をぶつけそうになった。

「こっちだ」

 言いながら、リスタルドは進路をやや右に修正した。

「そっちに結界があるの?」

「うん。やっぱりリーベルが言った通り、結界はいくつもあるみたいだ」

「あは、適当に言ったのが当たっててよかった」

 的外れなことを言っていたら自分だけでなく、リスタルドまで迷子にしてしまうところだった。

「ここ……ニキスの山のどの辺りになるのかしら」

 辺りを見回しながら、テーズがつぶやく。

「テーズ、正確にはここはニキスの山じゃないよ。言うなら、ニキスの山のどこかにある異世界ってところかな。知らないで入って来た人は、自分のわかる場所へ出ようとして余計に迷ってしまうんだと思うけれど」

「ここが異世界のようには、とても思えないわ。普通の山にしか見えないけど……。私もあなた達と出会わなければ、神隠しに遭った人間と同じようにさまよってたってことね」

「否定はできないよ。だけど、しばらくさまよって出られるってことは、放り出されてる状態なのかも知れないね」

 リスタルドが、また足を止めた。

「ここに別の結界への入口がある」

 そう言われても、リーベルはもちろん、魔法使いであるテーズでさえ、どこにそんなものがあるのか見えない。どういうものなのか、気配さえも感じられなかった。

「竜の結界……本当に竜にしか見えないって言うの?」

 テーズにはどう目をこらしても、存在がわからない。その表情は少なからず悔しそうだった。

 彼女の腕がどれほどのものかはともかく、魔法使いとしてのプライドが刺激されているのだろう。

「リーベル、テーズ。本当に戻るつもりはない?」

 リスタルドに尋ねられ、リーベルは口を尖らせる。

「戻る? ここまで来て戻るのぉ。あたしはやぁよ」

 その顔を見れば、リーベルに戻るつもりはさらさらなさそうだ。

「私も。ここまで来たなら、竜の結界内というものをもっと見てみたいわ。こんな経験、滅多にできないもの」

「だけど、この先がどうなってるか、ぼくにだって全然わからないんだよ」

「この辺りを歩いてる時だって、わかんなかったじゃない。だけど、これと言って何も出て来なかったし」

「たぶん、この辺りはまだ異世界へ入る一歩手前なんだ。だから、普通の人間が迷い込んでも、いつか出られる。この先は……本当に異世界になると思うよ」

 この先の結界は、中にいる魔物を出さないための囲い。最初の結界は予備の囲いのようなもの。だから、特に魔物の姿を見ることはなかった。

 しかし、この先も同じだという保証は、どこにもない。

 リスタルドは彼女達を脅すつもりはなかったが、結界の方へ手を伸ばした時にこれまでより濃い魔の気配を感じ、不安を覚えたのだ。

 これまでのような、平和な場所ではないかも知れない、と。

「何かものすご~くおどろおどろしいとか、なの?」

「んー、そういうのではない、と思うんだけれど……」

「そんなはずないわよねー。だって、リスタルドのおじいさんがいる場所でしょ。だったら、そんなひどい場所じゃないわよ。リスタルドやカルーサがいる場所はいい所なんだもん。おじいさんが変わり者なら、何とも言えないけどねー」

「リーベル……」

「あ、別におじいさんの悪口言ったつもりじゃないわよ」

 リーベルが慌ててフォローする。

「わかってるよ。ぼくが言いたいのは、そんなことじゃなくてね……」

「魔物が本当にわんさか出て来るって、決まってるんじゃないでしょ? 異世界だから魔物の巣窟って訳じゃないんだしね。そりゃ、少しは何か出て来るってことはあるでしょうけど……何とかなるわよ」

 楽観的な……楽観的すぎるリーベル。

「私も、自分の身は自分で何とかするわ。何かあれば、それまでよ。そこで旅が終わるというだけ。あなたを恨んだりはしないから、安心して」

 そういうことで安心しろって言われてもなぁ……。

 リスタルドはこうなったらわざと「恐ろしいことが起きるかも知れない」と言おうか、とも考えた。

 しかし、自分もこの地が初めてだということを、すでに彼女達は知っている。

 来たこともないのにどうしてそんなことがわかるのよ、などと言われたら……ごまかせる自信はなかった。

 この場合「竜の勘だ」とか言えば、人間の二人には突っ込めない……などという考えは、残念ながらリスタルドの頭には浮かばなかった。やはり、彼の性格では嘘がつけないのだ。

 この辺り、家族以外との交流が少ない弱みだろうか。

「わかった。とにかく、この先はぼくから離れないで」

 リスタルドは結界に向き合った。

 最初の時のように、目の前の景色が歪んで見える。

 そちらへ手を伸ばし、カーテンをどけるように結界を開いた。

☆☆☆

 ルマリの山頂にて。

 浮遊する少女の顔は、憂いに満ちていた。

 明るい茶色の髪が風に遊ばれる。その真っ直ぐな長い髪をかき上げる少女の身体は小さく、その全身は人間の頭より少し大きい程度だ。

 今は人の姿を取っている彼女は、小竜と呼ばれる種族の竜である。名はプレナ。

 カルーサ・リスタルド親子と共に暮らし、彼らの世話をしている。

 そのプレナは、小さくため息をついた。

 髪と同じ色の瞳が向けられているのは、ニキスの山がある方角だ。しかし、いくら竜の目を持ってしても、さすがに山の中にあるはずの姿は確認できない。

「そんなに心配?」

 後ろから声をかけられ、振り返ればカルーサが微笑みながら立っていた。

「カルーサは心配ではないのですか? リスタルドだけで……」

「全くない、とは言わないけれどね。あの子なりに何とかやるわよ」

「だけど……私と一緒では駄目だったんですか? 手は出さないで、後ろから見ている、というくらいなら」

「駄目よ。一緒にいるとわかっていると、無意識に頼ってしまうわ。それに、あの子が質問してきても一切答えないってこと、あなたにできる?」

 その問いに、プレナはうなずけなかった。

 そういう状況になれば「もう、何やってるの。それはこうじゃないでしょ」なんて言いながら、聞かれてもいない余計なことまで教えてしまいそうだ。

 リスタルドが生まれた時からずっとそばにいたプレナにとって、彼は歳の離れた手の掛かる弟のようなもの。

 これまでもそうだったように、何かしら世話を焼いてしまうだろう。黙って見ているなんて、たぶん……いや、絶対に無理。

 駄目なのかと聞いてはみたが、駄目だということは自分が一番よく知っている。

「ね? それじゃ、あの子のためにならないわ。少しは自分の力で行ける自信を付けてもらわないと。そう簡単に飛べるまでになるとは思わないけれど、ここで落ちてばかりいるよりはずっといいわ」

「それはわかりますが、リスタルドだけだと本当にものすごく時間がかかりそうな……」

 カルーサが「どれだけ時間がかかってもいいから、ロークォーに会うまで戻るな」と言ったことは、プレナも知っている。

 彼ならその「どれだけかかってもいい」という言葉に安心して、本当にとんでもなくのんびりとやりそうな気がした。

「だから、その回避策はあなたに頼んだじゃない。うまくいったから、プレナはここにいるんでしょ?」

「ええ、まぁ」

 今回の件について、プレナは根回しのようなことをカルーサに頼まれて動いた。

 とりあえず、全てがうまくいったのでプレナはルマリの山へ戻って来たのだが……やはりリスタルドが絡んでいると思うと、不安だった。

「大丈夫よ。ロークォーには最悪の時は手を貸してやってね、と言ってあるから。そこはやっぱり孫のことだから、ちゃんと助けてくれるわよ」

「さ、最悪の時って……」

「あの子の場合、体力的なこととか他の子より問題の数が多いでしょうけれど。昔に比べれば、格段に強くなったのよ。あなたも知っているじゃない。だから、リスタルドがそう簡単に死んだりはしないわ」

 カルーサの言葉に、プレナが青ざめる。

「カ、カルーサ! そんな縁起でもないことを」

「だから、そうはならないって」

 リスタルドは誰に似たのかしら、なんてよく言ってるけど……あの子ののんびり具合は、カルーサにも十分通じる部分があるわね。

 そう考えると、プレナは何となく笑えてきた。

「……そうですね。リスタルドも、飛ぶ以外はかなり力がついてきているし」

 笑ってはいるが、親としてカルーサも心配なはずだ。でも、少し突き放してみることも必要。

「でしょ。あの子が山を出たら、誰かが知らせてくれるわ。お茶でも飲みながら、それを待ちましょ」

 プレナは小さくうなずいた。

「じゃあ、おいしいお茶をいれますね」

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