第72話 学期末論文

オステンブルク、国境沿いの某所


 王国と羊人国の間では交渉は無い事になっている、数年前も凄惨な戦争があり両国の国境は固く閉ざされたまま、だが需要がある場所には必ず商人がやって来る、

 奴隷商人オシム一行は魔物の森に馬を進めているところだが突然領兵に阻まれた、

「あの、兵隊さん、私たちは怪しいものじゃありません、その先の開拓村まで商売に行く途中でして……」

「分かっている、一応鑑札を改めさせてもらうぞ」

 やる気の無さそうな隊長とおぼしき人物が言う、

“これは袖の下を多めに欲しがるタイプだ”


“相場”より多めに握らせると、形ばかりの検問、

 まだ袖の下が欲しいのか、隊長が独り言を言い始めた、


「まったくお貴族様には困ったものだ、戦争になれば酷い目に遭うのは俺たち兵隊だと言う事を分かって欲しいよ」

“戦争”と言う言葉に反応したオシム、

「旦那、よかったらどうぞ」

 荷物の中から高価な蒸留酒を隊長に手渡す、

「なんでも今度は空から一気に森を越えると言っていたけどなぁ~」

「はぁ」

「広い空地は危ないから近づかない欲しいものだな」


 利に聡い商人は仕入れたばかりの商品を売ろうと魔物の森に分け入って行った。



 ◇◇



 成り行きとはいえ戦争の一翼を担う事になってしまったわたし、頭の中は作戦計画と戦後処理の行方を何度も反芻し煮詰めている、


「ニコレッタよ、少し話をよいか?」

 同級生で王族のファウルシュティッヒが声をかけてきた、

「よろしいですわ、何の御用なんでしょうフーリー」

 隙の無い貴族スマイルも自然になって来た、

「噂で聞いたのだが、ニコレッタは演舞会のパートナーがいないと言うではないか、夏学級の演舞会は6年生を送りだす大切な行事だ、困っているのではないかと思ってな」


 頭の中は航空作戦の飛行管理が幅を効かせて、演舞会の優先度は二桁まで下がって、更に下落中、

「まぁ、わざわざ王族の方にまで気を使って頂いて、申し訳ございません、恥ずかしながらわたくしニコレッタはパートナーがいない状態ですの」

「そうか、もしそなたが良かったら我が弟のフォビアをどうかと思ってな、いや歳下だし無理に押し付ける訳ではないぞ」

 本人はそう言っているけど、王族の言葉に逆らえる生徒はいない、


「フォビア様でございますか、大変利発な方と伺っております、わたしの様な歳上に、こんな名誉はございません」

「そうか、それは良かった、さっそくフォビアに伝えてくるぞ」

 普段表情の変化を見せないファウルシュティッヒだけど、ニッコリとした顔になり去って行った、

 意外に弟思いなんだね。



 ◇◇



 貴族学校の期間は勉強や演習が幅をきかせるが、今回は第二次羊人戦役とも言うべき作戦の立案や根回しで忙しい、今までならば貴族学校は独立した組織で連絡を取りたければ手紙くらいしか方法が無かったが、羊娘の力を存分に発揮したわたしは学内に居ながらにして高地羊人族やフェルナンダと連絡を取り合っている、

 今日は高地羊人族と大事な話し合いがあるのだ、


「メリッサ、お願いね」

 薄着の羊人メイドに声をかけ、やわ肌に顔を埋めるとメリッサの姉妹メノーラの感覚がわたしと同期する、

 目の前に並んでいるのは高地羊人族タークの族長達、

「皆さまお待たせいたしました、グートシュタインの子ニコレッタでございます」

 王都に居ながらにして高地羊人と会談をする、異世界版リモートワーク。



「……そなた達の作戦には全面的に協力しよう、だが戦後が問題だ」

「戦後と申しますと」

「決まっておる、我々高地羊人族は独立を望む!」

 鼻息が荒いのはウリリヤの族長、今まで低地羊人の苛斂誅求に耐えていただけに、わたし達が低地羊人アレマンを叩くのは独立の良い機会だと思っている様だ、


「他の族長の方々もウリリヤの長と同じ考えなのでしょうか?」

 お互いに顔を見合わせている、これは日和見と言うよりも“戦後”が想像つかないだけかもね、

「我々が手を回せば高地羊人族は独立してタークと言う国名を名乗る事が出来るでしょう、ですがこれは低地羊人族アレマンと国対国の付き合いを始めなければならない事ですよ……」


 わたしは根気強く独立のリスクを説明し低地羊人から“高度な自治”を得る事のメリットを説明した、

 周りを低地羊人の国に囲まれているのだ、独立しても大変なのは分かっているだろうに“民族の独立”と言う言葉ほど、人々を熱狂させるものはない。



 ◇◇


 今日は期末考査、前世の表計算ソフトを思い出し、色つきのグラフを持って試験に臨む、上級生になると口頭試問ではなく論文発表。



「……こちらのグラフをご覧ください、基幹隊員制度を採用した場合に必要な金額が青線、従来型の領民兵制度の場合が赤線です、軍の規模が小さければ従来型が有利ですが、規模が大きくなるに従い基幹隊員制度の方が有利になっていきます」

「ニコレッタよ、面白い発想だが、兵の動員管理は行政の負担になるのではないのかな?」

「ご指摘はごもっともでございます、行政府の中に徴兵管理の部門を作る必要があります」

「その行政部門の出費もグラフに反映されている訳ですね」

「いえ、これは単純な動員費用のみでして……」

 論文発表では並んだ教官達から演習場も顔負けの集中砲火を浴びるのだよ、


 軍隊なんて戦争が起きなければ単なる無駄飯食い、少なければ少ないほど良いに決まっているが、有事になれば話は別だ、

 平時は軍の基幹とも言うべき指揮官クラスを中心に編成して、有事には農民兵を徴集、ここまではどこの領地も似たような施策を実施しているが、わたしの論文では農閑期に若者を集めて数十日間の訓練を施すと言うもの、

 いずれは近代の徴兵制の基盤としたい制度だし、単純な軍事教練だけでなく基礎的な教育を施せば領民の質の底上げにつながると思う。


 騎士科の論文のほとんどが作戦計画に関するものばかりなので、わたしはイレギュラーな存在の様だ。


「さて、ニコレッタの動員計画によれば短期間に大量の部隊を編成する事が出来ますが、その部隊をどの様に運用するのでしょうか?何か具体的な計画があれば教えてください」


 真打の質問は騎士科長のシュテファン、第二次羊獣人戦役に関する情報が欲しくて仕方がない様だ、

「これは動員計画ではなく、長期的な軍隊の創生に関する論文ですので具体的な事例を想定しておりません」

「まぁ、今から軍隊を創っていては羊達には間に合いませんからな」

 歴史科の教官がまったく空気の読めない発言をしたかの様だが、これは私からの失言を狙った事だ。


「それでは第三章の分隊長の育成に関する件に進んでよろしいでしょうか?」

 さっきから教官達は羊人達をどう攻めるとか、飛空艇の運用はどうなっている?そんな質問ばかりだよ。

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