第167話 エスピノーザ


 ☆★☆★☆★



 「あははは。参ったね。この距離でバレるのか」


 そう独り言を呟いたのは、遠眼鏡でレイモンド一行を見ていた一人の騎士。領主にそれとなく、なるべくバレないように監視しておいてほしいと言われて、確実性を重視してかなり離れて見ていたのだが。ギルドから出た途端に見つかってしまい、遠眼鏡越しに目が合ってしまった。


 領主の騎士団で団長を務めている男、エスピノーザは、こちらを見ていた女が『狂姫』であると確信する。


 (いや、ほんと恐ろしいね。幸い放っておかれたようだけど…。見つかっちゃったし、クロエになんて言われるか…)


 ディエルの街を治めている女領主、クロエにネチネチと言われる事を想像して、エスピノーザは顰めっ面になる。


 クロエはこの程度の失敗で怒るような人物ではない。騎士達との関係も良く、平民相手にも分け隔てなく接する評判の良い領主である。


 しかし、エスピノーザに対してだけは別だった。クロエとエスピノーザは夫婦関係という事もあり、他の騎士達よりも更に気安い感じで詰めてくるのだ。


 「いや、この距離でもバレるって分かったのは収穫だよね、うん。これは失敗じゃなくて、成功と言っても過言じゃない」


 エスピノーザはうんうんと頷きながら、誰も聞いていない場所で自己弁護する。夫婦関係は良好だが、ネチネチと言われるのは避けたい。


 ここは監視をしつつ、機嫌を取るようなモノでも買って帰ろうかと思いながら、歩みを進める。しっかり尻に敷かれてるエスピノーザである。


 (バレちゃったけど、監視を辞める訳にもいかないんだよね。『狂姫』の噂を話半分でも信じるなら、あんなに大人しくしてるのが信じられないぐらいなんだ。よっぽど御してる商人の男が有能なんだろうか? 戦闘の方はそうでもなさそうなんだけど…)


 エスピノーザは商人の男を思い出す。最初は女と間違うような容姿をしていて勘違いをしそうになったが、名前を見る限り男だ。


 大通りで騒動になった時は、貴族相手に煽りまくっていたと聞き、戦闘の腕にも自信があると思っていたが、見た感じはそうでもない。


 ここでエスピノーザが勘違いしてしまった。レイモンドは確かにアンジェリカと比べると、強くはない。しかしそれでも、レベル300超えの強者なのだ。


 レイモンドが常日頃から俳優や大商人、はたまた公爵の職業技能までを駆使して擬態しているせいでエスピノーザは勘違いしてしまった。特に理由があってやっている訳ではないのだが、強者の雰囲気を漂わせている商人は警戒されるっしょと軽い気持ちで続けている。


 そのレイモンドの適当な感じにエスピノーザは勘違いしてしまった。軽く鍛えてはいそうだが、強くはないなと。むしろ、もう一人の護衛であるアリーナの方を、自分と同格以上なのではと警戒しているぐらいだ。


 (困ったな。あんな優秀な人材を二人も抱えてるなんて。『ルルイエ商会』なんて聞いた事ないんだけど。『狂姫』がいるんだし、傭兵団をやってる方が自然だよね。実際やってたんだし。なんで商人の護衛なんてやってるのやら)


 まだ短い時間しか監視していないが、それでもあの三人がある程度親しい仲だと言うのは分かる。短期間だけの雇われではない、長期間の専属契約をしているのだろうとエスピノーザは予想を付ける。


 (戦場で気に入らない雇い主や上官を斬り殺すというのを平気でやってたって噂がある『狂姫』を雇うのは相当の胆力が必要なはず。やっぱりあの商人も甘く見てはいけないな)


 生憎エスピノーザには政治の才はあまりない。王都の騎士団で若手のホープと期待されていたところでクロエと出会い、貴族では珍しい恋愛結婚。侯爵家に入り婿という形でディテルにやって来た。


 騎士団で事務作業は軽くしていたが、それでも大陸最大の港街を差配出来る程ではない。幸い、パラエルナ王国は女性の爵位継承が認められてて、政治の才があったクロエが女領主となり、エスピノーザは騎士団長として港街を治めている。


 そんな自身の政治の才のなさを自覚しているエスピノーザだったが、あの商人は軽々しく接する人物ではないと、半ば勘で察する。


 (クロエも分かってるだろうけど、一応言っておいた方が良いかな。もしあの商人と揉めて、対峙するってなったら『狂姫』の相手は俺だろう。流石にそれはごめん被りたい)


 自分の実力にそれなりに自信があるエスピノーザだが、見た感じ『狂姫』は流石に手に余る。簡単に負けるつもりはないが、勝つのは難しいというのが本音である。


 (出来れば友好的な付き合いをしたいな。どうやって接触するべきかな。もう少し情報があればなんとかなったかもしれないんだけど…)


 エスピノーザは監視を続けながら考えていたが、結局良い案は思い浮かばなかった。やっぱり自分はこういう事は向いてないと、クロエに丸投げする事に決めて、レイモンド達をしっかり視界に入れつつ、ご機嫌取りの甘いものを購入するのだった。


 

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