第176話


「王……龍王よ。なぜあのような行為をしたのですか」


 捻れ角の男は瞑目したまま詰問するような口調で訊ねた。


 男からすれば、それは当然の行動だった。


 各地のダンジョンから生み出される魔力を少しずつかき集め、龍王の持つ本来の能力を引き出し最大戦力としてぶつけるための準備に門を開き向こう側へと繋げる用意、更にティターンの持つ軍勢能力を活かすための地形処理と仕事は多岐に渡る。


 むしろ、現存する幹部級の中では彼以外が仕事をしているとは言い難く、かろうじてダンジョンを利用し軍勢を用意しているティターンが仕事をしている判定出来るくらい。龍王は休み力を蓄えるのが仕事とは言え、好き勝手に暴れ回られるのはあまり好ましくなかった。


「なぜですか。答えていただきたい」


 立場の差はあれど、ここにおいては故郷を共にする仲でもある。


 限られた数しか生存していない人類の敵。

 向こうの世界において支配層に位置する両名は、薄暗い地下深くにて会合を果たしていた。


『……なぜ、か』


 そして問われた龍は、どう答えるか惑っていた。


 こちらの世界に渡ってから棲家として利用していた深海のダンジョンに帰還した彼は、世界中から集められる莫大な魔力の漂う空間で己の力を蓄えている。勇人に放った砲撃も決してノーリスクではなく、魔力に満ちた世界ならいざ知らず、未だ魔力濃度が低いこの世界では何度も連発できるものではない。

 本来の実力であれば、あの程度の攻撃はそれこそ呼吸をするようなもの。

 力を蓄えるのが性急であるのになぜわざわざ姿を晒して宣戦布告までしたのか──龍の内心には、燻りがあった。


 かつて空の支配者として世界に君臨していた彼は、ある人型の女に誘われて幹部として参入した。


 モンスター同士での縄張り争い。

 そして日々進化していく人類の手によって力の弱いモンスターは一度絶滅の危機に瀕している。魔物の特性を持ちながら人型である魔族の中から生まれた特異点がそれらの軍勢を率い息を吹き返すまで、一部の強大な力を持つ種族のみが繁栄を許されていた。


 空を統べる龍王。

 海を統べる海王。

 大地を支配する巨人の王……そういった一部の、人類では抵抗出来ない怪物を除き、モンスターは負け、人類のよって絶滅の一歩手前だった。


 それを一体で覆した魔物の王。

 魔族から生まれ魔法を単独で発展させた女は、その力を用いて大陸を丸ごとひとつ支配。そして自分たち魔物が安心して暮らせるようにそれぞれの強大な勢力を勧誘し、時に滅ぼし、人類と戦い──そうしてようやく世界を支配することに成功した。


 その日々は龍王にとって楽しめる日々だった。

 限りなく不死に近い彼ら龍にとって生きることとは退屈を意味する。

 強大な種族に生まれたが故に自分達を脅かす相手もおらず、わざわざ蹂躙するような趣味もない。稀に挑んでくる勇士がいれば一族総出で喜ぶし、それが死んでしまえば悲しみもする。


 その中でも特に強く王と呼ばれたバナダクトは、魔王と呼ばれる女との日々は愉快だった。


 しかしそんな日々も長くは続かない。

 もとより魔王の能力により魔力を用いた技術が発展し人類を相手に負けなしとなっていた軍に、それぞれの強大な種族が加わったことで戦いは蹂躙となった。

 故に、その戦いの日々を楽しんでいたわけではない。

 単純に魔王と呼ばれる女との日々が楽しかった。

 未来への展望を語った。

 それぞれの長が集まり、この世界をどうするかとの話をしたことすらある。


 そして世界を統一し、龍王バナダクトの胸に湧いたのは──虚無。


 強い種族が順当に勝っただけ。

 人類との闘争で得られたものは何もなかった。

 最初は喜んだが、領地や、統治が進んでいく内に退屈だという感情がまたもや湧き出した。


 そこで龍は気がついた。


 己は世界を支配する気などなく、ただ、認めた連中の話を聞いて生きて入ればそれでよかったのだと。


 世界を支配して魔王は変わった。

 かつて魔物と魔族の未来を夢見て世界統一を果たした女は、つまらない政治家になり元のような魔術の研究をしなくなった。

 かつて龍に新たな魔法ができたと嬉しそうに言っていた口から出てくるのは領主としての己に対する不満と叱責のみ。元々ただ在るだけで繁栄できる龍にとって領地の繁栄などどうでもよく、モチベーションが湧くわけもない。


 常に、弱き者の繁栄に興味などなかった。


 同じく強大な種族を収める王たちと共に哀愁を漂わせ虚しさを感じる日々を過ごしていた。


 そんなときだった。


 あの人間・・が現れたのは。


 滅亡寸前の状態ですら内ゲバを行う人類は半ば放置され、すでに彼ら彼女らの眼中にはなかった。


 放っておいても滅亡する。

 それが魔王軍における共通認識であり、龍にとっては把握しておくのすら馬鹿馬鹿しい末路だった。


 しかし現れてしまった。


 勇者。

 魔王が魔族の特異点ならば、勇者は人類の特異点。

 魔力を自由自在に操る術を極めた魔王と、その身体能力のみで世界の理すらねじ曲げてしまう勇者。


 奴が現れ、そして自分達は負けた。

 大将級として実質軍のナンバーワンであった龍すら一太刀だった。

 完全なるイレギュラー、世界のバグ。

 最終的に魔王の手によって別世界へと送り込まれたわけだが、龍はその戦いで死ななかった。負けたが、たった一太刀で死ぬほど龍は弱くなかった。


 そのとき思った。


「なぜここで我は死ねなかったのだ」、と。


 死ぬにはちょうどいいタイミングだった。


 自分達強大な種族が魔族や魔物に疎まれていることはわかっていた。そして生に飽いている彼らもまた、世界が統一されこれから火種が生まれないであろうことを考えれば、そこで戦い死んでおくのが最善だった。


 死ねなかった。

 己の生すら揺らがすような敵に遭遇し、彼らの本能は急激に息を吹き返した。


 そうだ。

 敵だ。

 我らには敵が要る。

 終わらせる敵が要る。

 この飽いた生を終わらせるために、敵が必要だ。


 魔王の築く世界に興味はないが、共に戦った者達の築く世界をわざわざ乱そうとするほどでもない。それくらいの絆は持ち合わせていたが故の感情。


 皆、終わりを求めていた。

 長すぎる生に刺激のない日々、脅威のない世界で死ぬのもつまらない。


 故に来たのだ。


 自分達を終わらせる世界に。


 魔王が無理やり転送した、勇者の送り込まれた世界に。


 だがその事実を知るのは一部の者のみ。

 第一陣で言えば龍王と同格であった鯨王のみで、他は皆武闘派で戦いを求めているだけの幹部級を引き連れてきたに過ぎない。

 それも魔王との取引によるものだ。

 泰平の世に不穏分子は必要ない。

 究極的には魔王だけが武力を持てればそれで良いのだ。

 故に不穏分子の粛清と共に、自分達もまた終わりを迎えるために、こちらの世界へとやってきた。


『……さあ、なぜだろうな』

「…………」


 龍は語らない。

 かつて共に未来を夢見ていた魔王は変わった。

 いや、元々ああいうタイプだったのだ。

 それが追い詰められ、自分達魔族と魔物を救うために世界を統一する必要性に駆られてそうやっていただけ。


 それを見抜けなかった。

 いや、知ろうとすらしていなかった。

 それだけ龍という種族は強かったからだ。


『貴様ならばわかるだろう。我の目的がなんなのか』

「……………………」

『許せとは言わん。だが、代わりに好きに動け』


 龍は終わりを求めてやってきた。

 それを悟った男は、暝目したまま頭を下げて、その場を立ち去る。


 そこには一体の怪物だけが残されていた。

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