第166話

 暗闇の中を一人の女性が歩いている。


 布のマントと急所を守るだけの軽鎧を着用し、その手に握る剣は欠けている。


 十全な装備とは言い難いそれのみを頼りに明かりすら灯さずただ淡々と歩んでいる彼女は、やがて壁に横穴を発見しその中を探索し始めた。


 中には何もない。

 人一人が休むには十分な大きさの洞穴とでも呼ぶべきその中をしっかり入念に調べた後、腰を下ろして息を吐いた。


(……ひとまず、これで追われる危険性は考慮しなくて済む。いやあ、長かったなマジで。何ヶ月掛かった?)


 女性──エストレーヤはこれまでの過酷な旅路を想起した。


 王城から逃げ出したは良いものの、そこからが長かった。


 彼女に絶対的な戦闘力があるとはいえ善性を持った人間である。その上現代日本で暮らした倫理観もあるため他人を容易に殺すような選択肢は選べず、国が全力で包囲網を敷いた結果大変苦労する羽目になった。


 山や川など身体能力を活かしゴリ押しして突破してきたが、何度も見つかった。


 その度に殺さない程度に無力化し逃亡して潜伏し、なんてことを繰り返すこと早数ヶ月。


 ようやく捜索範囲外へと逃れ、やっとの思いで目的地である迷宮に辿り着いた。


(マジで疲れた……殺さないようにするのってマジで大変なんだな。勇人に鍛錬とか頼まなくてよかったわ、本当に)


 かつて異世界で共に旅をしていた仲間のことを思い出す。


 四人組で旅をしていた。

 世界を崩壊させたモンスターを討つため、各地の地底に点在した幹部級を討伐するために立ち上がった決死隊。

 ……とは言っても、その内一名は復讐心から。

 そしてもう一名は復讐を願う少女を見捨てられなかったからついて行っただけで、その実、世界を救うなんて大層な志はなかったのだが。


 その中でも突出した力を持っていた男性に何度か手解きをお願いしようとして、負担になりたくないと我慢したことがあった。


(転生したからわかる。あの人だけ強さが段違いだった。今戦えば良い勝負できるかもしれねえけど、まともに魔力なんてもんが見つかってない世界であの強さはおかしいって。特にあれ、鯨みたいなデカい奴。あれは間違いなく【大将】レベルだった)


 エストレーヤが相手にしてきたのはあくまで八星将クラスばかり。討伐した中で一体だけ四天王クラスが紛れていたが、そんな相手でも、かつての仲間であれば単騎で討伐しているであろうと容易に予想できた。


 規格外。

 異世界で勇者と讃えられている彼女だが、その言葉をあまりありがたく受け入れられないのにはそういった理由もある。


 自分より強く立派だった人間を知っている。


 助けた人間に罵られようが、石を投げられようが、彼は人を救うことをやめなかった。それはきっと罪滅ぼしという側面もあっただろう。


 自分の大切な人を犠牲にしてまで助けた者に価値がないなんて思いたくなかった。自分達が全てを犠牲にして戦っているのに、人は醜いのだと現実を見せられてもなお立ち止まらなかったのにはそういう理由だってあったと思う。


 それでも愚痴ひとつ吐かなかった。


 それでも人は美しいのだと。

 人は力強く、滅びの最中にあっても逞しく生きている人は居るのだと信じて疑わなかった。あれこそが勇者であり讃えられるべき人なんだと、彼女の脳には強く刻まれている。


(きっとあの人なら、俺と同じ立場になったとして……躊躇いなく受け入れてんだろーな)


 島を平定しその時点で役目は終えたと逃げ出した自分。望んでもいない子供を産んで育てることを良しとせず受け入れなかった。それは現代日本で培った価値観が原因でもあるし、自分自身のエゴが理由でもあった。


(悪いが、俺はそんな献身的になれねーよ。ただの平民として生まれたならいざ知らず……こんなモン記憶を持っちまった。価値観も倫理観もこっちには染まれねえ。女としての自覚はあるけど流石に子作りして血を広めるとか……ちょっと無理だわ)


 元より博愛でモンスターと戦っていたわけではない。


 ただ一人の幼馴染が可哀想だったから立ち上がっただけだ。


 たまたま幼馴染が全てを失って、たまたま彼女が戦う力を持っていて、たまたま彼も戦う力を持っていた。だから置いていかれることを良しとせず、一緒についていくことにした。

 ただそれだけだ。

 人類全てを救うなんて理念は最初から持ち合わせていない。

 手の届く範囲、それも限りなく大切な誰かへと捧げる愛しか持っていないのだ。


 こちらの世界の常識は理解している。


 理解した上で受け入れられなかった。


 ただそれだけだ。


 迷宮の中は暗闇が支配していて、今や地上にて狩られる存在となったモンスターが我が物顔で闊歩している。


 そこに人類はいない。

 異世界の理屈も現代の理屈も通らない。

 ただ純粋に命の奪い合いをするだけの野蛮な環境。だが、彼女はそんな野蛮な環境とは馴染み深かった。


(…………今頃、の親はどうなってるかな)


 王侯貴族による統治が成されている島で、王族から逃げ出した娘の両親。


 あまり想像したくない。

 この世界で初め立ち上がったのは、他ならぬ両親のためだったのだから。現場レベルでは絆は深めたから野蛮なことはされていない──そう信じたかった。


(将軍がなんとかしてくれたかな。どうだろ。あの人はいい奴だったけど、私を炙り出すのに有効だと思えばやるかもしれな……いや、無いか。そういう手段を嫌う人だったし。信じるしかない)


 モンスター、それも幹部級を打ち倒したと言うのに現実は厄介なものが屯したままだ。現代日本ですらそうだったのだから、未完成な社会が支配する世界ではさもありなん。


 それでも、それを恨むようなことはしない。

 己が生まれたのがたまたま誰かの礎で出来た社会だっただけで、誇れるようなことをしてきたわけでもない。


 それなのに他人が今まさに積み上げている最中の世界に文句を言うなど、そんな醜いことはしたくないと思った。


(……帰りてぇなぁ。どうなったのかなぁ。死んじまったんだろうな)


 己が転生したのが死亡直後だったとしても既に二十年以上経過している。

 幼馴染が生きていたとしても四十歳を超えているし、かの勇者に関しては五十歳を超えてるはずだ。

 あの世界が生き延びているのか。

 それとも滅んでいるのか……それすらわからない。


(なんで俺だけなんだろうな。どうして……俺だけ・・・、生きてるんだ)


 この世界に転生者は誰一人としていなかった。


 時折現代日本固有の言葉を使って演説等をしてみたが反応は一度もなかった。この世界に、いや、この島に彼女と同じ価値観を持つ存在は一人もいない。


 孤独。


 皮肉にも、暗闇だけが支配する迷宮に潜ってようやく彼女は共通点を得た。記憶の中にある通りの空気、雰囲気。自分の記憶が紛い物ではないと確信できたのは踏み入ってからだ。


(……みんなに、会いたいなぁ)


 ぼんやりと眠気に身を委ねながら思う。


 死んでしまった仲間。

 もう会うことの出来ないであろう人達。

 現実から逃げるように王城を飛び出し、迷宮の中で一人眠るのは、寂しい。現実逃避をする暇もないくらい忙しかったモンスター討伐が終わり、改めて現実を見なければいけなくなって、エストレーヤは追い詰められつつあった。 


「…………会いたいよ……」


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