第162話


『報告があったのははオランダ北部。規模は極小レベルで特別栄えた地域、という訳でもない……つまりは田舎の、あってもなくてもそこまで影響のないどうでもいいダンジョンですね』

「……よくもまあそんな場所にアンテナを広げていたな」


 呆れ交じりに感嘆を漏らす。


 日本国内、そして周辺のダンジョンは調査がおおよそ完了しているがそれでもあくまで周辺のみ。


 南米やアフリカ大陸など遠く離れた地域においてはチェック出来てない部分も多い中でピンポイントに変化を感じ取った嗅覚を称えつつ、疑念を口にした。


「モンスター生成量と魔力放出量が激減した……きな臭さはあるが」

『それだけではまだ疑い切れませんね』


 香織の疑念に天ヶ瀬が同意する。


『その疑念は最もです。ですが此度はほぼ確実にクロだと睨んでますよ』


 自信に溢れた口調で言い切った。

 そこまで言うのならと誰もが一度口を閉じて言葉を待つ。


『これまで日本国内のダンジョンを対象に様々なデータが集められてきました。魔力放出量、モンスター生成量、ダンジョンを傷付けた際の魔力消費量、1フロアにおけるモンスターの規定量……そう言ったもの全てに基準を設け、そこから大きな変化が起きた際にダンジョン警報として探索者の皆さまに伝える。そうやって我が国はダンジョンを少しでも理解しようとしてきました』


 語る北郷の顔は険しい。

 決して楽観視もしておらず、しかしネガティブに捉えすぎもしない。例え緊急事態であっても現実的なラインで思考し話せる事は、彼が部長に選ばれた理由の一つだった。


『残念ながら件のダンジョンに関する詳しい情報は得られませんでした。そこまで国の中枢に入れるほど危険は冒してませんのでね。しかし、大事なことは抑えてきました』


(資料が無かった理由はそれか。確実なデータはないが、何かが起こってる証拠自体は得た。しかしおいそれと共有出来るようなものではない……写真か音声か、それともちょっとしたデータか。いずれにせよ情報部が可能性が高いと判断したのなら信憑性はあるものだろう)


 何かあったとするのなら資料の一つでも寄越せば良いものの、やざわざ口頭で、履歴に残らないようにビデオ通話を利用している時点で察するべきだったかもしれない。


(鈍った。甘やかされすぎたか)


 五十年前、何もかもに神経を尖らせていなければならなかった時代を思い出しながら話の続きを待った。


『結論を申し上げます。件のダンジョンで起きた魔力放出とモンスター生成の激減は事実であり、また、それほどの変化は日本国内では前例のない異常事態です』

『では、そこにエリートとの関連性があると?』

『おそらくは。仮にエリートとの関連性が無かったとしても事例に対する知識が増えますので、詳しく調べない手はありません』

『……では、なぜ今回俺たちを集めた? 先に情報を精査し国内で調査してからでも良かっただろう』


 もっともな意見が毛利から出る。


 彼ら統括者は非常に多忙だ。

 以前勇人が地上に出てきた際も彼らが抜けた穴を探索者、迷宮省職員が必死になって埋めた。


 そもそもなぜ一級探索者が多忙なのか。


 純粋に彼ら彼女らの実力が飛び抜けているからだ。

 どんなダンジョンであっても単独で潜ることが可能で、確認されているモンスターを100体近く同時に相手をしても生存が可能。各々に特徴があり殲滅力や継戦能力に差はあるが、全員がそれを可能というある種の超越者集団である。


 故に緊急時は基本彼らが駆り出されるし、二級以下の人員も貴重なので偵察に放り出したりすることは出来ない。


 三級以上の探索者は貴重な戦力だ。

 育てようと思って育てられるものではない。

 四級までは放っておいても生えてくるが、それ以上となると国側がテコ入れしても中々育たないのが現状であるため、必然的に『どこに放り出しても死なずに帰ってくる上仕事を終わらせてくる』一級に仕事が集中するのは当然の帰結であった。


『そうですね。色々事情はありますが……念のため、ですかね』

「…………念のため。それはつまり、連絡すら出来ず後手に回ることを避けたという解釈でいいか?」


 緊急性を有する内容では無いにも関わらずこうして直接伝える機会を設けたということはつまりそういうことだった。


 調査や検証には時間が必要になる。


 国内全てのリソースをそこに注ぎ込むことは出来ないし継続して外に目を向ける必要があるため大規模な配置転換も難しい。そうなると普段余力として残している部分を使うしかないが、それだけでは人手も時間も何もかもが圧倒的に足りない。


 故に情報部──否、迷宮省は決断した。


『ええ、それで間違いありません。確かにダンジョンで変化が起きたのは見逃さなかったが、これと同程度の事象が全世界で起きている可能性も否定出来ない。そしてこれがエリートとなんの関係もない可能性すら否定出来ない。つまりは、何もわかってないけど警戒していてくれということです』

「なんともアバウトな……」

『ですが、前はそれが出来なかった。違いますか?』

「……その通りだ」

『ご無礼、申し訳ありません』

「いや、これは私が悪い。君は職務を真っ当しただけだ。寧ろ誇らしく思って欲しい」

『お言葉、ありがたく』


 つまるところ今回の会議は、『なんの証拠もないし関連性も認められてないけどこれからどうなるかわからないから一級は全員発生時に対応できるように準備しておいてくれ』、という事に収束する。


 無論勇人達特別探索者達が遊撃として動くのは変わらない。


 もし間に合わず大規模な侵攻が発生しても緊急時に動けるように、各地のダンジョン特区で備えていく事だろう。


 遊撃隊に出来ることは事件が起きてから極力被害を小さくして片付ける事だ。


 到達までの時間稼ぎは現場に任せるしかない。

 もしもエリートが徒党を組んで地上にやってきたのなら絶望的だが、そんな状態では世界中で侵攻が発生しているだろうし焼け石に水となる。


『順次計画を立てて用意を進めていくことになりますが、もしそれ以前の段階で何かしら異常が発生した場合は即座に一級に動いてもらいます。最悪その地域は切り捨てることも選ばねばなりませんので、保護優先順位等は緊急マニュアルに従い行動してください』

『あのマニュアル、無慈悲すぎてあんまり好きじゃないのよね……』

『そこは致し方あるまい。我々は世界全てを守れるほど大きくもなく、国を守れるほど強くもないのだ』


 宝剣のため息混じりのい言葉に鬼月が宥めるように言う。


 その言葉に、その通りだと香織は同意する。


 昔からそうだった。

 戦う力はあったが、世界を救う力はない。

 国を守ることすら出来ず、出来たことと言えば勇人を発見したことくらいのもの。戦いはしたがそれがどれだけ戦局に影響を齎したのかは謎で、おそらく大した役に立ってはないだろうというのが彼女の自己評価だった。


 世界全ては守れない。

 国を守れるほど強くもない。

 しかし、人を守れる程度には戦えた。


 その結果、人を守って戦う先で世界を守れるほどの強い人物に出会えた。


(──今度は……そうだな。今度は、国の一つくらいは、守りたいものだ)


 全て仲間に託して死んでしまった過去。

 どうしようもない現実に抗うために命を賭した。

 同じように死んだ人達は蘇らず、自分はなんの因果か蘇ることを許されたのに、この体たらくではいけない。


 想い人と再会したことで緩んでいた意識が引き締まっていく。


 灰燼と化した街並み。

 弄ばれる死体に、空と陸に海を覆い尽くすモンスターの軍勢。

 絶望し首を吊っている遺体が森に溢れたあの光景を、彼女は忘れていなかった。


 その後、会議がつつがなく進行しお開きとなってから、香織はしばらく椅子から動かなかった。


「ただいまー……何してんの、香織」

「澪か。いや、なに。少し鈍ったな、と思っていただけだ」

「ふーん。ま、そんなもんでいいんじゃない? 昔から肩肘張ってたし、ちょっとくらい休憩してもバチ当たんないでしょ」

「君にそう言われるということは、そう見えていたんだな?」

「そりゃまあ。勇人にお熱なのを隠してない時点で大分吹っ切れてるなとは思ってたわよ」

「うぐっ……」

「でも、悪いことじゃない。少なくとも私はあんた達二人が揃ってるのを見て嬉しくなったわ」

「澪……」


 表情を変えず、冷蔵庫に物を仕舞いながらそう言う彼女がどんな気持ちで言っているのか。


 自分達二人はいい雰囲気になっているが、澪の幼馴染はまだ現れない。


 現れる気配もなく、また、甦らせそうとしても難しいと言うのが紫雨の結論だった。

 つまりは彼は死んでいる。

 復活の余地もない。

 澪は、澪だけが、大切な人を失ったままだった。


「……せいぜい幸せになってよね。私達の分までさ」

「…………ああ、なるさ。私達・・は、今度こそ」

「ん。それじゃこの話おしまい。それよりこれ、駅前のケーキ屋さんで買ってきたんだけど一緒に食べない?」

「話の温度差がすごいな……いただこう。今片付ける」

「さっさと勇人の味覚も取り戻してやんないとね。おやつ食べることに罪悪感抱きたくないし」

「それは……どうなんだ?」


 あっけらかんとした様子の澪を見て香織もいつも通りの調子を取り戻した。


 しかし、香織は気が付いていない。

 澪が胸中でどれだけ勇人のことを想っているのか。

 そして、自分自身のことをどれだけ蔑んでいるのか。

 なにも出来なかった自分を忌み嫌い、勇人のために人生を捧げても足りないと思うほど後悔している彼女の胸の内が発露するには、まだしばらくの時間を要するのだった。

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