第137話
人が創られていく。
幻想的な光景、とは呼べなかった。
骨に肉が付き、肉に神経や血管などの複雑な線が組み込まれ、そして筋肉や筋が生まれた。それらが満遍なく整った後に肌色の皮膚で包まれて、グロテスクに露出していた眼球や歯などが覆い隠されていく。
その結果誕生したのは見ず知らずの男でも女でもない。
僕と香織の良く知る女の子だ。
この世にいるはずがない、この手で最期を看取った筈の。
「…………澪……?」
声は震えていなかった。
僕としたことが、現実を認識するのに手間取ってしまったのだ。
だって、普通考えつかないだろう。
ダンジョンに閉じ込められていつの間にか近くに居たスケルトンを復活させたら人になっていて、しかも、その人がかつて目の前で死んだ人だった、なんて事は。
「全くもう。どうせ何も起きないって。何十年も動けないままだったんだから……」
こっちの混乱と困惑を置き去りに、彼女は、遠藤澪の姿をしたスケルトンは喋り始めた。
絶句する僕らの様子からただ事ではないと察したのか、紫雨くんも霞ちゃんも僅かに警戒態勢を取っている。
握った手は人肌らしい暖かさがある。
そしてその手は僕の手をギュッと握り返してくる。
ぶつぶつと文句を呟き続ける澪の姿をしたスケルトンは、己に起きた変化に気が付いていなかった。
「……ていうか、いつまで手握ってんのよ! あんたこの数十年間で私に触れてくれたことなんて殆どないでしょ! それが急にこんな、あーあ! 前はこんなプレイボーイじゃなかったのにな!」
「…………ゆ、愉快な事を言っているが、澪だな……」
「はぁ? 骨しかない私が澪って、酷過ぎない? …………え?」
澪の愉快な言葉──五十年前よりユーモアに富んでる──を聞いて頬を引き攣らせながら言った香織の言葉に返答し、固まった。
まず自分の手を見た。
にぎにぎと僕の手を何度か握ってくる。
一応それに応じるようにこちらも握り返せば、澪の肩が跳ねた。
空いてた片手で自分の頬に触れる。
ムニムニと摘まんでから、じっと己の掌を眺めた。
「……………………うそ…………」
何度も何度も手を握っては開き、握って開き、それが自分の身体だと確かめるようにたどたどしい動きでやった。澪がバッサリと切ってしまった髪も切る前に戻っている。彼が死んで二人で旅をする前に切ってしまったのだ。
僕はそれに対して何もしてやれなかった。
だから元通りになっていて嬉しく思う。
「うごく……ねぇ、勇人。動くの、私の身体」
「……ああ。見えてる」
「なんで。諦めてたのに……」
「すまない。僕が悪いんだ」
「ずっと、ずっとずっとずっと何回も試したけど駄目だったの。何度やっても駄目で…………これが、バカな私の末路だって、思ってたのに」
そう言って、彼女は目尻から涙を溢れさせた。
「話せる……ね、ねえ。声は、聞こえてるの?」
「聞こえる。聞こえるよ」
「そうっ、そうなんだっ!」
「わっ」
ポロポロと涙を流しながら、澪は抱き着いて来た。
拒絶する訳にも行かない。
混乱する頭と少しずつ冷静になって来た部分が合わさって、僕は彼女を受け入れた。
「ごめんっ、ごめんなさい!! わ、私が行くって言ったから……! 一人でも行くって言ったせいで、皆死んじゃった!」
「────……」
息を呑む。
何を言っているのかわかってしまったからだ。
香織が死んだあとの旅路。
僕と、彼と、澪の三人で別のダンジョンに辿り着いた時の事だ。
以前よりも激しい猛攻を繰り返すモンスター相手に地上でも負傷する事が増えた二人を気遣って時間をかけようと僕は提案した。
香織を失ったショックから立ち直れていなかった僕は、二人の事を守れないと思ったからだ。
それを綱基も悟っていた。
彼は聡く、社長令嬢として英才教育を施されていた香織から様々な事を学んでいた。例えば現代兵士が戦闘するにあたり必要な食料、すなわち兵站に関する事や、モンスター達の戦略や戦術の分析に関して。
香織は自分が死ぬことを想定していた。
後継者として僕が旅を続けるのに困らない仲間を育てたの彼女の独断だったが、それは正しかったと思う。
だから綱基も同意した。
このままだと足を引っ張るから一度ゆっくり考えようって。
その頃には既に日本の三分の一程度の面積を取り戻しており、以前ほど追い詰められた状況でも無かった。九州地方は平定してたからね。若き頼光くんを筆頭に人類圏の整備が進められていた。
極めて合理的な判断だ。
当時、エリートモンスターは地上に出てこなかった。
下っ端同然のモンスターが軍隊のように侵略してくるのみで、僕らが居れば最低限一つの防衛ラインを築くことが出来たのだ。
それこそ十年スパンで綱基は考えてたんじゃないかな。
エリートが出て来るなら戦うしかないが、出てこないならそのまま放置して整える事を優先する。九州地方平定が何よりも大きく、内部から外敵が生まれない限りあの土地で籠る事も可能だった。
だが、澪はそれを拒絶した。
これもまあ、当然だった。
彼女は自分の家族を、家を、全てを失ったんだ。
友人だって死んだ。
綱基と二人生き残れたのは魔力を持っていたからだ。
そんな状況下で彼女が願ったのは復讐だ。
どうしようもない現実と、自分の身に降りかかった不幸をぶつけなければおかしくなってしまうと本能が復讐を訴えた。
結果的に彼女はモンスターを殺したいだけの存在になった。
食事も最低限、服装も動きやすければいい。
傷の手当てもどうでもいい。
とにかく殺せればいい。
エリートを討伐した後の統制の崩れたモンスターの掃討戦に必ず参加するほどだった。
僕も綱基もそれはわかっていた。
最終的な判断を綱基に任せた結果、彼は苦笑しながら言ったんだ。
『しょうがないな』って。
「ごめん……ごめんなさい……」
泣いて謝る澪をそっと抱き締める。
泣いて謝りたいのはこっちの方だ。
僕こそ、君らを止めるべきだったんだ。
年長のくせして判断を綱基も任せたのがダメだった。
確かに彼の方が僕より優れていたけれど、それでも僕が最終的な判断をするべきだったんだ。彼に言わせたことで、澪は言い逃れ出来なくなってしまった。
狂ったように見えた当時でも、澪に理性があったことはわかっていた。
だから澪は、綱基が死んだときに現実を直視して──いや、今は止そう。
動揺とは違う理由で震えそうになる喉を必死に抑えながら、僕は言った。
「…………ああ。そうだね。僕も、ごめん」
何を言えばいいのか、何を伝えればいいのか。
混乱したままの僕らの抱擁は、泣き疲れて頭の冷えた澪が強引に離れようとするまで続いた。
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