第134話

「ふはっ。何度見ても面白いな」

「やめてくれよ。僕も自分でおかしいとは思ってるんだ」


 黒いマスク。

 そして目元深くまで被って顔をわかりにくくする帽子といつも着ているのとは違う服を選んだ僕は、真昼間の街中を香織と並んで歩いていた。


 目的地は迷宮省なのでそう遠い道のりじゃない。

 けれど今、僕の知名度は遺憾なことにとてもとーっても凄いことになっている。深夜ならともかく、昼間から歩いていればその場で注目を集めてしまう程度にはね。

 全国区デビューって奴をしてしまってるからね。

 老若男女問わず顔と名を知られている。


 そんな僕が見知らぬ女性と二人きりで往来を歩いていれば、あとは察せる。


 だから偽装する必要があったのだけれど……


「まるで有名人だ。私でもそこまでしたことはない」

「社長令嬢でもやったことのない経験が出来るなんて、夢みたいだ」

「嬉しいか?」

「いいや全く」


 元々地位や名誉に興味なんて欠片もない。


 許されるなら田舎、そう、それこそ自然に囲まれて人間の文明が介在しない山奥でひっそりと生きていくのがいい。

 百年も経てば僕の役割は失われてるだろう。

 その時には、うん。

 香織が隣にいてくれると嬉しいな。


「僕はただの市民だ。承認欲求を持て余してもいないし、王になりたいと思ったことすらない。誰かの役に立てなくなったのなら潔く去る、それが老人の在り方ってもんだろ?」

「……ふふ」

「……何笑ってるのさ」

「いいや? 何でもない」


 お前は変わらないな。


 その一言を彼女が呟いて、会話は途切れた。






 迷宮省本部ではすでに作戦終了が決まったらしく、通常時の業務形態に戻りつつあった。


 忙しそうな様子も見られず、九州第四ダンジョンへ出向していた人員も戻ってきたのだろう。どことなく視線は感じるが、まあ、この中でバレることは別に構わない。

 噂話としてネットに広まる程度なら火消し出来るしね。


 何となく、視線を集めているのを自覚しながら受付まで足を進める。


「勇人特別探索者ですね。上で有馬忠光一級がお待ちです」

「わかった。ありがとう」


 焦らず、しかし出来るだけ急いで階段を登れば、わずかに聞こえてくる息を漏らす声。


 嫌われてるわけじゃないと思いたいんだけど、何だろう。


「……まあ、仕方ない事だ。お前は少しやりすぎたからな」

「やりすぎ? なんの話さ」

「鹿児島のダンジョンでどんなことをしたのか忘れたのか?」

「鹿児島のダンジョン……ああ、そういうことか」


 僕があのダンジョンでやったことと言えば、ダンジョンそのものをぶち抜いて全て破壊し尽くしたことくらい。

 そしてそれこそが問題だと香織は言った。

 考えてみれば当然のことだ。

 現代はその、何だろうね。

 考え方とかがかなり変わっていて僕に対して好意的だけど、やろうと思えばダンジョン丸ごと焼き尽くす火力を出せるという事実は怖いんだ。機嫌を損なってはいけない人物で気を張っているから、何事もなく過ぎ去ったことに安堵する──当たり前だ。


 少し、現代に甘えすぎていた。


 五十年前ならば恐怖から冷静さを失って化け物だと言われていたのに、優しくされすぎて勘違いするところだった。


 彼ら彼女らはみな素晴らしい精神の持ち主だが、それは僕を無条件で受け入れる従順さを生み出すものではない。前と比べて強烈な進化をしたわけでもない。皆自我があって、各々の思想があって、恐怖があるのだ。


「私も又聞きした程度だがな、恐ろしい話だ」

「恐ろしいか。君もそう思う?」

「ああ。恐ろしいよ」


 そう言って香織は真剣な表情で首肯した。


 それを聞いて、そして見て、チクリと胸が痛む。


 誰に言われようが気にならなかった。

 事実だからだ。


 だが、どうしてか香織に言われると……少し、辛いな。


「なぜなら──お前に追いつけるか不安になるからな」


 …………。


 思わず視線を向ければ、ニンマリと笑みを浮かべていた。


 ……なるほど、なるほど。

 どうやら僕は嵌められたってことか。


「目覚めてからやられっぱなしだから反撃させてもらった。少しくらいは許せ」

「タチが悪いね」

「お前に子供が出来たと思わされた時よりはマシだ」


 それを言われると弱い。

 僕が同じ立場だったら絶望している。

 これ以上反撃できそうにもないので肩を竦めて降参した。


「お前はもう少し女心を理解するべきだな。いつか刺されるぞ」

「君が刺すのかい? それならしょうがない」

「…………今すぐ刺してやろうか」

「僕をこんな風にしたのは他でもない香織だからね。責任を取って処分するっていうなら、僕はそれに逆らわないよ」

「ああいえばこう言う、悪い男になった」

「おかげさまだ」


 何でもない会話をしながら階段を登っていき、目的地に到着する。


 三度ノックをすれば、すぐに入れと声が返ってくる。


「失礼します」

「急にお呼び出しして申し訳ありませんね」

「いいよ、気にしないで。暇してたから」


 部屋の中にいたのは忠光くんと頼光くん──あともう一人、黒髪の女性が居た。


「やあ、調子はどうだい?」

「おかげさまで良くなってきました。土御門さんはどうですか?」

「問題ない。久しいな、紫雨くん」


 雨宮紫雨。

 リッチとして覚醒し土御門香織を呼び起こした張本人であり、僕らの作戦における最大目標だった重要人物だ。


 今日集まったのは他でもない、彼女に用があったのだ。


「霞ちゃんは?」

「少し席を外していますがすぐ戻るでしょう。これで揃いました」


 そう言って忠光くんが一枚の紙を取り出す。

 外部に漏れないようにあえて紙で保管されてるそれには、重要な機密であることを表す秘のマークがあった。


「『勇人特別探索者の所持するリッチの能力テスト』。本日はよろしくお願いします」

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