第130話

「まあそう結論を急くな。過激な内容を文脈から受け取っただろうが、実態は全く違う」


 忠光は眉間の皺を解き、苦笑しながら続けた。


「これはな、あくまで勇人さんに関係するモノを文字通り保護するためのものだ」

「保護……? 管理の間違いじゃないか」

「よく考えろよ瀬名。我々人類が勇人さんを管理出来ると思うか?」

「……人類に理があると判断すれば勇人さんは受けるだろう」

「そうだな。それは否定しない──それを前提にして話すが、これは人類にとっても有益であり、そして勇人さんにとっても有益なものになる筈だ」


『勇者血統とその保護について』と大袈裟な書き方をされているが、要約すれば『勇人と関係のある人は全員国がその地位や立場を保証しますよ』と言ったものになる。

 今や国が存続できたのは勇人ら四人組がエリートモンスターを倒して回ったおかげであり、それがなければ世界丸ごと滅んでいてもおかしくなかったと世間には広まっている。まだそれが確実だとは言われてないが、十年、二十年と時が経てば真実として定着していく見込みだ。


 おそらくその頃になれば、勇人らと同じ時代を生きた老人たちはこの世から去っている。


 そうなった後、一部の人間が暴走するのを防ぐための措置だった。


「今後勇人さんが子を残すかはわからん。わからんが、あの単体戦力が受け継がれないとは考えにくい」

「それは……そうだが父上、贔屓をすると? しかも国が……」

「贔屓しない理由がない。世界中見渡してもエリートに対抗できる人材は片手で数えるほどで、勇人さんは一人でエリートを片手間に相手できる程の強さを持っている。そんな人物の血を引く人間を贔屓せずにどうする」


 平時であれば、それこそダンジョン発生前のオカルトが関与しない世界であれば大袈裟だと鼻で笑われていたかもしれない。


 しかし、今この時代は戦時中なのだ。

 それも半世紀前から続く、人類と異種族の殲滅戦争である。


 苛烈な侵略により世界が滅びかけた五十年前。

 そこから復興を遂げるまでの過程で沢山の犠牲が出た三十年前。

 技術が進化し魔力という概念を手中に収め急速に復興と発展を成し遂げた、ここに至るまでの数十年。

 そのいずれにも安泰と呼べる時代はなかった。

 いつも、いつだって外敵と内部に潜む敵に対策をし続けた。


 民主主義では行えない手法を強引に使ったことだって数えきれないほどだ。


「教育を施せば優秀でなくてもある程度の水準は満たせる。そういう意味で無駄撃ちになることはない」


 瀬名は父親の言葉に苛立ちを募らせつつ納得する。


 己に才能があるなどと思ってない彼女は、自分のことを言われていると思ったのだ。

 勿論忠光にそんなつもりはないし、「別にめちゃくちゃ強くなくてもそれを理由に排除するとかそういう手法は取らせない」と言ったつもりだった。

 見事にすれ違っている。

 なのに会話は噛み合っていた。


「では……この、婚姻についての話は一体何なんだ。これは、種馬扱いと同意義だ」


 敬愛する──他意は決してない──勇人の事をそういう・・・・見方をすることに憤りを隠せないまま、瀬名はぶっきらぼうに言う。


「『勇者の血統を保護するために、婚姻関係になる女性の数は問わない』。これほど明確な文言はない。あの人をぞんざいに扱うのなら、私は敵に回るぞ」

「ああ……それはな。俺も言ったんだけど……」


 父親である頼光との会話を思い出す。


『は? これは……流石に反感食らうんじゃないか。これって要するにハーレムだろ?』

『強制力はない。だが彼の人を縛るためには必要な一手だ』

『縛るって、何やるつもりだ。場合によっちゃ……』

『…………あの人は、事が収まれば黙って表舞台から姿を消す。そして自分が必要ないと思えば、きっと何処かへ消えて二度と出てこないだろう』

『……それはそれで望ましい。違うか』

『望ましいな。だが、他所が手を出さんとは限らない』


(理解は出来る。もしもダンジョンの問題が片付き、そして魔力技術が世界中に広まったとすれば、次は人類同士での争いが待ってる。そこに勇人さんを巻き込みたくはないが、日本が放置したところで他国が放置するとは限らない。だから庇護下におく。何処かへ行けないようにする。理屈はわかる……)


「やっぱり時代錯誤だよなぁ」

「……父上は反対したのか」

「さっきも言ったが、感情面では反対だ。勇人さんは自己犠牲が強すぎるから利があると思えば簡単に承諾する。だがそれは我々だけに限った話で、もし他所が勇人さんを利用するためにそういう手段に出たらどうする?」

「…………」


 瀬名も馬鹿ではない。

 なぜこのようなことを批判されること前提で上層部が考えたのか、推察くらいは簡単だ。だがそれを利用した悪どい手を取れてしまう事実に遺憾を示し、そしてまた、忠光も娘のそういった感情も理解している。


「俺個人としては反対だ。だが、有馬忠光という一級探索者としては手放しで賛成するぞ。勇人さんは縛り付けなければならない。そうしなければあの人は、どこにでも行ってしまうだろうからな」


 本音を言えば、どこにでも行ってくれていい。

 嫌っているとか面倒とかそういうことを思っているわけではなく、これ以上戦わなくていいと言いたかった。

 だが言えない。

 立場もそうだが、今のこの世はいつ荒れてもおかしくないからだ。

 エリートの存在、敵の目的、そして異世界の存在。

 これらが解決しない限り平和というものは訪れず、平和が訪れてもそれは一過性のもので、やがて人類同士で覇権を競う戦いが始まるだろう。


 そうなった時、勇人は間違いなく利用される。


 本人が利用されることに気がついていても、それが役に立つならと引き受けることもわかっている。


 そうなるくらいならば、あの手この手を使ってでも日本に縛り付ける。


 戦いに巻き込まれないように魔力を生み出す人になって貰うだけでも構わない。

 戦わせず戦力にすることなど容易だ。

 莫大な魔力を生み出せる勇人はいるだけで価値がある。

 だから初めから使う方法を定めてそれ以上要求されないようにしてしまえばいい。


 それが今回の計画における要点だ。


「わかるだろ瀬名。あの人の存在価値がどれほどのものか」


 莫大な魔力。

 エリートを相手に完勝できる単体戦力。

 死者を甦らせるリッチの能力に加え、善性で出来た人間性。

 本来破壊できないダンジョンを丸ごと消し飛ばせる戦略級の破壊力。


「……わかっている。わかっているさ」

「……お前が長生きしてくれるってんなら別だがなぁ」

「それはないな。勇人さんは意図的にそういった人物を作り出すことを好ましく思っていない」


 雨宮霞と同じ人間を量産するだけで戦力は激増するが、その手を取らないのは人道に反していると本人が思っているから。

 もしもこれが治療という名目で全国の負傷した元探索者たちに恵を与えたら?

 全国に勇人の命令を聞くモンスター混じりの探索者が溢れかえる。

 最悪、勇人を危険勢力とみなさなければいけなくなる。

 だからやらない。

 それは迷宮省側も、そして勇人側も理解していた。


「ほんの数人増える程度なら構わん。一級が死にかけた時は迷わずやってもらうようにしないとまずいな」

「…………」

「ああ、俺は決して惜しかったなど思っていないぞ。かわいい愛娘が死にかけて惜しかったなんて……」

「…………」

「……冗談だ」

「当たり前だ」


 ──実際、死に掛けて治るかわからない負傷だと理解した時は『勇人さんに治してもらえるだろうか』と心の中で考えた瀬名は素知らぬ顔で父親を罵倒した。


「で、どうだ。ここまで聞いて、お前はどう思う?」

「必要性は理解したし納得もした。その上で反対する」

「理由は?」

「勇人さんには既に土御門氏が居る。今更横槍など入らないからだ」


 目の前で二人の絆を見たし霞から多少事情を聞いた彼女は、入る余地などないと断言した。 


 土御門香織と勇人。

 二人は愛し合っているし互いに想いを向け合っている。

 あの二人の間に入り込もうとするなら自分が剣を抜くことも辞さない考えだった。


「……そうか。わかった、協力感謝する」

「……失礼します」


 納得のいかない表情で出ていった娘を見送り、忠光は息を吐く。


 土御門香織。

 リッチの力で蘇ったかつての勇者の一人。

 実力は当時の時点で一級相当であり、モンスターの力を得た今なら更に向上している事だろう。


 ──おそらく、生殖能力は……


「…………あの二人が仲良しなんてことは、俺たちなんぞよりよっぽど知ってるだろうよ」


 脳裏に浮かぶのは苦虫を噛み潰したような表情で話す実父。


 勇人と香織の仲がいい。

 そんなことは、現代の誰よりも知っている。

 香織が亡くなった戦いは他でもないここ九州の地で行われたのだ。

 そして、香織が亡くなった理由は戦力不足である。

 道を切り開くための手数が足りず、彼女は身を犠牲にした。

 彼女を失った勇人の姿を見た。

 想い人を失い茫然自失としながら、それでも人を救った勇者。

 助けた人に八つ当たりされる姿も見た。

 黙って受け入れて、敵と戦うために去っていく背中も。


 もしももう一人同等の強さを持つ者がいれば、死なずに済んだかもしれない。


 そして当時、香織らと同じ強さを持っていたのは…………


「……汲んでやらなきゃ、あまりにも可哀想だと思わないか?」


 モンスターの侵攻が弱まってから国を建て直すために鬼であり続けた男は、止まることなど出来ないのだ。


 誰よりも、他の誰よりも、この案には反対している。


 それでも受け入れなければいけなかった。

 この国を支えてきた一人として、これからの時代に物を遺す老人として。

 贔屓はいいだろう。

 それくらいの実績があるのだから当然だ。

 だが、特別扱いは出来ない。

 それが世界を救う手になるのならば。


「難儀なもんだ、あの世代は」


 自分達に出来ることは、生きている間に後世が大丈夫だと思わせることくらい。


 本当の意味で上の世代が落ち着くことなどないのだろう。

 平和から地獄に落とされ、地獄から抜け出そうともがいた当事者なのだから当然だ。


 胸の内に沸いた虚しい感情丸ごと込めて、もう一度ため息を吐いた。

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