第95話

 深夜、誰もが寝静まった時間帯。


 一人寝る必要のない肉体を持っている僕は、ひっそりと街中に足を運んでいた。


 大した理由ではない。

 ちょっとした約束を思い出しただけだ。

 別にとんでもなく重要な約束をしたわけでもなく、かけがえのない思い出が詰まっているわけでもない。


 ただなんとなく、また来ようか、と口約束しただけの場所。


 それが近くにあるのを思い出したんだ。


 個人の用事にみんなを付き合わせる気にもならないし、僕にとって深夜は自由時間以外の何物でもない。

 怪物は日が堕ちてから活動するもんだろ?

 つまり僕にとって夜とは日中に等しいのさ。


 何せ寝る必要がない。

 寝る必要がないと言うことは一日二十四時間活動を続けられるという事。彼女らは寝るが僕は寝ない。これまで自習にたっぷり時間を費やしていたんだから、一日分用事に使うことくらい訳ないさ。


 出てすぐを走っていたタクシーを捕まえて移動すること小一時間。


 昔懐かしい風景を保ったままの、登山口へと到着した。


「……変わってないなぁ」


 流石のモンスター共も自然を壊滅させられるわけではなく、人工物は崩れても山や川が全滅したわけではない。

 当時と変わらぬ様子を残している自然を見て、少しばかり頬が緩む。

 地続きの世界だと証明しているようで、ノスタルジーを胸に抱いた。


 登山道へ足を踏み入れる。

 僕が生きてた頃、田舎における獣害が洒落にならなくなって全国区のニュースになっていた。深刻な問題として取り上げられていたけど、今はそうでもない。


 魔力があるからだ。

 人は魔力に目覚め適合し新たな武器を得た。

 野生動物の爪や牙を個人で凌駕出来る農家や漁師は案外多いらしく、専用の武器携帯免許があるのもそれが理由。

 探索者養成校卒業生の割合も高いそうだ。

 ダンジョンで戦うほどの力はないが、野生動物くらいならば倒せる人達の受け入れ口でもある。


 よく考えられた仕組みだ。


 暗闇の山道を歩いていく。

 ……と言っても、僕は夜目が効くから日中とほぼ変わりない。

 五十年光の差し込まない地底で暮らした僕が今更月の光がある地上で戸惑うわけがないし、そもそも暗闇だろうが何だろうが別に苦労はない。足を踏み外しても片足に軸を戻して踏みとどまる程度のことは出来るしね。


 すごく静かな空間だ。

 時折僕以外の足音が聞こえるけどそれもすごく小さい。

 あとは時折吹く風に揺られた葉擦れくらいのもので、何の力もない人だったらこの道を歩くのは怖いだろう。


 一時間くらいゆっくりと時間をかけて登り、ようやく展望台まで辿り着く。


 展望台からは街並みが一望できる。

 それはまさしく夜の街であり、人類の齎した光が天すらも照らしていて、我々人類の繁栄と栄華を如実に表している。


 ──ここだ、間違いない。


『我々が守る街を最後に見ていこう』。


 最前線に行く直前、香織が突然切り出した。

 別に断る理由もないから僕は了承し、澪はそんなのはいいから早くいこうと言い、それを綱基が嗜める。

 そのやりとりは今でも鮮明に思い出せる。

 そして到着したここから見える景色は、今よりも暗闇に包まれどんよりとした空気だった上に所々崩壊していたから見るも無惨だったが、尚更やらねばと気を引き締めるに至った。


 そして戦いを終えまた出発する際はここを訪れよう。

 まあ、なんてことのない験担ぎのようなもの。

 そんなやりとりをしただけの、小さな約束の地だ。


「結局、戻ってくることはなかったけれど……」


 香織はその後の戦いで命を落とした。


 ダンジョンの中に死体も置いてきてしまった。

 きっと僕の仲間は敵になるか、敵として利用されているかの二択だ。

 そういう悪辣な手段を取らないわけがない。

 エリート共には感情がある。

 絶対、そう必ず僕にとって嫌な手を打とうとしてくるだろう。

 僕は人類の最高戦力だ。

 最高戦力を潰すのにちょうどいい道具を使わないわけがない。


 ……最も望ましいのは、三人とも成仏してることなんだけどなぁ。


 そしたらまあ、僕も死んだ後に会えるかもしれないしね。

 なんだかんだ楽しみにしてるんだ、死後にまた皆に会えるのを。

 澪と綱基は好意を伝え合ったのか、香織は僕のことを待っていてくれているのか。これで待っていてくれなかったらどうしようかな、あの世で泣き散らかそうかな。心が死んじゃうかも。現世に戻って霞ちゃんに泣きつくのもアリだ。


 なんてバカなことを考えていた時だった。


 パキッ。


 木の枝を折った音だ。

 こんな深夜に山を訪れるとは珍しい。

 特に警戒心なくそちらに目線を向ければ、そこに居たのは──めっちゃ怪しい人だった。


 全身を覆うローブ。

 僅かに見える口元はマスクで隠してる。

 身長はともかく体型すらローブで見えないから男女の判別すら出来ない誰かがそこに立っている。


「…………」

「…………」


 互いに何か言うわけでもなく、じっとその場に佇み様子を伺う。


 んん、街中で事件が起きることは珍しいんだけどな。

 魔力が出来たからより一層治安維持には力が注がれていて、それこそ三級レベルの探索者は引退した後警察や消防に再就職するパターンが多いそうだ。

 三級って結構強いからね。

 建物くらいなら軽く壊せるレベル。

 今の霞ちゃんよりかは弱いけど、下層を一人で歩ける人達が合格出来る資格を持つ。


 そんな人たちがいるから暴れてもいいことなんてなし。

 それに加えて暴れて手当たり次第襲おうとした人が養成校卒業生で痛い目を見た、なんてことも多いそうだ。


 つまりまあ何が言いたいかって、これだけ露骨に怪しい人でも名と顔の知れた僕を襲うほどヤバくはないと思いたいってことさ。


「えっと……こんばんは?」


 声をかけたが反応はない。

 代わりに少しだけぴくりと動いた気がする。


「いい夜だ。そうは思わない?」


 月明かりはあるし、人工の光は空にまで届いている。


 こんな日にはあの日々を思い出すよ。

 野営中、星々の輝きが点々と光る空を眺めたこと。

 そんな空を見てから、暗闇に沈む街を見て、何とも言えない虚無感を何度も抱いた。懐かしい、あの頃の記憶だ。


「僕は夜の闇が好きだ。闇が濃いほど光は際立つ。今日のようにね」


 後単純にリッチになってから光が苦手なので闇が好きというのも理由に含まれている。


 ……少し感傷に浸りすぎたか。

 僕に襲いかかる様子もないし、本当に怪しいけど別に犯罪行為に及んでいる姿を見たわけでもない。この場はスルーして事後報告する形に止めようか。


 一応端末で調べてみたけどそんな報告もないし……大丈夫だと思うけどなぁ。


 訝しむ視線を感じさせないよう明るく笑顔を振りまきながら、気安い態度で告げる。


「ごめんごめん。急に話しかけて悪かった、僕はもう帰るから自由に過ごしておくれ。あ、ただ帰り道には気をつけるように。道が見えにくいからね」


 そう言いながら横を通り過ぎた。

 ローブ、そしてフードの中は……ダメだ、見えない。

 嗅覚を強化しても特に匂いがしない。

 土とかの自然な匂いが漂うばかりでこの人は感じ取れなかった。


「…………なあ……」

「ん?」


 くぐもった声。

 声の高い男性かもしれないし、女性かもしれない。

 マスク越しだから尚更判断しにくく、特定できそうにないな。


 一体何を言われるのかと少々身構えながら返答する。


「なんだい?」


 さて、なんとくるか。

 こんな露骨に怪しい人に関わってどうするんだという気持ちと、逆に見過ごすわけにはいかないという気持ちがせめぎ合っている。


 何を決めるにしても、一旦話を聞かなければ。


 そう覚悟をしていた僕に対し、彼もしくは彼女は、衝撃の一言を告げた。


「…………明日も、来れるか?」

「……え? 明日も?」


 質問を質問で返してしまった僕に対し何も言わずじっと待つ。


 えー……

 えぇ?

 来れるけども。

 何が目的だ?

 わからない。


 …………が、乗った方がいいか。


 僕を殺す手段があるとは思えないし、こんな露骨に怪しい格好した人を見過ごして大事件に発展したら目も当てられない。


「ああ、いいよ。同じ時間にまた」

「…………ああ」


 んん、判別しにくいなぁ。

 せめてマスクしてなければもっとわかりやすかったんだろうけど、聴覚を強化しても別にギリギリ女性に近いかなと思う程度。


 たまたま約束を思い出してみに来たらとんだ劇物を見つけてしまった。


 一体どうしたもんかね。


 来た時とは全く別方向のモヤモヤした気持ちを抱きながら下山した。

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