第94話


 ──夢でも見ていたのか?


 ざあああぁぁと流れていく湯を頭から浴びながら、今日の記憶をもう一度思い出す。


 模擬戦をすると言われた。

 私は模擬戦に懐疑的だった。


 なぜなら九十九を指導するのに実戦形式である必要がないと思っていたからだ。


 あいつは私と違い恵まれた身体と魔力がある。

 最初から持ち合わせているものに馴染ませるのに戦う必要はなく、勇人さんが手取り足取り教えるものだとばかり考えていた。

 だから驚いた。

 模擬戦に指名されたのが私だったから。


『それじゃあ今日は模擬戦をするよ。まずは僕と……』

『(九十九を相手をするだろうし、私が雨宮四級とか。少しでも役に立てればいいが)』

『──瀬名ちゃんでやろっか』

『──え?』


「……はは。なぜ私なんだ」


 腕にビリビリと痺れる感覚が残っている。

 勇人さんとの模擬戦は一度で終わらず、数時間に渡って行われた。


 防戦一方ではあったが、最初は手加減していた勇人さんも徐々に力を出してくれたと思いたい。何とか食らいつき、見られている事も忘れて必死に足掻いた結果──一日の行程を終えて解散する際に言われた一言がずっと忘れられない。


『瀬名ちゃんの守りは僕の守りより巧いよ。また学ばせてもらうね』


「っ……」


 思わず口元がニヤけた。


 祖父から聞かされていた、家にある石碑に祀られた張本人。

 五十年前の戦いを終わらせた勇者でありながら、人々を絶望させるわけにはいかないと自分達の存在を秘匿する事を決めた偉大な人物。


 憧れていた。

 そんな偉大な人達に、祖父が尊敬するような人になりたいと思っていた幼少期。

 自分には才能が無いと思い知らされた少女期。

 与えられたこれまでの期待に応えるため青春を投げ捨てた。

 積み上げて来た。

 到底満足できないレベルだが、それでも自分が生き残れる道がある筈だと模索した。


 そうして辿り着いた一級の座で『力及ばない』という現実を叩きつけられ、心折れそうになった。


 それが覆った。

 私が届かないと思っていた雲の上の人が、私の方が巧いと言った。


「~~~っ……!」


 年甲斐もなく紅潮した頬を宥める為にお湯を水に切り替えた。


 急速に冷やされていく頭。

 しかしそれでも高揚した気持ちは収まらない。

 この程度の冷たさに凍えるほど一級探索者はヤワではないんだ。

 たとえ死を目前に向かえたとしても、動揺せずに戦い抜く精神性を身に付けていなければならない。


 それなのに──気持ちの昂りを抑えられない己の未熟さが、苛立たしい。


「くそっ……たかが模擬戦で、少し褒められただけだろう……」


 はあああぁと息を吐く。


 まるで初めて恋をした少女のような昂りで、心臓が高鳴り頬の緩みが抑えられない。


 嬉しかった。

 肉親ではない誰かが、自分の事を認めてくれたことが。

 祖父ですら尊敬する人が、自分の技を認めてくれたのが。

 自分より強い人に学ばせてもらうと言われたことが、何よりもうれしかった。


「はぁ……スー……ふうぅ……」


 ────『君の完成度が一番高いから、霞ちゃんを任せてもいいかな?』


「ぐ……っ、ぐおおおぉお!! 鎮まれ!!!」


 水を通り越してもはや冷水になったシャワーを全身で浴びる。


 落ち着け……冷静になれ。

 確かに認められはしたが、それはあくまで現時点での話だ。

 浮かれるな。

 将来的に彼女らに追い抜かれるのは目に見えている。

 九十九はともかく、雨宮四級も直ぐに伸びてくるだろう。

 彼女は圧倒的強者である筈の九十九とのトレーニングをそつなくこなした。根性もあり、やる気もあり、自分を伸ばすための手法を理解するのが早い。

 それに勇人さんが付きっ切りで育てているんだから、すぐに私は眼中から消える。


 過度な期待を抱くんじゃない。


「…………ふううぅ……」


 頭が冷めて来た。


 舞い上がって期待され勝手に裏切られた気持ちになる事がどれだけ罪深いか、私は誰よりも分かってる。


 名門有馬家の三代目として生を受け、英才教育を施されたにも関わらずこの体たらく。SNSで語られる事は誤魔化しようのない事実ばかりで、偏見に満ちた意見など数えるほど。

 かつて苛烈なまでの統制を行っていた国が動かないのは、それが真実だからだ。

 名門の娘だから。

 有馬の人間だから。

 そうやって期待され、その期待を裏切り続けて来た私が抱いていい感情ではない。


 褒められた防御もそうだ。


 才能が無いからこれしかなかった。


 不知火一級のような強さが欲しかった。

 宝剣一級や鬼月一級のような唯一無二の個性が欲しかった。

 そして、父や祖父のように一級として相応しい才能が欲しかった。


 どれも無かった。

 何も持ち合わせてない中途半端な人間が足掻き身に付けたのはとにかく死なないための手段。死なずに生き延び続ければ、いつかは強くなれると信じた。

 信じるしか無かった。


 ────…………。


 …………そうなら。

 強くなれると信じて、これまで足掻いて来たのなら。


 今日私は、報われたと言えるのではないだろうか?


 唯一磨き上げたそれが通用した。

 その事実は素直に受け入れてもいいんじゃないだろうか。


 私の技は、一級として相応しいと。


 そしてそんな私の技を学ばせてもらうと言われた。


 これ以上強くなるのは難しくても、私の、私だけが磨き上げた技は勇人さんですら取り入れたいと言った。


「…………まだまだ有馬としては物足りないが」


 追い抜かれていく現実は避けられない。

 有馬としての自分は相応しくない。

 一級として物足りないと言われているのも仕方ない事。


 これは変わらない。


 ……変わらない、が。


 ただの有馬瀬名として磨いたものが一つは存在しているのだと思うと、少しばかり気が楽になった。


「──へっくしゅ! うぅ……流石に寒い」











 今日も直接指導して貰えなかった。

 有馬瀬名さんに興味があるようだった。

 私にはまずやるべきことが最低限出来るようにならないと指導する必要もないと判断されている。

 正しい。

 私だってそう思う。 

 あの人はただの人じゃない。

 ただの一級じゃない、人類最高戦力だ。

 私が目指すべき不知火さんや鬼月さんも超える程の。

 そんな人に指導してもらうにはまだ私は全く力及んでない。

 力をコントロールできないのは演技じゃないから、こればっかりは私がなんとか出来るようになるしかない。これまで二十年以上足掻いて習得できなかったのにどうやって?


 ──無駄に考えるな。

 考えるだけ無駄だ。

 私には向いてない。


 無駄に気負う必要はない。

 気負わず、明るく、前向きで純真無垢な子供みたいな女。


 それが私、九十九直虎だ。


「──大丈夫。明日も頑張ろう!」


 眠気はやってこなかった。

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