第91話
『勇人、どうだ。少しばかり付き合わないか?』
彼女はそう言いながら、貴重なレジ袋をぶら下げながら部屋に入ってきた。
無論拒否することはない。
受け入れ部屋に招き入れると、ふわりと甘い香りが部屋に漂いだす。
『もう風呂に入ってきたの? 早いね』
『女はいつだって綺麗でありたい生き物なのさ。というか、お前だってもう水浴びを終えているだろう』
『そりゃまあ……だって君が言ったんじゃないか、常に小綺麗にしておけって』
『当たり前だ。お前は悪くない見た目をしているんだし、清潔感を保っておくに越したことはない』
そういうものかなぁ。
正直僕を見ている人なんて殆どいないと思うんだけど……
『さ、そんなことは置いといて……どれがいい? 好きなのを選べ』
『好きなの、って……僕、あんまりお酒飲んだことないんだけど』
『知っている。だからここの長に無理を言って種類を分けてもらったんだ』
どうやら彼女が持ち込んだこの酒類は街の備蓄品であったらしい。補充が来るかどうかわからない現状、これだけの量の嗜好品をまだ持っていたことに驚くし、それを譲り渡してくれたことにびっくりだ。
『そこはまあ、商談技術という奴さ。それにこの地域にモンスターが来ていた要因である地底は終わらせすでに一週間、被害も出ていない。旅立つ前の餞別をくれと言ったら快く分けてくれたよ』
『良くやるねぇ。そういうの、苦手なんだ』
『知っている。任せたこともない』
僕は戦うことは出来ても、そういった技術はからっきしだ。
ただ、彼女がいるんだからそれでいいとも思っている。
僕は戦いを、彼女はサポートを。
ちょうどいい役割分担だ。
『私はこれを。お前は……』
『……じゃあ、これにしようかな』
手に取ったのは何の変哲もないレモンサワー。
何となくビールには苦いという印象があり、日本酒は辛いという印象がある。消去法で甘そうな果汁酒を選んだ。
レジ袋からガサゴソと数種類のスナックを取り出して、彼女はビール缶のプルタブを開く。
プシュッ!
炭酸の弾ける音。
倣い僕もプルタブを開いた。
『では、今回も無事に生き残れたことに対して──乾杯』
冷たく良く冷やされた缶同士をぶつけ祝杯を上げた。
ゴクゴクと勢いよく飲んでいく彼女と、恐る恐る口をつける僕。
『──……ふぅ〜〜、生き返る……』
『……思ったより甘くないんだね、これ』
『ああ、無糖だから当然だな』
『無糖と加糖の差があるんだ……』
喉を通って肉体にアルコールが染みていく感覚を味わいながら、談笑を重ねていく。
『それで、一体どうしたの? 珍しいじゃないか、香織が酒盛りだなんて』
『なに、大した用事があるわけじゃない。たまにはいいかと思ったんだ』
『ふーん……』
僕と彼女の出会いはそんなに感動的なものでもない。
崩壊する地元の生き残りを集め、ある地域を守っていた。
ギリギリネット回線が生きていたから生存者がいることを発信し続け、救助に来た自衛隊と合流した時がファーストコンタクト。モンスターに現行兵器が効きにくく、そんなモンスターに対して効く謎の力を有していることに気がついていた彼女が自衛隊に同行していたからこそ今がある。
なにせ出会った時僕はモンスターを素手で殴り殺してたからね。
新種のモンスター扱いされなくてよかったよ。
ビジネスライクから徐々に打ち解けていって今は互いに気心の知れた間柄ではあるのだが、こんな風に一緒に酒を飲み交わすのは初めてのこと。
故に意図を知りたくて聞くと、彼女は苦笑を浮かべた。
『お前は世間知らずだと自分で言っていただろ?』
『うん、今も思い知らされてるよ』
『そう卑下するな。お前は愚かなのではなく、ただ知る機会がなかっただけだ。現に私と行動を始めてから世間というものに理解を深めていっている』
『この世間とやらに対する理解がこの先役に立つかはわからないけどね』
『役に立つようにするのが我々の役目さ…………まあ、なんだ。こんな世の中で私がやってやれることくらいは経験させてやりたいと思った。要は、おせっかいだ』
彼女は本当に優しい人だ。
無愛想でとてもいい対応をしているとは言えない僕に、ずっと目をかけてくれている。他人に、こんな風に目をかけてもらったことがないから、少し戸惑いすら感じる程だ。
『私にはお前を連れ出した責任がある。本来なら一般人として戦いから離れているお前を戦場に連れ出した責任が』
『そう重く捉えなくて全然いいんだけど……』
彼女の言う通りだが、僕はむしろ嬉しかった。
こんな僕でも人に必要とされているんだ。
ただ働くことすら難しかった僕が人の役に立てている。それがどれだけ嬉しいことなのか、彼女は分かってない。
うっすらと赤みを帯びた顔で、彼女はゆっくりと首を横に振った。
『そうはいかない。私には立場も責任もあったが、お前は違う。守られるべき立場の人間を戦いに引き摺り出したこれは、私の罪だ』
『真面目だなぁ、
『そう在れと教えられてきたからな』
彼女は自分で言う通り、高貴な生まれだそうだ。
貴族や士族ではないがとある会社の令嬢で、本当なら今頃金に物を言わせて安全圏に篭ることだって出来た筈。自分に戦う力があり、それを必要とされているから彼女はそこを飛び出した。
本来与えられる筈だった安寧を捨てて、他人を救うことに命を使うと決めたのだ。
高潔で美しい。
人はこうも気高くなれるのかと、僕が尊敬する理由の一つである。
『僕は君に会えて本当に良かった。こんな世の中じゃなければ、きっと会うこともなかっただろうけど』
『……ぐっ』
『?』
『なっ、なんでもない。それより勇人、どうだ? あまり経験がないんだろう、誰かと酒を飲むことは』
露骨に話を逸らしてきたが、深く気にせず僕は質問に答えることにした。
『そうだね……何だかポワポワするというか、楽しい気分だ。君との食事を重ねる度にそう感じるけど、これも酒に酔っているからなのかな。いつもより楽しいし、高揚してる』
『そうか……』
『世の中の人が飲み会って行為をする理由が、少し分かった気がするよ』
信頼のおける誰かとの食事が楽しいと言うのは分かっていた。
それとは別に、この独特の雰囲気がある中で共に酒を飲み本心を曝け出す行為が心地よいと言うのは新たな発見だ。
『また君に新しいことを教えてもらった。ありがとう』
『……ああ、うむ、苦しゅうないぞ』
『はは、何だよその口調』
『う、うるさい。いいから飲め、次に行くぞ次!』
『変な香織だなぁ』
「……………………」
朝。
雨宮霞は目を覚ました。
「…………え。私、何見てたの?」
確かに見ていた。
明らかに自分のものではない記憶。
しかし知っている誰かの、在りし日の記憶。
「……ゆ、勇人さんの、記憶…………?」
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