第87話

 勇人らが上陸を果たした九州の地。

 九州第三ダンジョン最下層の更に地下深く、人間が耐えるには厳しい環境に変わり始める深度にて、二つの人影があった。


 一人は地上にて『黒髪』と名付けられた、元探索者である雨宮紫雨。


 彼女はトレードマークとも言える長い黒髪を抱え、頭を悩ませていた。


「はあ……」


 彼女には悩みが幾つもある。


 一つは自分の事。

 ”雨宮紫雨”としての自意識が目覚めたのはおよそ一ヵ月前。リッチの力を持つ指揮官個体として生を受けたのは年単位で昔の話だが、人間としての意識を思い出したのはつい最近だった。あと少しで妹を亡き者にする所で記憶を取り戻し大焦りし、何とか殺さないように立ち回った結果として勇人解放に至った。


 流石にほぼ死にかけた状態で気絶した妹を見た時は絶叫し蘇生するためにダンジョン内を全力疾走したが、勇人が蘇生能力を持っていたおかげで何とかなったと言う裏事情がある。


 その後紆余曲折ありまだ上には逃げられないと判断、解放した謎の男がやけに強く他指揮官個体も警戒している為人類がこっち側を倒す事に賭け暫く潜伏していたが、結果としては良くも悪くもな空気感。


 確かに解放した男は強かった。


 が、自分諸共殺すつもりなので全くよろしくない。


 人類側に何とかして逃げるにはあの場で自分以外の二人を裏切り殺し事情を包み隠さず話す他なかったと悟ったのは、別の悩みの種を抱えた後だった。


「どうしようかなぁ……」


 そう呟きながらチラリと視線を向けた先には一人の女性が居た。


 以前は身に纏っていなかった服も今は着用し、リッチとしての力を十全に扱える紫雨の手によって着飾っている。


 土御門香織。

 物言わぬ死体人形の名だ。

 曰く、あの鬼のように強い男の泣き所であるらしい。


 彼女を甦らせるためにわざわざ九州に訪れたのになぜまだここにいるのか──簡単に言えば、置いていかれたからだ。


 本来の計画ならばこの死体はそのまま戦いに流用し、隙が生まれたところを全力で叩くという作戦に利用されるはずだったが、それを紫雨は止めた。


『あ? 操作範囲が届かねえ?』

『ええ。あまり離れすぎると難しいの』

『でもあいつ等は動いてるじゃねえか、鎧の奴ら』

『あの子らは意志を与えているから大丈夫なだけ。この女に自我を取り戻させるなら可能だけど?』

『あー、そういう事か。ちっ……ならもう少し襲撃のタイミング考えるしかねえな』

『(セーフ! セーフだよねこれ……)』

『うし、じゃあ新入り。お前九州で能力の練習しとけ』

『……えっ』

『関東だと手強いのがどんどん流れてくるかもしれねえ。地続きじゃない方が戦力も注ぎにくいだろ。そんじゃ』


 厳密にはもっとやりとりがあったが、怪しまれない程度に無理だよと告げるにはこれくらいが限界だった。


(本当に色々嘘ついててよかった……!!)


 彼女は復活してから完全に意識を取り戻すまで、他指揮官個体と仲が良くなかった為に大した情報を漏らしていなかったのが功を奏した。


 リッチとしての能力があって、その力である程度ダンジョンを操作できるという事。そして死体を蘇生する事が出来て、スケルトンやドラウグルを召喚できること。

 それくらいしかバレていない為、なんとか偽装して一旦監視の目から逃れることが出来た。

 こちらが人類としての意識を保っているなど微塵も考えてないのか、大事なを完全に一任されている。


 ──が、それはあくまで一時凌ぎに過ぎない。


 己は人だといくら言い聞かせても、湧き上がる本能を押さえ付けるのは難しい。今はまだ人を殺めていないし自分から距離を取ることが出来ているが、これを抑えられなくなったらと思うと、紫雨は身震いした。


「…………このままだと……」


 いずれ自分はモンスターに堕ちる。

 半ば確信めいた予感を抱いている。


 日に日にリッチとして、モンスターとしての割合が増えていく。

 寝る必要もなく、食事の必要もなく、排泄の必要もない。生物としておかしな肉体をしているのに、なんの異常もない。

 その事実が重くのしかかる。

 いつまでも起きていても不調にならない肉体。

 人間らしさばかりが薄れ怪物性が目につく現状は、彼女を追い詰めていくには十分すぎた。


「せめて連絡が出来れば……」


 関東には他指揮官個体もいるが、自分のことを知っている妹がいる。


 関東にそのまま居残る事が出来ればチャンスがあったかもしれない。バレない程度に操作したスケルトンを向かわせ報告することも可能だった。


 ──しかし今は九州の地だ。

 死んでから10年以上経っているため知り合いなどいるわけがないし、仮にいたとしても探ることが出来ない。上、つまり人類側が自分達指揮官個体をどう扱っているのかがわからないから不用意に動く事もできない。

 もしも人類が『見敵必殺』を掲げていた場合、彼女が身を晒すのは非常に危険だ。

 リッチとしての能力に目覚めてはいても戦闘能力自体は低いため一級探索者数人に囲まれればなすすべもなく討伐される。

 蘇ったのにわざわざもう一度死にたいとは思わない。


 それに、一度あの男と矛を交えた以上完全な味方として迎え入れられることはほぼない。

 敵対行動を取った、その事実は重い。


 やはり判断を間違えた。

 戦いが起きた時点で裏切り人類に泣きつくべきだった。


 今すぐそうするべきなのかもしれないが、彼女にもそう出来ない理由がある。

 今の一級が誰かもわかっておらず、人類の状況も不明。

 せめて投降が許されるならともかく、有無を言わさぬ殺害スタイルで襲い掛かってきた勇人の存在がここで響いていた。


 ギリ、と歯を噛み締めながら、紫雨は静かに呟く。


「…………探るしかない。ここで動かないと、何も出来ない」


 リッチの能力はまだ誰にも知られてない。

 50年前に現存したと言われる同種族の個体は死に、その技法は遺されていないと聞く。であれば、己が倫理を保っていると露見する前に情報を取るしかない。


 そして人類側に戻る。

 死ぬのはそれからがいい。

 人を殺したくて探索者という道を選んだのではないのだから。


 ──ねーね、がんばって!


「……うん。お姉ちゃん、頑張るから」


 幼い頃の記憶。

 父が病死し母も倒れ、経済的に苦しくなった家を支えるために紫雨は探索者となった。本来の夢であった教師を諦めたのは、リスクはあるがその分リターンも大きい職を選ぶ必要があったから。


 母の治療費、家のローン、生活費、妹の世話、アパートの家賃、生活費……

 これらを考えると一般的な安定収入ではとても足りなかった。

 親族を頼ることも考えたが、当時は今より情勢が安定しておらず簡単に受け入れられるほど裕福な家は少ない。治安も悪く、田舎では獣害が人間にも及び、海岸線では半ば野生化したモンスターが日夜陸に上がって来るような事もある。


 まともな教育を受けられるならともかく、働く事もできないタダ飯ぐらいの子供を預かって育ててくれるほど安全な世ではなかった。


 故に彼女はハイリスクハイリターンを選んだ。


「──今回も賭け、か。まったく、運がないなぁ……」


 紫雨には現状を打破するための手札が少ない。

 リッチとしての能力と、唯一あるのはこの喋らぬ故人の姿をした肉人形のみ。

 モンスター側が用意した最強に対する切り札であり、管理できるように能力を高めろと指令される程度には重要視されている。


「私の魔力だと……一日一時間が限度かな。それ以上やると違和感が出るし」


 魔力を土御門香織の姿をした肉人形へと送る。

 胸あたりに手を当て、心臓を介して全身に魔力が満ちたのを確認。


 目を閉じて意識を集中させ、彼女は自らの持ちうる最上の切り札を切った。


「──人格再現、“土御門香織“」

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