第79話

 ────初めは無だった。


 自我が無かった。

 身体を動かす感覚も無かった。

 ぼんやりと白ばむ景色の中で、誰かがずっと嘆いているのを聞いていた。


『────! ど…………が! み………のに!』


 怨嗟の塊の如き声だった。


 憎しみ、哀しみ、痛み……全ての負の感情が詰まっているような肉声。責め立てるように叫ぶ声が、いつまでも残っている。


『なんでだよ…… どうして……僕だけがっ!! 死ねば、僕が死ねばよかったのに!!』


 その声を聞く度に胸が痛くなった。

 その理由はずっとわからないままだけど、嘆く誰かの背中を見るのが辛かった。自意識も希薄でまともに思考すら動かないのに、どうしてか、その感情だけは強く感じた。

 暫くずっとその声を聞いていると、いつの間にか手足の感覚が生えた。

 意識と呼べるものはまだ無い。

 嘆く誰かの後ろにずっと立っていた。

 勝手に動く感覚に身を任せたまま、それでも無くならない嘆きを聞いていた。


 ──10年経った。

 変わらない。

 何一つ変わらない。

 何かが動いているという感覚と、誰かの嘆く感情。

 そればかりが強く強く注ぎ込まれてくる。

 他には何もなかった。

 全て失って泣き叫び、それでも壊れる事が出来ない誰かの慟哭。


 ──更に5年経った。

 変わった。

 一つ変わった事がある。

 意識というものが目覚めた。

 記憶は薄いし大したことは覚えてないけど、溶岩のように心の内でぐつぐつと憎しみを煮る男と同じ人間だった。

 自分の身体が骨そのもので、人間ではなくなっている事を理解した。

 勝手に動いていた身体は男の指令による事もわかった。

 それでも身体は動かない。

 の身体はまだ縛られたまま。

 死んでるんだし・・・・・・・、これ以上は高望みしすぎかもね。


 …………?


 あれ。

 私って、私なんて呼び方してたっけ。

 そもそもこの身体って、なんだっけ。

 骨だけ……見た覚えがある。

 何度も倒した。

 色はちょっと違うけど、うん。

 確かスケルトンって呼んでた気が────


『よし! 出来たぞ!』


 男はそう言いながら骨だけの手に物を手渡して来た。


 武器だった。

 剣。

 やや長めのそれをぎゅっと手に握らせて、彼は満足そうに頷いた。


『あの時なぁ、あと一手早ければ彼女が死ぬことは無かったと思うんだよね』

【僕が弱かったから死んだ。手が届かなかったのは弱さだ。お前だけが生き残って仲間は死んだ。僕が死ねばよかったのに。なんで僕だけが生き残ったんだろうか。死にたい。でも無駄死はしたくない。死ぬのなら、せめて役に立ちたい。どんな形でもいい。人類の役に立ちたい。そして死にたい】


 重い。

 武器の重量じゃなく、男の抱えた感情が重たい。


『つまり殺す速度が早ければ手が届いてた筈なんだ。雑魚を狩るのに時間を掛け過ぎてたのが問題……雑魚を殺すのに一秒も要らないのに、僕はあんなに手間取った。結果がアレだ。つくづく無能で腹が立つ】

【殺す。モンスターは全て殺す。最後には自分も殺す。この世にモンスターという存在は残しちゃいけない。一匹残らず殺し尽くす。そうでもしなければ、僕が生き残った罪を贖えない】


 伝わる怨嗟の声。

 憎い。

 哀しい。

 切ない。

 溢れる後悔の念と自責の声。


 気が付いた。


 この男は…………


 ██・・は壊れている。

 もう取り返しがつかないくらい徹底的に。

 どうして壊れてしまったのか、それは私達の所為だ。

 私達が弱くてどうしようもなくて、それでも彼は私達の事を愛してくれていた。親愛を向け、共に苦しい世界を渡り歩いた仲間として。


 これは……私達の罪だ。


 弱い事は罪だ。

 何も守れない、何も手に入らない。

 弱さは罪だ。

 このくそったれな世界で、何度そう拳を握り締めた?


 怒りが沸き立つ。

 何に怒りを抱いているのかも定かではないのに。

 沸々とこみ上げてくる怒りだけが、今も尚膨れ上がっていた。


 それでも現実は変わらない。

 夢現のような景色だけがずっと、ただひたすらに続いていく。


 ██が壊れた様をずっと見ていた。


 薄く張り付けた笑みの下で自責の念が止む事は無い。

 直接伝わる積年の想いは重く、粘つく静かな激情そのもの。

 記憶が定かではないのに何か声をかけようと思っても、肉体がないから声が出ない。脳がないのに思考が出来る不可思議。


 本当にモンスターになってしまったんだと思うと、死ぬほど腹が立つ・・・・・・・・


 どうして苛立つのかはわからない。


 男が仲間だった。

 私と同じ、数人の人間と一緒だった。

 記憶にあるのはそれだけで、他には何もない。

 身体を自由に動かすこともできず、ただひたすらに流れ込んでくる悪感情と湧き上がる怒りだけが自我を支えた。


 5年経った。

 仲間達のことを思い出してきた。

 女一人、男二人、私。

 女は大人の女性って感じで、男は片方が胡散臭いやつ。

 もう一人は、私とずっと仲が良かった幼馴染。

 幼馴染が目の前で死んだことを思い出した。

 不思議と哀しくはなかった。

 ただ、漠然とした怒りが再燃した。


 10年経った。

 自分のことを思い出してきた。

 魔力と名付けられた謎の力がたまたまあって、家族の仇を取るためにモンスターを殺していた。憎くてどうしようもなかったのに今じゃ私がモンスターに成り果てている。

 復讐に駆られて幼馴染も殺した女にはお似合いの末路だ。


 ……あれ。

 そういえば██、見た目変わってなくない?

 ていうか、なんで私、こいつの言う事聞かないと動けないんだろ。動こうとしても動けないんだけど。

 ……えっ。

 もしかして私、一生このまま?


 モンスターに対する怒りはあれど、それ以上にこのままスケルトンとして仲間であったことすら悟られずに過ごし続ける事実に恐怖が芽生える。


 勇人・・

 私達が変えてしまった人。

 ██・・が死んでから無理してたのはわかってなのに、私達は寄り添えなかった。


 ……いや、違う。

 私が原因だ。

 私が子供で幼稚だったから、勇人が壊れる様をただ見続けるだけだった。


 モンスターが憎かった。

 家族を奪って、私の人生を壊した畜生共が。

 私の全てを奪い壊して、最後には幼馴染の命すら奪っていった。


 許せなかった。

 自分の命を使い果たしても、一体でも多くこの手で葬りたかった。


 だから、最後の最後まで迷惑をかけた。


 死の間際にこちらを覗き込む勇人の表情が思い浮かぶ。


 口元は歪に笑っていた。

 死んでいく人を少しでも不安から遠ざけるために、彼はいつだって笑みを絶やさなかった。


 目に光がなかった。

 私との二人旅になってからも一度だって弱音を吐かなかったのに。笑っていた彼の精神力を、心の奥底で尊敬して、羨んでいたのに。


 でも、その胸中では…………


 ……………………ああ。


 ごめん。

 ごめん……ごめんなさい。

 謝りたいのに体は動かない。

 声は愚か手も足も動かせない。

 動いて欲しくて、必死に足掻いても動かない。


 これが罰なのかな。


 愚かで幼稚で止まれず他人に寄り添えなかった、バカに与えられた罰。


 もしも、もしも神様がいるならお願いします。


 私のことはどうでもいい。

 こんな愚かな人間なんてどうだっていい。


 だから、だからどうかお願いします……


 勇人に、安寧が訪れますように。
















「君は誰なんだろうねぇ」


 割り当てられた個人部屋の中で、漆黒のスケルトンと対面する。


 晴信ちゃんの家にずっと置いていく訳にもいかないし全国行脚に連れて行くのは確定なんだけど、如何せん未だに正体がわからない。

 最近勝手に動くこともあるし、せめてどんな存在かは理解しておきたいんだが……

 迷宮省で知れたことは大した内容じゃなかった。

 リッチの力で動き出したスケルトンなのは確かだ。

 でもそれ以外にわかる事が何もない。

 モンスターを殺すことに躊躇いはないし、他エリートの支配を受けているわけでもない。僕の完璧な下僕であり命令以外は聞かない骨人形。


 ……だった筈なんだけれども。


「地上に出てから自由だよね君」


 時々勝手に動いてるの知ってるから。

 なんだっけ、ダンジョン発生前のなんか、映像作品かなんかで見たことあるぞ。ロボットだけど人の意志に感応して勝手に動いちゃう奴。


 今だってホラ。

 僕は何も命じてないけどカタカタ揺れ動いてる。

 結局霞ちゃんには『怖いからちゃんと世話してください!』って怒られちゃったし、あんまりこれで揶揄うのもやめといた方がいいね。


 これまでは自我がないと思っていた。

 ただ、最近のスケルトンの様子からはどことなく意思のようなものを感じる。支配権を持つからそう感じるのか、僕の人間らしい感性がそう捉えてるのかは知らない。


 事実としてそう感じているという事だけわかればいい。


「どうしたものか」


 最近は考えてばかりだ。

 しばらく動かしてなかった頭に疲労感が溜まっている。寝る訳でもないけど横になれば頭の靄が晴れていくような気がする。

 凝り固まった脳を動かすのは想像以上に堪えた。


 それでもどうしてか、不快には思わない。


「…………立ち止まって無いからか」


 50年ウジウジと悩み嘆き呪い続けた日々。


 あの頃と違って不安はあれど後悔は少なく、未来に向けて少しでも何かを遺そうと必死になれている。


 それが何よりも良い。


「君もそろそろ自立してみる?」


 スケルトンに軽く言ってみたが、やはり返事はない。


 しかしカタカタと口周りの骨が揺れている。

 好意的に解釈すれば喋ろうとしているのだけど、多分そうじゃないんだろうなぁ。


 それでもやはり、数十年も一緒にいれば愛着も湧く。

 50年前の仲間程じゃないけど、あの絶望の日々を支えてくれたのは紛れもないこの個体なんだ。

 霞ちゃんに感情が伝わってたあたり、このスケルトンにはとんでもない憎悪を浴びせてしまっている可能性があるのが若干不安だが……


「いつか君と話がしたいな」


 僕の言葉を聞いて、スケルトンは無言のままだった。

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