第78話
家に戻って来た頃には既に夜も更け、22時を過ぎていた。
「ただいま」
「あ、おかえりー」
帰宅の言葉を口にするのも慣れたものだ。
流石にうら若き女性と言えど、休日のこの時間帯に眠る程健康児ではない。わははとリビングで笑う声が聞こえてきて、思わず頬が緩む。
昼間と同様、ソファに寝っ転がりながらタブレット端末を操作する霞ちゃん。
健康的な太腿が見えているが全く気にしていない。
多分これ、僕が指摘したら急いで見えないようにするんだろうな。霞ちゃんってそういう娘だから。
だから僕に出来る事はここで何も見ていない振りをする事くらいだ。
大丈夫、ここで見ない振りをすることでまた次の配信で無防備な姿を晒してファンを沸かせてくれるだろう。
…………。
「霞ちゃん」
「なーに?」
「パンツ見えてる」
「ヘェッ!!?!?」
「嘘だ」
何が悲しくて孫くらいの年齢の娘にこんなことを言わなくちゃあいけないのか。彼女も言われたくないだろうし僕も言いたくない。
焦って起き上がりショートパンツを確認し、揶揄われたと悟りジト目で睨みつけてくる。
しかしだね、今回は僕にも言い分はある。
「一応聞いておくけど、僕の事を身内判定して無自覚な姿を晒し配信で揶揄われるのと今の内にその悪癖を矯正するために一時の恥を掻くのだったらどっちがいいかな」
「…………うっ」
「ま、ごちそうさまとでも言っておくよ」
ソファの上で体育座りするような形で膝を抱えた霞ちゃんの横に腰を下ろす。
「晴信ちゃんは?」
「明日早いから寝るって」
「そっか」
それきり会話は途切れ、モニターから流れる誰かの声がリビングに響く。
ダンジョンに潜っている配信者の声だ。
流れる映像は色調補正が施され見やすく、しかし薄暗く気味の悪い空気感を画面越しでも伝えてきている。
「霞ちゃん」
「なんですか、変態さん」
「おいおい、そりゃないぜ。僕は君がこのままだらしなく育つのを心配してわざわざ忠告してやったのに」
「ぐ、ぐぬぬ……」
「将来良い人を見つけた時、僕との関係を疑われたくはないだろ?」
「…………私は別に、気にしないけど」
「そういうことは同学年の男に言ってやれ。それで、大事な話がある。いいかな」
「っ、はい」
一転、真剣な表情で背筋を正した。
どこから話したものか。
霞ちゃんには隠さず話して良いと言われているが、順序立てて話さないとゴチャゴチャに混ざってしまう。50年前なら仲間に任せてた弊害が出ちゃったな。
君の言う通り、僕もしっかり学んでおけばよかったよ。
「んー……まず、僕がここ二日間家を空けていたのは迷宮省関連の案件なんだけどね」
「はい」
「昨日は第五ダンジョンにエリート、つまり上位個体出現の気配があったから赴いた訳だ」
「そうですか、上位個た……え?」
驚いて言葉を止めた彼女の様子を気に掛ける事もなく、話を続ける。
「実際居た。三体のエリートが第五ダンジョンの最下層で待ち受けてたよ」
「…………」
「まあ、それなりに痛手は与えたし暫くは大丈夫。ただそれで一つ問題があってね」
「問題……?」
ここからが本題だ。
果たして、これを本当に霞ちゃんに告げていいものか。
無論、彼女が簡単に折れるとは思ってないし、強く思い詰める事が無いと信じてる。それでも、唯一無二の肉親――それも探し求めていた人がモンスターに堕ちて人類の敵となっていたら少なからずショックを受ける。
僕だってそうだ。
目の前に仲間の姿をしたモンスターが現れれば動揺するし躊躇う。
「その、これから言う事は事実だけど確証がない。だからそういうモノとした受け取って欲しい」
「? ……うん、わかった」
「君の姉、雨宮紫雨さんに関する新しい情報があった」
「――……え……」
「あまりよくない情報と、悪い情報。どっちがいい?」
「あ、え、えっ? 姉さんの?」
「そうだ。どう言葉を濁しても、とてもいい情報とは言えない。それでも聞きたい?」
戸惑う霞ちゃんの目をじっと見つめる。
世の中、知らなければいい事も聞かなければいい事も見なければいい事も沢山ある。
僕らには情報の取捨選択権がある。
彼女にこれらを伝えず、僕が一人で全てのエリートを撃ち滅ぼしたっていい。雨宮紫雨の姿をしたエリートも、これから現れるかもしれない思い入れのあるエリートが出てきても、全て僕がやる。
会議で決まったことを覆すくらいの我儘は許されるだろう。
「君にはこれから過酷な運命が待っている。一方的で無責任な期待、受け入れがたい現実、どれだけ手を伸ばしても届かない命――……僕が50年前に味わったような思いを、何度もするかもしれない」
霞ちゃんは困惑したまま話を黙って聞いている。
今ならまだ止まれるんだ。
頼れる誰かに全てを任せて休んでも許される最後の領分だ。
鬼月くんや不知火くんに宝剣くん、頼りになる大人達が沢山いる。
霞ちゃんが全てを背負う必要はない。
戦いの中心になるべきではないんだ。
どうしても戦わなくちゃいけなかった僕らとは違う。
託していいんだ。
「もし君が、これからの戦いを怖いと思ったなら」
「――大丈夫」
僕が全てを伝えきるより先に、霞ちゃんが遮った。
「私は大丈夫だよ」
真っ直ぐな瞳。
覚悟はとっくに決まっていた。
意志の強さ、ヒトを人たらしめる最も大事なもの。
「それが現実なんだから受け入れる。あと10年ちょっと早く私の場所に来てくれてればなぁ、うんって頷いてたのになぁ」
「はは、無茶言うなよ。君が来てくれなきゃ僕は外に出れなかったのに」
「うん。だからね勇人さん。私は何があっても立ち止まるつもりはないよ」
「……そっか、そうだよね」
ここが最後の気遣えるタイミングだった。
彼女の覚悟はわかっていた。
それでも聞かなければならないと思った。
厳しい戦いに踏み込む前に立ち止まる権利は平等にある。
止まれなかった人を見て来た。
家族をモンスターに殺されて、ただモンスターを殺すためだけに人生を捧げていた。
心配だからと着いて来た幼馴染も偶然戦う力があった。
あの時止めればよかったのだろうか。
止めるべきだったと思う。
彼は苦しみながら、それでも最期まで彼女の事を心配していた。
死んだ彼の死体を見て、慟哭する姿をいつまでも覚えている。
「……別れを告げるには、ちょうどいいかもな」
「え?」
「ううん、なんでもない。それじゃあ遠慮なく巻き込んじゃうけど」
「バッチ来い!」
過去と決別する。
いつまでも出来てなかった別れを告げる第一歩だ。
いつかまた君に会うかもしれないが、その時は容赦しないぜ。
「ん……? あれ?」
「うん? どうかした?」
「いや、えっと……あれ」
そう言いながら、霞ちゃんはある方向に指を向けた。
階段の真横。
音も気配もなく、いつの間にか佇んでいた漆黒のスケルトン。
あれ。
僕、別に動けとか命令してないんだけどな……
「……ぼ、暴走とかしない? 大丈夫?」
「はは、大丈夫だってば。ホラ今も動いてないし」
「いやいや動いてるけど!? カタカタ言ってるじゃん!!?」
カタカタ言わせてるのは僕の仕業だがそれは黙っておく。
しかし本当に命令を下してないのに動いたな。
やっぱりこの子も精密検査というか、もうちょっと色々試して確かめておかないと駄目だよなぁ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます