第64話


 世間は勇人の帰還により騒がしくなっているが、一般探索者にとって日常を崩す程の理由にはならない。


 一級や二級の上級者達は国の依頼で難易度の高いダンジョンへと潜っているが、それ以下の者達──例えば五級や六級の探索者は、これまでと何も変わらない生活を過ごしている。


 五級探索者の立花柚子と、そのバディである三門晴信もその類から漏れることはない。


「ふんっ!!」


 柚子の握る剣が、飛び掛かってきた狼型のモンスターを両断する。


 飛び散る血飛沫で視界が埋まらないよう即座にステップを踏んで移動し、腰を落として続け様に突撃してきた二体目も同様に一閃。ダンジョンの中で連戦続きでも決して刃毀れを起こさないように特別な素材で作られた剣を惜しげもなく振り回し、彼女は進撃していく。


 モンスターの量はおよそ十体。

 かつて起きた侵攻に比べれば雀の涙ほどの量でしかないが、現代のダンジョンでは多いと表現出来る量。それを目前にし動揺することもなく冷静に対処しつつ──しかしそれでも、限界はある。


「っ……!」


 五体程切り伏せた後、その表情が僅かに歪む。


 いくら剣の切れ味が良くても彼女の肉体はその限りではない。


 毎日何時間も魔力を操作し肉体を強化し続けるのは、一部の人間を除き難しいことだと言われている。


 理由は単純、消耗するから。


 魔力が知覚され肉体に染み付いてから半世紀近く経過したがそれは変わらない。人が走ればエネルギーを失うように、魔力を消費し続ければ疲労感や倦怠感に苛まれることになる。


 だからこそ、霞は期待されていた。

 一般的な探索者は毎日半日近くダンジョンに潜ることはしない。


 正確には出来ない。

 前述した理由の通り、疲労感を抱えたままモンスターとの殺し合いを演じれば判断を間違える可能性が格段に上昇する。そんな状況で潜り続ける奴は生き残れないし、そう言った危険を冒すものは事前に弾かれている。


 霞にはそれが出来た。

 魔力を消費し肉体が極度の疲労感を訴えていても、彼女はそれをねじ伏せることが出来た。自分の人生をたった一つに捧げると決めてしまっているからこそ通せる無茶であり、常人には不可能な行為。

 日常を過ごしながら、しかし、強くなることだけを考えている。

 己の感情に対して鈍いからこそ出来る芸当。

 勇人程振り切れてないが同類。

 ストイックな求道者と評されていたのはそういった面が強く作用していた。


 そして、柚子は普通だった。

 良くも悪くも、狂うことは出来なかった。

 才能で言えば従来の霞より持ち合わせている彼女が養成校で一度も超えることが出来なかったのは、そう言った理由があった。


『──ガアアアァ!!』


 僅かに動きが鈍ったその隙を見逃さず、残されたモンスターが飛びかかる。


 急いで剣を引き戻そうとするが、それよりも早く牙が肉体に到達するだろう。


 探索者がダンジョンの中で命を散らすことは珍しくもない。

 彼女が装着している眼鏡型の配信装置の向こうでは、焦った視聴者達によるコメントが──


:流石に厳しいか

:三十体は無理しすぎ

:でも前は二十五体だったよな

:確実に成長している


「交代ね」


 その一言と共に、柚子の肉体すれすれまで肉薄していたモンスターの顔面が弾け飛ぶ。


 柚子は両手剣で薙ぎ払うスタイルだが、瞬間火力が高くても持続力がない。

 攻撃力の高さに関しては四級〜三級相当と言われており、それに関しては色々な感情を向けている元婚約者一級探索者のお墨付き。


 その弱点を補うように、共にダンジョンに潜っている晴信のは盾とメイスというシンプルな戦闘スタイルで構成されている。


 シールドバッシュで吹き飛ばし、もう一体をメイスで殴り殺す。


 突き立てられた牙は盾で防ぎ丁寧に一体ずつ処理。

 柚子のように連続で剣を振るい殺すのではなく、優先順位を作り確実に殺す。

 幼馴染である柚子をサポートするために自分で選んだ戦い方だが、思考を回すのが得意な晴信にとっては案外合っていたらしく、瞬く間に五体のモンスターを葬った彼女は警戒したまま口を開いた。


「二十八体。おめでとう、記録更新だね」

「……ありがと。いつも助かるわ」

「したくてしてることだから」


:今日のユズハルきちゃ

:ハルは危なげなく処理するよなぁ

:初めて見たけど結構強いじゃん

:美少女同士の絡み助かる


 割と危険な状態だったと言うのに、全然心配した様子のないコメント欄に思わずジト目になる。


 つい最近その余裕をぶっ壊す異常事態に遭遇したのに無駄に精神が屈強な奴らだとため息を吐いた。


「あんたたちねぇ……」

「いつも通りで何より」

「アンタそれで良いの?」

「うん」


:柚子は俺たちみたいなオタクを見下してるから

:成人女性を応援することになんの後ろめたさもないからノーダメージだな

:妻からの視線は痛いが、男には引けない時がある


「いや別に見下してないんだけど。それアレでしょ、昔流行ったギャルはオタクが嫌いっていう」


 まずギャルじゃないんだけど。 

 

:!!?!?!?!??!?!?

:ギャルじゃ……ない!?

:ギャルではねえだろ

:まずギャルってなに?

:俺も知らん


「なんか、化粧が濃くて流行に敏感な女学生のことらしいわよ」

「……(帰ったら勇人さんに聞こ)」


 ふんわりした概念を語りコメント欄を驚愕させつつ、二人は足を進める。


 今日の目的はダンジョンの最下層まで到達することだ。

 先日も訪れた関東第五ダンジョンは難易度が低く、最下層もそこまで脅威があるわけではない。

 だがあくまで他のダンジョンと比べて、という話であり、不相応な実力を持つ者ではすぐに命を奪われてしまうだろう。既に下層に足を踏み入れている彼女らは賑やかに、しかし油断なく慎重に進んでいた。


:なんか柚子強くなった?


「んー……そう見える?」


:見える

:一気に四体分は強くなってるでしょ

:なんなら同時処理能力も上がってるじゃん

:前より落ち着いて見えるよ


「晴はどう思う?」

「強くなってる。でも……」

「でも……?」

「理由がわからない」


 理由のわからない成長。

 己の力量が生死を分ける探索者にとって、非常に付き合いにくいもの。

 自分の力を理解しているからこそ十全に振るうことが出来るのであって、自分の力も理解しきれてないのでは半人前。


 そんな状態で生き残れるのは度を超えた化け物──それこそ鬼月や勇人のように、圧倒的すぎる力で敵を押し潰せる連中に限る。


「考えられるとすれば、勇人さんか霞だけど」

「検査したけどなんの異常もなかったのよね」

「……わからない。なんで強くなってるの?」

「こっちが聞きたいんだけど」


 人によっては贅沢な悩みとも言えるものだが、死活問題に関わるので笑い飛ばす事もできない。 


 割と切実な問題だった。


「御剣さんはなんて言ってた? ……うげぇって思ったでしょ」

「べ、別に良いでしょ。『流石お嬢!』って言った後に『今度一緒に星空を見ながら二人で研究しましょう!』って言ってきたから蹴り飛ばしたわ」


:相変わらず柚子に対してはキモいな

:なんでこんなにキモいんだ?

:柚子以外には完璧な男

:でもお好きなんでしょう?


「…………別に、好きじゃないから」

「……え゛」

「何!? 文句ある!?」


 いつものようにキレ散らかすのだろうと思っていた晴信は、不意を突かれ声を漏らしてしまった。


 ──柚子が、嫌い嫌いって言わなかった……?


 ダンジョンの中で一瞬警戒を解いてしまうほど呆気に取られていた晴信が装着するモノクル型の配信装置にも、同様のコメントが流れている。


:!?!?!?!?!??!!!

:え

:デレた!!!?!?!?

:天変地異の前触れか?

:またダンジョンで異常が起きるぞ!?


「…………ど、どうしたの? 熱?」

「あ、アンタも大概失礼よね……」


 頬を引き攣らせ額に青筋を浮かべつつ、そう思われるのもしょうがないことかと柚子はなんとか怒りを飲み込んだ。


 別に、大きな心変わりをしたわけじゃない。

 認めたくないけれど、本当に不服だけど、正直これを口にするくらいなら舌を噛み切って死んでやりたいくらいだけど──昔、確かに御剣を好きになった瞬間はあったのだ。


 ある出来事を境に嫌いと言い続けてきたが、良い加減自分でもわかっていた。


 御剣は強い。

 自分もそれなりに才能があった。

 だから、時間がたくさんあると思っていたのだ。


 子供のわがままを言っている余裕があると。


 ──それが、あの事件で覆った。


 自分より努力を重ねて強かった霞が犠牲になった。


 奇跡的に助かったが、もう二度と話せなくなるところだった。まだ話したいこともあったのに、一緒に遊びに行きたい場所もあったのに、それが果たされることのないまま別れるかもしれなかった。


 強いからと言って、それ以上の理不尽がこの世に存在しないわけじゃない。


 だから認めた。

 恥ずかしいし、今更変わっていくのは難しいけれど、言いたいことは言えるうちに言っておきたいと。


「…………少し、考えてみただけだから」

「……そっか。私は応援するよ」


:ユズハルの過剰供給はやめろ繰り返すユズハルの過剰供給はやめろ

:光よ!!(絶命)

:ぐあああっ!!

:尊い

:いいよね

:いい……


(でもこれは普通に気持ち悪いわね……)


 一瞬で流れが変わったコメント欄から目を逸らしつつ、再度ダンジョンの暗闇へと目を向けた。


 その時だった。


「…………」

「……柚子?」

「…………なんか、嫌な感じしない?」


 ピタリと足を止めて、その場で立ち止まる。


 眉を顰め、目の前に続く暗闇へとじっと警戒を向けた。


「……なんか、なんとなく、嫌な感じが…………」

 

 漠然と、この先に足を踏み入れると良くない感じがする。


 特にダンジョン警報も出てないし、他のパーティーが最下層に向かっているとは聞いてない。客観的に見て危険が潜んでいるとは思えない状況で、彼女は踏み留まった。


 なんの根拠もない、寒気のような感覚。


 それを、晴信は信じた。


「──戻ろう」

「……信じるの?」

「うん。柚子がそう感じたなら、退こう」


 警戒心を高めたまま、二人はジリジリと後退を始める。


 コメントに目を向ける余裕はなかった。


 退くことを選んでから圧のようなものが増したような気もする。

 冷や汗をかき背中がビッショリと濡れていることに気がついたのは、下層を抜けて中層と呼ばれる地点まで上がった時だった。



 





 








 人間の気配が遠のいていく。


 光のない暗闇の中に一体、モンスターが立ち尽くしていた。


 皮も肉も臓物も無く、構成しているのは骨だけ。

 しかしその骨も人類のものとは言い難く、頭蓋は動物のものを持ち六本腕で三メートルほどの巨躯を誇るスケルトンが骨を震わせた。


 喋る器官は持ち合わせていない。

 しかし、モンスターを束ねる指揮官としての役割を担っている個体の一体でもあるその深紅のスケルトンは、踵を返して奥底へと戻っていく。カタカタと骨が軋む音が、最下層の暗闇に響き渡った。


 

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