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 その後もクラウディアが、なんとかして二人の仲を取り持とうとしてくれたものの、そのどれもがことごとく失敗に終わった。

 二人でお茶をしてもちんもくのまま時間だけが過ぎ、全員での食事の席でもクラウディアが最初から最後まで息つくひまなくしゃべり続けているだけ。ちなみにそのかんもカトラリーを持つ手が止まることはなかった。

 そうこうしているうちに一週間が経過し――ついに後見人の二人が、それぞれの住まいへ帰る日となった。


「ごめんなさいねアルマ。主人がいい加減、戻ってこいって」

「仕方ありませんよ。女主人があまり長く家をけるわけにはいかないでしょうし」


 またねえ~! と大きな瞳になみだを浮かべてとうのように去っていくクラウディアを玄関で見送っていると、いつの間にか隣に来ていた叔父・ヘンリーがふっと鼻で笑う。


「いつ見てもごうかいな人だ。あなたもつかれたでしょう」

「い、いえ、そんなことは」

「縁談、今すぐ断ってもらってもいいですよ」

「えっ?」


 まさかの言葉に、アルマは目をしばたたかせる。

 だが彼はていせいするでもなく、眼鏡を押し上げたあと静かに言葉を続けた。


「そもそも僕はこの話、反対しているんです。それをあの人が勝手に進めて……。公爵家の結婚はそう簡単なものではないというのに」

「は、はあ……」

「本当にめいわくです。こんな見てくれだけの中位貴族の娘だなんて」


(おーい、聞こえてますよーっ!)

 

 クラウディアの雑談から得た情報によると、ヘンリーはコンラートが幼い頃から、家庭教師としてこの家に出入りしていたらしい。それだけにおいっ子が心配なのだろう。

 わざとらしくため息をついたあと、彼はレンズの奥の目をすっと細めた。


「とにかく、僕はあなたを認めたわけではありません。公爵家に害をなすとみなせば、そっこく出て行ってもらうのでそのつもりで」

「き、気をつけます……」


 初めて会った時からなんとなく歓迎されていない気はしていたが、どうやら彼はコンラートが結婚すること自体を良く思っていないらしい。言いたいことをびしばしたたきつけたあと、迎えにきた馬車でさっさと自宅に帰ってしまった。

 玄関に一人残されたアルマは、がっくりとかたを落とす。


(うう……大変なところに来てしまった……)


 前門の修道院、後門の公爵家。

 もはやアルマに逃げ場はない。


(……まあでも、まだたったの一週間だし。一緒に暮らしているうちに、多少はいいところも見えてくると思うんだけど―― )


 しかし期待とは裏腹に、コンラートとのきょはいっこうに縮まらなかった。

 二人での食事中、会話はほぼゼロ。

 庭園の散歩にさそってもそのたび断られ、あれ以来一度も行っていない。

 仕方なく、邸の使用人たちに彼の人となりをたずねてみたものの「自分もここで働き始めて日が浅いので……」と大した情報は得られなかった。


(まあ、ひどい労働かんきょうじゃなかったのには安心したけど……)


 古株の使用人がごっそり辞めたというくらいだから、てっきりコンラートがぼうぎゃくをほしいままにしているのかと疑っていた。

 だがここ何週間か過ごしている限り、そうした様子は見られない。


 (やっぱり、たまたま退職者が続いただけかしら? ……それはそうと、私はいったいいつまで令嬢のたいを続ければ……)


 縁談をナシにされてはたまらないと、アルマはコンラートの前ではもちろん、使用人たちに対しても常にとした態度をつらぬいていた。 

 おかげで評判はあおてんじょうだが、いつ化けの皮がはがれるか冷や汗ものだ。


(あーっ! 浴びるようにお酒がみたーいっ!! )


 アルマは心の中で絶叫すると、特にすることのない自室へと戻っていった。

 そんなぎこちない生活のまま、ついに一カ月が経過した。

 夕食後――綿のように疲れ切ったアルマは、自室の机にどさっとす。


「うう……おうちに帰りたい……」


 相変わらずコンラートはもく、何を考えているか分からないまま。

 最近では話しかけることすらこわくなっている。

 一方『完璧な令嬢に擬態キャンペーン』はいまだけいぞくちゅうで、アルマはついに表情筋の異常を感じ始めた。


 「一日中がっちがちのコルセット、そうしょくごてごてのドレス、はだが息できないほどのフルメイク……。かといってやることは何もなし……。それに部屋をいつも侍女たちが出入りするから、全っ然だらだら出来ない……!」


 そもそも婚約期間といえばいっぱんてきに、未来の公爵夫人としてのや親族のつながりを学んだり、ダンスやマナーのレッスンをしたり。さらには領地の視察、家政のさいはいなどに努めていくものだ。

 だがどういう訳か―― コンラートはアルマに対して、そうした勉強をいっさいさせなかったのである。


(最初はづかってくれたのかと思っていたけど、もう一カ月よ!? こうなると完全に『書類上だけの婚約者でいい』ってことじゃない!)


 アルマはぐぬぬ、とこぶしを握りしめる。

 やがて何かを決心したかのように、突然がばっと立ち上がった。


「もうだめ……吞もう!」


 家から持参した鞄をベッドの下から引っ張り出すと、奥底にかくしていたワインボトルとグラスを取り出す。人目をぬすんでこっそり入れておいたものだ。

 ちなみに例の部屋着も持ってこようとしたが、メイドたちから「当家のはじになります!」と涙ながらに止められた。

 うふふ、と我が子をいとおしむように抱きかかえたあと、むっと眉根を寄せる。


「でも部屋で吞んでいたら、すぐにばれるか……」


 アルマはしばししゅんじゅんしたあと、ソファに置いていた編み物用のかごを手に取った。

 中身をさかびんと入かえると、ぱたんとふたをして腕から下げる。


「よし、これなら――」


 羊毛の外套を羽織り、ろうにいた侍女に「ちょっと夜風に吹かれたい」と断りを入れる。

 そのままキッチン房で塩味の利きいたクラッカーとチーズ、オリーブのオイルけを分けてもらうと、ひとり庭園へと向かった。

 邸からいちばん遠い|四阿で、いそいそとそれらを皿に盛りつける。


「クラッカーのクリームチーズのせ! シンプルだけどちがいないのよね~」


 グラスにワインを注ぎ、くいっと勢いよく飲みす。

 かわききっていたのどにひりつくようなげきが走り、アルマは「くううっ」とかんに声をふるわせた。


「お、美味おいしいーっ!!」


 皿に並べたクラッカーを口に運び、ワインも二はい目、三ばい目。今までに吞んだどの酒よりに感じられ、アルマは夢中になってグラスをかたむける。

 だが途中ではっと手を止めた。


「いけない、いけない、飲み干さないようにしないと……。この家、お酒はだめって感じだから、次いつ手に入るか分からないし」


 あらゆるぜいたくひんあふれ返っている公爵家だったが、不思議なことにアルコールのたぐいだけは、一切と言っていいほど提供されなかった。

 料理に使うものや来客用はそれなりにあるようだが、だんしょくたくで酒が出たことは一度としてない。


つう、食前とか食後に出るものだけど……そういう決まりなのかも?)


 三分の二ほどになってしまったワインボトルに残名なごりしくせんをしたあと、グラスの中をちびちびと舌に乗せる。

 四阿の上には満天の星がかがやいており、アルマはふうとため息をついた。

 しゅうの涼しい風が頰をでる。


(みんな、どうしてるかな……)


 この邸ほどの大金持ちではなかったが、ヴェント家はいつも楽しかった。

 仲の良い両親。可愛い弟。素のアルマを知る使用人たち。


(エミリオ……ちゃんと、結婚の話は進んでいるのかしら)


 ひねくれた自分とはちがう。

 きちんと恋愛をして結ばれた家族。

 どうか彼らだけは、幸せになってほしい。


(……でも、私だって本当は―― )


 喉の奥に苦い何かが込み上げてきて、アルマはグラスの底に残っていた酒を一息にあおった。ふわふわとしたここのまま、溜め込んでいた思いのたけをぶちまける。


「こっちだって、好きでここに来たんじゃないわよーっ! それでも……それでもちょっとでも仲良くなれたらいいなって、いっしょうけんめいがんってるんじゃないーっ! 政略だか見合いだか知らないけど、あきらめたくないのよこっちはーっ!」


 貴族の娘は結婚相手を選べない。

 それは当たり前のこと。

 でもアルマは、相手がどんな人であっても大切にしたいと考えてきた。


「なのにあの態度は何!?どんなに話しかけてもそっけないし、何考えてるかぜんっぜん分かんないし! 言いたいことあるなら、ちゃんと言ったらいいじゃない! 見た目はあんなにいいくせに、このっ、バカ――!!」


 心ゆくまで本音を吐き出し、アルマは満足げに「ふう」と額をぬぐった。

 だがふいに背後から強い視線を感じ、ぎこちなく振り返る。

 そこで―― 手帳を手にしたコンラートとばっちり目が合ってしまった。


「アル、マ……?」


(終わった―― )

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