終章



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 行く当ての無い旅の進路はコラスに委ねられた。異形に怯えなくていい安全圏での生活を思えば真っ先に萩之楼へ向かっただろう。出立の直前に人から襲われる可能性を痛感していた彼は、以前シャル達が紳士にジュースを奢ってもらった時の釣り銭しか持たない、ほぼ子供だけの集団で紙幣制度の都市へ身を預ける事を躊躇った。


 山頂からは暗黒に包まれた拠点を眺め、飛行車両で当日中に行き来できていた麓から小キャンプまでの移動は片道で日を跨いだ。高速では直接干渉する事も無かった世界を――小動物の営みや自然の芽吹きを無自覚に踏み荒らしながら進む内に、子供達は調子を取り戻していた。


 吹き下ろしの風、川のせせらぎ、木漏れ日――賑やかにしていなければいとも簡単に孤独を煽られかねない、先の見えない旅路。その行く先はコラスの罪人としての出発地点となった廃都市へ、彼も無意識の内に向かっていた。


 ザ・サミットへの道標になっていた川を遡れば、子供達の故郷である村だった場所も通りすがる。そこで一夜泊まりたいとの子供達の要望により一行が村跡地で夜を迎えた日の事だった。


 やりたい事があると言って子供達が始めたのは家族の墓作り。人面へと変えられてしまい骨の一つも残さずに消えた家族を弔おうと、川辺から拾った石を墓石とし実家から形見を探し出して、作られた質素な墓に子供達は手を合わせた。


 両親の墓を前に改めて復讐を誓ったシャル、父のようにはなるなとの約束を果たすと誓った少年、そして全村人を弔う共同墓の前で拝んだ児女――墓を作って拝む間、一人として涙を浮かべてはいなかった事が彼等の心の成熟を物語る。


 おいそれと里帰りが出来ない都合上ここを今生の別れと覚悟して、子供達は最初で最後となるであろう亡き家族の墓参りに没頭する。その様子を見ていたコラスは以前そこで懿卡護様との戦闘があった時の事を思い出していた。


 ハートが彼等二人の力無くして子供達は守れなかったと感謝を口にしていたように、コラスと千二百七番が居なければ他の村人同様シャル達も懿卡護様の餌食となっていたのは間違いない。一方で彼等の力により守る事の出来る命の数に限りがあったのも事実だ。


 その当時は記憶を失い地上へ出てきたばかりで自らの能力に対し浅薄だったコラスも、多方を巡り人々と触れ合う内に自らの結界を疎んでいた。


 守るべき人を全員守れないのならこの結界は一体何の為にあるのか――兵器紛いの使われ方をした経験でさえも、彼は新たな了見が開けるきっかけに出来ればと前向きに捉えていた。


 そんな彼の能力に変化が起き始めたのは仲間から日頃の感謝を述べられた後のこと。


 どんなに狭くても、たとえ溢れた者がそのせいで死したとしても、結界の内側に平穏がある事は紛れも無い事実であり、中心に居たのは何時もコラスだった。


 彼自身も自らの能力と似た存在の聖痕を知り、異形が現れるまで栄えていた文明の残痕に触れ、地上でそれを取り戻そうと集団で奮闘する他の人々と接した。そうしている内にいつの日か聖痕に頼らない昔のような生活を取り戻す事が彼の願いとなっていた。


 だが異形が滅びない限り人の生活圏は聖痕内か地下――何れにせよ堅苦しい生活を強いられる事は彼も理解していた。仲間達からの感謝の言葉は、異形が絶滅し聖痕が不要になればいいという考え方を彼が変える契機となったのだ。


 結界の内か外かで平穏に暮らせるかどうかが決まるなら、平穏を望む人々の為に結界を広げて悠々と暮らせる生活圏を築く事が出来たら良い――コラスはそう考えるようになった。


 それ以降彼の結界は少しずつ範囲を広げ、最初の廃都市へと着く頃には子供達が結界を考慮せずに走り回れる程へと拡大していた。萩之楼で見知らぬ男から受け取った写真を毎晩眺めるようになった彼は、それからは意識的に廃都市を目指した。


 コラスの両親が泣きながら彼に話しかけてきたのは彼が記憶を失ってから。何故赤の他人が泣いていたのか、どうしてその事ばかりが記憶に居座るのか、追放された当初の彼には分からなかった。


 だが今は違う。自分の家族だという写真を見て、彼は他人だと思っていたあの二人が別れ際に泣いていた理由を察した。更に彼は自らを実の息子のように可愛がってくれる女性と暮らし、自身より長く生きている分大小様々な傷跡を背に持つ男性の後ろを歩いた。


 母親の無間なる愛が、勇壮なる父親の自責が流させた涙は子の心に届くまで時間を要したが、両親の知らないところで子は確かに成長を遂げている。


 未だに焦げ臭さや腐臭が漂っているのではないかと錯覚を引き起こすくらいの淀んだ空気と、それの原因になっている瓦礫の山々――例の一戦が残した戦跡に、この廃墟を縄張りとする恐れ知らずの異形は現れていない。


 全半壊した建物の中で孤立する無瑕疵のランドマークは宛ら文明の墓標。人類史上幾度目かの絶滅の危機に託けて彼等への皮肉を呈するも、気付く者が居なければそれは破壊を免れた唯の人工物である。


 そのような建物に童心一つで燥げるのは子供故の特権だろう。子供でありながらそれを奪われたコラスは、我儘を言うシャル達の姿を見て地下で両親と暮らしていた頃の自分も同様だったのではないかと想像していた。


 彼は核心に迫りつつあった。能力へ――罪への理解を深める程に力を得られると教わっていた彼は、結界の拡張を望む今、考える事を惜しまなかった。


 一般的に自覚無き罪人は、自らが何故追放されたのかを初めに考える。しかしどれ程考えたところで納得のいく答えを出せず、「何かの手違いだ」「自分は悪くない」と思考するのを放棄してしまうのは良くある事だ。実際、刻印の試行回数を稼ぎ、又地上へ送る罪人を増やす為着せられた濡れ衣を、恰も最初から着ていたかのように思い込もうとするのは難しい話だ。


 記憶を失っていたコラスは彼等とは違い、為すがままに追放を受け入れて問われた罪に疑いを持つような事もなかったが、旅を経て追放の真実へと考えを巡らせるまでに至っていた。


 最期には願いでもあった、昔のような暮らしが出来る――その新たな一歩となる土地を地上に残して、彼はこの世を去った。父親が別れ際に訴えた言葉の正にその通りであった、だからこそ自分がやらなければならない、と。彼は自分の願いが本物だった事を証明したのだ。


 地下で暮らしていたある一人の少年は地上での平和な暮らしを夢見るようになった。それは強い願望として次第に言い放たれるようになり、役人の目に留まる事を恐れた両親は彼にプレゼントを渡した――これが自然と切れた時にその願いが叶うと教えて。


 言霊は発した言葉通りの結果を現す力とされているが、それが実現するには絶対的な求心力や信心で結ばれた協力関係が不可欠である。一人が欲を言葉として発し、周囲の人がそれを叶える為に全力を尽くして、実現した場合その欲は結果的に「言霊」と称される。


 但しそれは欲を発する者の他に複数人、それを聞く者がいた場合の話。一人で言霊を実現するならば他の追随を許さぬ程の行動力が求められる。ああなったらいいこうなったらいいと喋っているだけではいつまで経っても欲のまま。


 行動も求心力も伴っていなかったその少年は軈て地上へと追放されてしまった。その時はまだ彼の願いが本物なのかどうか――真実を知る者は彼自身も含めて一人も居なかった。


 言霊のような不思議な、霊的とも取れる力を信じるかは人によるだろう。これが彼の願った平和の形かどうか、今となっては知る術も無いが、千切れた御守りは聖痕の傍らで今日も子供の快走に靡いている。








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罪人 Ottack @auto_22

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