十四話


 体から血が流れるように心からも血は流れる。出来事に際して古傷が疼くように、感情は卑怯にも聞き取れとばかり喚き立てる。


 時が経てば傷跡こそ残れど痛みは何処かへ消え去ってしまうだろう。そこに差が有るとすれば要する時の長さである。過ぎ去る時を体に一年とするならば心には十年掛けて穏当だ。


 このような試練は全ての人に起こる訳ではなく、又乗り越えられる事が必然ではない。出来事としては似通っていたとしても、人というイレギュラーが居る限りそこにある答えは一つではないのだ。


 心の傷に十年という歳月だけを費やしたとして、痛みが消え歩き出せていたならばそれも立派な答えの一つと言えよう。


 シャル達が今回の出来事へどのような答えを出すのか――支えていく意志を彼等に伝えたハートはコラス達と共に施設を出た。


 ハートの日課だった周辺地域との交流も無くなり中間拠点や誘導役を担っていた村も消えた今、新たな罪人が小キャンプへ、延いてはザ・サミットへと辿り着ける可能性が格段に低下していた。


 一方でザ・サミットへ加わった強力な人材が持つ異形を恐れずに外を出歩ける強みを活かし、追放された罪人を拠点まで移送する計画が持ち上がっていた。


 問題は地下と連絡が取れず、いつ罪人が追放されてくるか分からないこと。そこでこの計画の前段階として隔壁の付近にメッセージを残す事と、あわよくば地下と接触する事が立案された。


 そしてこの議場にてもう一つ議論されたのが、「コラスの重装化と戦線加入について」である。


 重装化とは言ってもコラスが異形からダメージを受ける事は万に一つも有り得ない。重装備でなければ防げない程のダメージを彼が負うとすれば、異形以外から攻撃されたか事故によるものかだろう。


 過保護になるあまりコラスに装備を着込ませたくなった者が進言したとしよう。新人は皆ハートから防具を買ってもらうが、この防具は刃物は勿論武器による攻撃も一切通さない優れ物だ。だが彼は胸当てと背中、首周りのみという最小限の面積に留まっている。


 何故ならそれで十分だから。何処ぞの神なる異形程ではないにしろ、この防具も反射拡張の機能により見た目以上に身体を守ってくれる代物なのだ。


 そんな防具でも防ぎ切れない事態を想定しているとなれば、自ずとダメージの質量も上がってくる。瓦礫が降り注ぐ事を懸念しているなら違法建築がされている地帯を避けさせればそれで済むだろう。


 彼等は日夜コラスをどうにかして攻撃へ参加させられないかと模索していた。コラスの能力は異形に対して絶大な可能性を秘めた不可侵の領域。しかしそれが災いしてか扱う彼本人は異形を脅威と認識しておらず、自らの能力を応用する事への関心をまるで示してこなかった。


 そこで提案されたのが重装化したコラスをアスターが取り込むというものだった。絶対的な力は有るがそれを応用しない無敵の少年と、戦闘に於いて肩を並べる者が居ない無双の男の融合は、絶望さえ過ぎった懿卡護様の討伐に光をもたらす作戦だった。


 議論は白熱した。子供を恰も兵器のように扱う事への人道的な問題を追求する者がいれば、人道に生きて命を捨てるくらいなら命の為に通る人道もあるとする者もいた。


 コラスが成人で自らこの作戦に志願してくれたのならば議論が紛糾する事も無かった筈だ。


 この作戦を実行する上での障害はまだあった。コラスと並ぶもう一人のキーマン――アスターが他力を用いる事を酷く敬遠しているのも議題に挙げられた。


 アスターは実力至上主義者であり他人を評価する際は勿論、自身への評価の内九十九パーセント以上が実力となるように振る舞ってきた。評価を狂わせる不確定要素を身の回りから排除して生活している彼が、果たして討伐の為にコラスの力を貸りるのか。


 光学迷彩を使った不意打ちを実行してくれた彼ならと、アスターの実力至上主義な一面についてはあまり問題視されなかった。子供を大事にしているフルートの影響が及ぶ事を危惧する声も挙がったが、飽く迄この作戦の要はコラスの安全を確保した上で彼を異形の脅威となるように動かす事にあった。


ハ「懐かしいなぁ。私が出てきた時はこんな感じで何も居なくてね、ラッキーだったんだよ」


 罪人を移送する計画の前段階としてコラス達三人は地下拠点の真上に来ていた。隔壁の周囲は腐った肉片と乾いた血で如何にも蛆が好みそうな環境となっていた。


 看板と通信機を設置してから彼等は念の為地下との接触を模索してみた。地下と通信出来ず隔壁も開かない以上、地上から接触する手段は皆無。


 都合良く罪人が追放されては来なかったが、メッセージを残すという目的を果たせた彼等は帰還する事に。航路が自動設定された飛行車両に対異形障壁まで搭載出来たなら、向かうところ敵無しである。


 荒廃の一途を辿る嘗ての人の縄張り。この都市を構築する物質の土へ還るまでに要する年月は人を遥かに上回る物ばかりであり、この都市が完全に姿を消すまで人どころか惑星すら残っているか定かではない。


 もしも人以外にそれらを利用している生物がいるのであれば、たとえ異形であろうと感謝すべきだ。自然を破壊して作り上げた生活圏を放棄しその後に誰も寄り付かなくなったとあれば、数百年に渡って人の傲慢が晒される事となってしまう。


 人に代わって今この地を縄張りとしている昆虫型の異形は、真っ先に感謝すべき対象の一つだろう。その長ともなれば地主同然。


 片羽根をしもべの献身にて補わせ飛来した大型の異形は、少し留守にしていた間に侵入した飛行車両へ敵意を向けた。長の命令を受けて先鋒の僕が即座に襲い掛かる。


 浮上と方向転換を終えた飛行車両は外からその姿が確認出来ない程に取り囲まれ、然れど取り囲んだ異形ごと動き出した。そのまま自身へと突進してくる敵に、長は堪らず羽ばたくのを止めて落下する事で回避する。


 この時長は僕から得たとある情報を思い出していた。それは不可視の障壁――学習中だった僕達が打ち破る術を見つけ出せないまま今日まできた、彼等にとっての最重要課題である。


 長は片羽根を失っている今、最大の武器である機動力を捨て飛行車両と戦う選択をした。隠れるには間に合わなかったのも確かだが、僕でもありこの戦闘を生き延びるであろう次の長の為、そしてその子孫の為に最重要課題を解き明かそうとして飛行車両へ立ちはだかった。


 種の長としての責任を全うした大型の異形。地面との間に押し潰されたその死に様は彼等に格下の烙印を押した。長を失った昆虫型の異形の群れは現時点で次期統率者候補である一匹を先頭に飛び去っていった。


コ「居なくなったよ」


ハ「(顔を手で覆いながら)……本当? 視界に映らない? 何にも張り付いてない?」


 機体は再び進路をザ・サミットへ向けた。既に大型の異形の死骸には小動物が集り始め、この地では滅多に有り付けなかったご馳走を貪っている。


 上々の成果と共に帰還した三人はそのまま報告を済ませに行こうとしたところ、コラスのみ呼び止められた。彼を小僧と呼ぶのはアスターしかいない。


 アスターとフルートといういつもの二人に交じって、アスターと師弟関係にあるブイズ、シャルと年長の少年もそこにいた。彼等はこのメンバーで異形の狩猟へ繰り出す為にコラスを探していたのだった。


 狩猟とは言っても実際に戦うのはアスターとブイズだけで、千二百七番は護衛係、フルートは言わずもがなこの出撃を逃す手は無いだろう。


 コラスが同行するのは子供達を守る為だが、当のシャル達が狩猟へ着いていこうとしている目的はというと異形に勝てる程の強さを身に付ける事にあった。シャルは敵討ちの為、少年は父親との約束を守る為に。


 施設に赴いたフルートへしがみついて離さないくらいシャル達の意志は固かった。前述の通りフルートにとっても悪い話ばかりではなかった事から、コラスの側から離れないという条件付きで二人の同行は認められた。


 一行が向かう先は萩之楼。そこの実態はザ・サミットと似て非なるもので、地下同様に最高水準の技術を受け継いでいる。その最たる存在が拠点をまるまる囲う防壁である。


 夜空を埋め尽くさんばかりの星々に準えて「星暈せいうん」と名付けられたこの防壁は通らせる人や物を自在に選択する事ができ、拒まれた対象が触れようものなら消散してしまう。シンギュラリティ後にAIによって生み出されたこのロストテクノロジーについては、設置が終わった後にAI自身がその技術を消去してしまったのではないかとの推論が巷での事実となっており、この推論に初めて行き着いたのはザ・サミットから来た研究者の一団だった。


 フルートは星暈を見るなりAIの管理を怠った当時の住人達への苛立ちを露わにした。定期的に此方の拠点へ通っている彼女は今日も一人別行動を取って、自身の研究のヒントを得ようととある場所へ向かった。


 片やコラス達は役所を訪れた。これまでは異形の狩猟協力など不要であるとしてザ・サミット側からの申し出を断ってきた萩之楼。今になってその考えを曲げ、且つアスターを指名した内情が表れていたのは今回の狩猟対象ではなく、人々の様子だった。


 飲食店が立ち並ぶメインストリートへ繰り出してくる人が増える時間帯に、急ぎ足で役所へ入っていく人の姿があった。脇目も振らずエレベーターで地下へと降りていく彼等の目的は、夜間の安全を確保する事にある。


 昼と夜の二回役所の地下にあるシェルターへ避難するようになったのも、全ては某異形が解き放たれたため。だが危機感を感じている住人の割合で言えばザ・サミットとはまだ圧倒的な差があった。


 某異形の活動に起因してか萩之楼近隣には小から中型の異形が蔓延りだしていた。ここの住人が星暈圏外へ出る事はまず無いが、敵も踏み入ってこないとは限らない。況して相手は異形であり、その適応力は軽視出来ないとのAIの判断を受けて今回の狩猟は依頼された。









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