七話
シ「あ、ニーナとポーン。この奥見てきたんだよね? 何があったの?」
コ「――服と水溜まりがあった」
シ「(首を傾げて)服と水溜まり――それって……も、もしかしておせっせってこと?!」
コ「……」
彼等が向かったのは祭壇。その周りでは幾人もの大人達が村の一大事に神前で平伏している。そして祭壇の上には例によって作物と、今朝取れたばかりの魚が尾をべったりと石面につけて乗っていた。
村人達は朝昼夕と一日三回魚を捧げてきたがすぐに風が吹かなかった事はこれまでに一度も無かった。一般の村人にとっては一陣こそ懿卡護様が存在する証である為、一度吹かないだけでも神の存在は揺らぐ。
祈りを捧げている村人達の頭頂の先を千二百七番は指差して、尚も其方へとコラスを引っ張っていく。彼女は軽快に。彼は呑気に。
密集していた最前列の村人を千二百七番は軽く飛び越えたが、彼女はコラスが悉く無精である事にまで配慮出来ていなかった。引っ張られるままに彼は村人の背中を踏んで歩いた。
一歩二歩三歩と踏み仕舞いの四歩目は踵で摺り落ちていったが、懿卡護様を信じる敬虔な信徒ならばこれしきの事で祈祷を中断したりはしない。
祭壇もまた赤黒く染まり、辺りには魚独特の生臭さが漂っていた。昨夜捧げられた魚二匹の血が滴るその周りを千二百七番は嗅ぎ回った。彼女も勿論祭壇上の魚には気付いていたが朝食から一度も戦闘をしていない事やこれよりも新鮮な魚を知っていた事から証拠探しを優先した。もしも魚が飛び跳ねる程新鮮で、且つ血に浸かった状態でなかったなら彼女は一口くらいその腹を齧っていただろう。
彼女の嗅覚に狂いは無く、祭壇からは茂みで検出されたDNAと同一の血痕が発見された。祭壇で血を流した者となれば自ずと絞られてくる上に村人全員の採血も進行している。村人に真実が突き付けられるまでは時間の問題だった。
こうして村で着々と外堀が埋められていく中、外敵の可能性を疑ったアスター達は村の外周をぐるりと回って小山の反対側まで来ていた。この間に彼等が遭遇した生物は羽虫や魚、地中に住まう小動物くらいのもので、彼等は人を襲う外敵の気配を全く感じ取れずにいた。
ア「この爪痕の主が逃げ出すくらいには懿卡護様って奴が幅を利かせてるらしいな」
フ「私達に負けず劣らずの先進的な集落だとは思ってたけど、やっぱり無理そうね。まあこっちと違って赤ちゃんの頃から刷り込んでた訳じゃないし、食でしか繋がってないんだからいつかこうなると思ってたけど」
ア「その言い方だと懿卡護様が犯人だって言ってる様に聞こえるぞ、フルート名探偵」
フ「気持ち悪い。笑い話になった村人が化けて出たとかだったら、それこそ笑い話よ」
アスターは爪痕が刻まれた樹木をその爪の持ち主宛らに登り木の実を咥え取った。その時彼は村から離れた位置の木々が揺れたのを視認。
異形の痕跡有らばそれを頼りに自ら成り済まして創造の糧とし、かと思えば戦闘では人の姿で殴り合っている――そんな彼の戦闘狂ぶりと異形に対する理解を深めようという姿勢から、拠点の仲間達は彼に「無双」の二つ名をつけた。
彼は自身が理想とする強さを己の肉体にて完結させ、可能な限り収束させようとさえしていた。戦闘に於いて何よりも信を置くべきは己でありそれは揺るがない思い込みからくるもの――彼にとって心技体とは自身が最強であると思い込む為の経験値に過ぎないのだ。
時として傲慢なアスターの言動も全ては過信にも等しい自信の表れ。戦闘時に一瞬でも彼が自らの勝利を疑う様な事があればその瞬間に彼の敗北は決したも同然であり、彼が異形に扮して癖や行動パターンを調べるのは最後まで強者の愉悦に浸り続け勝利する為に他ならない。
アスターが自らの強さに陶酔し敵を弄ぶ様は最早異形同士の争いと見紛う程に峻厳となる。言葉は形を崩して獣が如き咆哮へと変わり、全身に返り血を浴びながら相手と殺し合う彼に、何があろうともフルートは助太刀をしない。
アスターとフルートの間には彼の戦闘が終わるまで物音を出さぬようじっと控えていなければならないという鉄の掟がある。発言は勿論呼吸すらも最小限に抑えて彼女は音を立てずに戦闘が終わるその時を待つ。
それは巻き込まれない為の最善の選択を取っているだけではなかった。戦闘時のアスターはゾーンに入っている為、普段の倍程も聴覚が研ぎ澄まされている。雑音入り乱れる中で自身に向けられた音のみを拾い上げ戦闘中に聞き取っているのだ。
例を挙げるなら名前が最も分かりやすいだろう。この音は自分の事を指していると普段から調教されていれば、後に続く音も自分に関係があるものだと思ってしまう。アスターはその内容の良し悪しに左右されない為には心を鍛えるのが一番であるとして、心の重要性をそこに見い出していた。
異形の咆哮にも怯まず百パーセントの力を発揮し続けられる彼が、今更遠巻きに悪態をつかれた所で集中を乱す事など皆無だった。何故なら目の前の敵を屠った様に発言者の喉をいつでも掻っ切れる自信があったからだ。
そんなアスターにも克服出来ていない言葉がある。感嘆、尊敬、心配――彼がフルートと二人で行動しているのは利害の一致によるが、本はそれらの言葉が戦闘中不意に聴こえてくるのを避ける為、ザ・サミットに拠点を構えながらも一人流離うのを好んだ一匹狼である。
ア「――ハハハハ! 可哀想になぁ、こんだけ弱いんじゃなぁ」
フ「はいお疲れ様。ついでにそいつの腹裂いてくれる?」
孤独という点で言えばフルートもまた、他人とのコミュニケーションを避けて生活している。
彼女は地下で生活していた頃から研究に情熱を注ぎ、刻印の技術の実用化にも貢献してきた。その後は量産兵の製造に転用すべく注力してきた彼女だったが、周りの声が聞こえなくなる程に研究へ没頭していたところ罪を問われ、敢えなく追放となった。
以来彼女は対象の内なる声を聞き取る能力を手に入れ、それを用いて専門外だった分野にも手を伸ばすようになっていた。アスターの為に作った葉巻もそう。彼女には中に巻いた物質一つひとつからタバコの葉、それらを買った店の店主の心、果ては踏み歩く大地の憂いまでもが聞き取れる。
物質はその用途や可能性が隅々まで露見されるだけであり、フルートはこれを自らの知識と照らし合わせて研究に取り入れている。対して人は表に出していない裏が見える。接している人物の表と裏の乖離は恰も蜃気楼の様に彼女を惑わせた。
アスターと共に行動し会話まで普通に行っているのは此方の彼が物質だから。彼女が他人と会話する時は避けて通れない時か、或いは研究対象として興味を持っている時が殆どだ。
フルートが精力的に研究対象を拡大しているとは言ったが、流石の彼女も解剖学の知識までは持ち合わせていない。アスターが狩った異形の腹を彼に裂かせたのは、この異形の胃袋に人骨や毛髪が入っていないかを確認するため。
彼女が死して間も無い骸に近寄れば噴き出し切った血の赫怒常同たるを聞き取りかねない。その為血に塗れたついでとしてこの手の汚れ仕事も全てアスターが背負わされていた。
今回彼が相手にした異形からは人を捕食した痕跡が発見された。見つかったのは頭骨一つのみであり、全身を捕食された村長やマルの特長とは合致していない。
アスター達は念の為この骨のDNAを採取する事に。血溜まりから得ていた他二種類のそれと比べるまでは頭骨の処遇も決められなかった。
昼食用に村へ持ち帰るには尚早で大きさもあった事から、異形の骸も人骨と野晒しにして彼等はそこを離れた。
その村では村人全員の採血が終了し、出された結論に双方が揉める事態となっていた。
茂みから検出された三種類のDNAの内、血溜まりから得られた二種に関しては村長やマルの所持品などと照合して相違無いと判断された。
問題は祭壇で採取された痕跡と一致した第三のDNA。これが村人の誰とも当て嵌まらないと来たものだから、村人はやれ怨霊だの不可視の怪物だのと犯人探しに躍起となった。
ハート達は村に留まるのは危険だとして村長代理を説得し、最初は村長代理も苦慮していた。しかし懿卡護様が疑われていると知ると表情を一変させ、主への絶対的な忠誠を示し一切聞く耳を持たなかった。それどころか一連の事件は村人の移住を目的としたハート達の策略なのではないかと疑い出す始末。
村の現人神が忠実な信者を手に掛けるなどとは考えられなかった村人達は、事を働いた凶徒の存在を外部に求め己が神を信じた。その一方でもしもの事があってはならないからと、今この村で最も安全な所に子供を集めたのだった。
シャルの母親「いい? 勝手にこの人から離れたら駄目よ。分かった?」
子供等「「「はーい!」」」
シャルの母親は「お願いします」の一言で子供達をコラスに預け、自身は昼の儀式の準備へと戻っていった。
腕白も盛りな年頃の少年達に赤子を背負った児女、歩き始めて間も無い双子とシャルをコラスと同年代程の少女一人が見守る――彼女だけではとても面倒を見切れない慌ただしさも、狭い範囲に集まり行動を制限されていれば尚のこと。
猫の手も借りたい少女を手助けしたのはシャルと千二百七番だった。特に千二百七番は男児を上に放り投げてあやし、高さの出るリフトアップに少年達は上空で体を捻るなどして空中での体捌きを学習する。その様子を見て千二百七番が少しずつ高さを増していくという循環へと繋がっていた。
高さに恐怖を覗かせた時点での交代制でそれは僅かな声紋の乱れや萎縮を見逃さない彼女の裁量による。この楽しい時間も今の子等にとっては単なる遊びであり、その未来の可能性を広げる基礎となった事など知る由も無い。感情は学習の効率を最も高める事も、低める事も出来る諸刃の剣である。
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